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サッフォーの詩「夕星の歌」―幼な子を母の手に

サッフォー(サッポーとも)は古代ギリシア最大の女性詩人。紀元前7世紀にレスボス島で生まれ、紀元前6世紀に死んだ。貴族出身だ。

詩の大部分が失われ、完全に残っている詩は数編しかないとのこと。

ここで紹介する「夕星ゆうずつの歌」も断片だ。

■サッフォーの詩「夕星の歌」(くれ茂一しげいち訳)

夕星ゆうずつは、
かがやく朝が(八方に)散らしたものを
みな(もとへ)連れかへす。

羊をかへし、
山羊やぎをかへし、
幼な子をまた 母の手に
連れかへす。

『ギリシア・ローマ抒情詩選』

■語句

*原詩は2行より成る。カッコは訳者の呉茂一による補足。

題名「夕星の歌」――原詩は断片であり、題名はない。訳者の呉茂一も題名をつけていない。「夕星の歌」というのは、かつて高校の国語教科書に掲載されたときに便宜的につけられた題名か。

夕星は――「夕星」は、夕方に西の空に見える金星のこと。宵の明星。呉茂一の訳注によると、原詩では「夕星よ、おまえは」となっているとのこと。

■解釈

詩人は高い所から、夕方になってみんなが帰っていくようすを見渡している。そしてそれを、夕星が連れ返すと表現している。

羊、山羊、幼子と、それぞれが皆あるべき場所に戻っていく。世界全体の秩序がきちんと保たれている。

誰もが普通のことだと思っていることに、詩人は偉大な力を見て取って、心を動かされている。

詩人が感じているのは平安、安心、静かな幸福だろう。

なお、動物と人間が同列に見られているのはキリスト教以前の世界だからだろう。

■技法

◆繰り返し
「かへし」「かへす」が何度もくり返される。奇をてらわない単純さが、読者に安心感を与える。

◆擬人法
呉茂一訳では、〈朝が八方に散らす〉〈夕星が連れ返す〉と擬人法となっている。擬人法を使わずに、〈朝、四方八方に散っていった動物や子供が、夕星が出るころになると、皆戻って来る〉と表現することもできるが、擬人法だと、人間の生活の背後に大いなる力が働いていることが感じられる。

原詩では「宵の明星」は神と見られており、「夕星よ、あなたは……連れ返す」となっている。日本人には、人称代名詞のない呉茂一の訳のほうがしっくりくるのではないか。

◆音数律
カッコを除いて読んでも、含めて読んでも、ほとんどが5音と7音となっている。「山羊をかへし」だけが6音だ。

音読する場合は、カッコの語はどうしたらいいのだろうか。
筆者は「(八方に)」は省略し、「(もとへ)」は読むのが調子がいいかなと思う。

■いくつかのコメント

◆上田敏

古今の絶唱として、後世の詩人が常に感嘆の辞を尽すものなり。

沓掛425頁より引用

◆呉茂一

牧歌的なその歌調といい、和やかなことばの繰返しといい、いかにも田園に囲まれたレスボスの小邑しょうゆうに適わしい趣がある。

『増補 ギリシア抒情詩選』

◆沓掛良彦

サッフォーの詩の簡浄かんじょうの美の極致を示すものとして、古来多くの詩人、文人の讃嘆の的となってきた作品である。驚くべくわずかな語から成っていながら、これを読む者の脳裡に、あざやかな絵画的イメージをい浮かび上がらせる力を秘めている。

沓掛1988

これは極度にことばをきりつめた、簡浄のきわみとも言うべき作品であり、その澄みきった透明な表現は、詩人サッフォーの詩の美しさをよく示している。

沓掛2000

■おわりに

このような詩を読むと、2600年以上前の人間もやはり現代の私たちと同じなのだなと思う。

何千年も経つといろいろなものが大きく変わる。しかし、何千年経っても変わらないものがある。それが平安を望む気持ちだ。

沓掛良彦によれば、この詩は本来は祝婚歌の一部だったのではないかとされている(異説もある)ようだ。

さらなる断片が発見されて、元の詩がどのようなものだったのかがわかればいいと思う。でも、奇跡のように残ったこの断片が、これまで多くの人の心に安らぎを与えてきたのであれば、これはこれで一つの独立した詩として、世界文学遺産(?)のようなものとして受け入れてもいいのではないかと思う。いや、もう多くの人はそうしている。

■参考文献

沓掛良彦『サッフォー :詩と生涯』平凡社、1988

沓掛良彦編『詩女神ミューズの娘たち:女性詩人、十七の肖像』未知谷、2000

呉茂一訳『増補 ギリシア抒情詩選』岩波文庫、1952

呉茂一『ぎりしあの詩人たち』筑摩書房、1956

呉茂一訳『花冠』紀伊国屋書店、1973

呉茂一訳『ギリシア・ローマ抒情詩選』岩波文庫、1991

*タイトル画像の羊のイラストは、以下のサイトのものを利用させていただいています。
イラストセンター

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