カフカの『天井桟敷にて』―満たされないヒーロー願望
カフカの『天井桟敷にて』を訳し、注釈をつけてみた。カフカが33歳のときに書いたもので、短編集『田舎医者』(1920)に収められている。
カフカ『天井桟敷にて』
一人の弱々しい、胸を病んだ、曲馬を演じる少女が、サーカスの演技場を、ぐらぐら揺れる馬に乗って、飽きることを知らない観客の前、鞭を振るう無慈悲な親方に命じられるまま、何カ月も休みなく、ぐるぐる回り続けるとき、馬の上でヒューヒュー風を切りながら、キスを投げながら、腰をふりながら、そしてこの芸が、オーケストラと送風機の、とぎれることのない、轟々たる響きのもと、弱まったり、高まったりする、蒸気ハンマーさながらの拍手喝采を受けて、どんどん広がっていく灰色の未来に向かって繰り返されていくとき――ひょっとしたらそのとき、天井桟敷にいた一人の若い観客が、長い階段を駆け下り、あらゆる等級の座席を突っ切って、演技場に飛び込み、どんなときも調子を合わせるオーケストラがファンファーレを奏するなか、こう叫ぶかもしれない、「やめろ!」と。
だがしかし、事実はそうではない。白と赤の衣装を身につけた、一人の美しい女性が、誇らしくお仕着せを着た者たちが開ける幕の間に、飛び出してくる。献身的な団長は、彼女の視線を得ようとして、調教された動物のように息をはずませる。まるで彼女が、危険な旅に赴こうとしている、誰よりもかわいがっている孫娘ででもあるかのように、細心の注意を払って彼女を葦毛の馬に乗せる。鞭を鳴らして開始を告げることがなかなかできない。ようやく、自分に打ち勝って、ぴしっと鞭を打ちつける。馬の横を、口をぽかんと開けながら、後れないように走る。乗り手の跳躍を、鋭い目つきで追う。彼女の芸などほとんど眼中にない。英語で叫びながら警告を与えようとする。くぐり輪を捧げ持つ馬丁たちに、怒鳴り声で、あらん限りの注意を払うよう求める。大一番の死の宙返りの前には、両手を挙げて、オーケストラに、演奏をやめるよう懇願する。最後に、その小さな女性を、体を震わせている馬から降ろし、頬の両側にキスし、観客がどんなに賛嘆しようが満足しようとしない。一方、彼女自身は、彼に支えられつつ、精一杯つま先立ちになって、埃が舞うなか、腕を広げ、小さな頭をそらして、自分の幸福を、サーカスの観客みんなと分かち合おうとする――これが事実なので、天井桟敷の若者は、顔を手すりに伏せ、重苦しい夢の中にいるかのように、最後の行進曲に浸りながら、自分でも気づかないうちに、涙を流しているのである。(ヨジロー訳)
注釈
「天井桟敷」――劇場などの最後方・最上階にある観覧席のことで、天井に近いのでこう呼ばれる。大衆向けのいちばん安い席。
「曲馬」――円形の演技場を走る馬の上で、芸人がさまざまな芸を演じることを「曲乗り」というが、この曲乗りをする見世物のこと。近代サーカスは曲馬芸から始まった。
「サーカス」――カフカは、サーカスが好きでよく見に行っていた。サーカスについての雑誌も購読していた。
「どんどん広がっていく灰色の未来」――現在の状態が少女に続けば、そこには暗い未来しかないということ。
「英語で叫びながら」――曲馬芸はイギリスを本家とする芸だった。英語はいわば専門用語(★1)。観客がわからないように英語を使っているのだろう。
「輪」――馬丁たちがささえる大きな輪。馬がこの輪を走り抜ける。曲馬師は飛び上がって輪を越え、再び走り続けている馬の背に着地する(★2)。
「死の宙返り」――馬上でのとんぼ返り。非常に危険なので「死の」がついている。
内容
青年のヒーロー願望が、距離を置いてペーソスとともに表現されている。
貧しい若い男が、サーカスの天井桟敷で曲馬を見ている。馬に乗っている少女が、病弱で、親方から虐待されつつ、芸を強要されている。観客は自分の楽しみを求めることに急で、少女が疲れ果て、死に瀕していることさえも気づかない。ただ一人、少女の気持ちがわかる自分が、演技場に飛び出して「やめろ!」叫び、すべてを終わらせるのだ。少女を救うのだ。若者はそのような空想をする。
しかし、現実は若者の空想とはまったく違う。女性は健康で美しく、きらびやかな衣装を身にまとっている。団長は曲馬師を虐待するどころか、女王様を仰ぎ見るかのように彼女を見、また「誰よりもかわいがっている孫娘」であるかのように心配している。曲芸の間も、何かあったらすぐに助けようと馬の横を併走する。誰よりも少女を大切にし、誇らしく思っている。少女のほうも、不幸などではまったくない。みんなに支えられながら、芸を見事にやり遂げた幸福を、喜んでくれている観客と分かち合おうとする。サーカス全体が喜びと幸福にあふれている。
貧しい孤独な青年だけが、この喜びの輪に加われないでいる。わびしい現実を、自分がヒーローとなって少女を救うという空想によって埋め合わせしようとしたのだが、それは単なる妄想でしかない。みんなが幸せにしている現実を認識して、不幸な青年は涙を流す。
表現
原文では、前半も後半もそれぞれ長い一文となっており、テンポのよい、弾むような文体となっている。一気呵成に書かれ、末尾に至ってスピードが急速にゆるやかになり、静かに終わる。短い即興曲を聴いているような音楽性がある。
注
★1:三原弟平『カフカとサーカス』白水社、1991、83頁
★2:同書、84頁。