見出し画像

東京での初就職、一人暮らし、挫折からのリスタート|よじままひかる💫エッセイ

神戸生まれの神戸育ち、根っからの神戸っ子だ。
海と山が近くて、ほどよく都会で、暑すぎず寒すぎず過ごしやすい。
美しいこの街が私は大好きだ。

両親は神戸育ちではないが、縁あってお互い仕事で神戸に来て知り合った。
『神戸』という街を選んでくれたことを本当に謝している。

でも、生まれてから現在に至るまでずっと神戸に居たわけではない。

ちょこちょこと他の土地にも住んでいたりする。
でも、その度に『神戸の良さ』を再確認し「やっぱり私は神戸が好きなんだ」と強く思う。

・・・

▼夢を追って東京へ

最初に神戸を離れたのは20歳の春。

私には中学生くらいからの夢があった。
それは『おもちゃをつくりたい』だった。

小さな頃からモノづくりが好きで、手先が器用で、自分でアイディアを考えることが好きだった。

いつしか『おもちゃづくりって夢がある。やってみたい!』と漠然と考えるようになっていた。

ただ、本当に『漠然』としか考えてなかった。

『おもちゃづくり』を職業とした場合、具体的にどんな風に仕事を行うのかとか、掘り下げて調べることは全くせず、ただ『好きだからやりたい』だけで突き進んでいた。

高校卒業後は美術系の短大でデザインを学び、地元のおもちゃ屋さんでアルバイトをして、商品パッケージの裏に書かれている会社名と住所をメモして「御社で働きたい」と手紙を書きまくった。

その時に、玩具メーカーの会社というのが東京に集中しているということも初めて知った。

手紙を出した後、いくつかの玩具メーカーから「面接に来い」と返事が来たので、すぐに東京へ出向いた。

昔から良く知っているメーカーから、よく知らない中小企業まで、5つほどの玩具メーカーに面接を受けに行った。

アルバイト代はほぼ全額交通費に消えることになったが全く構わなかった。

そして運よく1つの中堅玩具メーカーから内定をもらえ、就職が決まった。

生まれて初めて神戸を出て、初めて一人暮らしをして、初めて就職する。
この初めてだらけのことに、もちろん不安は大きかったが、夢を叶えられた喜びも大きかった。

▼挫折、鬱、そしてリスタート

私はとある玩具メーカーの「企画開発部」に配属され、商品開発兼デザイナーとして働きだした。

私は仕事を一生懸命した。
全力でやっていた。
仕事環境はとても良く、非常にホワイトな職場だった。

でも、どうしても東京は好きになれなかった。

職場での人間関係も悪くなかったが、友達と呼べるような対等な人間関係をつくることが、なぜかできなかった。

仕事は楽しかったが、一生懸命やればやるほど、だんだんと『夢と現実の違い』にも気付いてきた。

「自分がつくりたいもの」はつくれない。
「会社に利益をもたらすもの」でなければならない。

たぶん、この就職が地元だったならば、乗り越えられていた心の葛藤だったと思う。

初めて知った「夢の挫折」を相談できる相手が居なかった(つくれなかった)ことが一番の痛恨だった。

自分の中で負の感情がどんどんと大きく、重くのしかかっていった。

東京に来て2年が経ち、私はと診断され、仕事を辞めて神戸に戻った。

ところが神戸に戻ると、1ヶ月もたたずに体調は回復。元気になった。

東京でのあの苦しさは何だったんだろう…?と不思議でしょうがなかった。

今でも東京の会社のことを時々思い出して「あのまま続けていたらどうなってたかな?」と考えることがある。

本当にいい会社だったので「惜しかったな」と今も心の片隅で思っているのだが、その度に「やっぱり東京は無理だな」と毎回同じ答えにたどり着く。

神戸に居れば、自然と前に進めるし、自分が何をしたいのかが見えてくる。

ここは、まぎれもなく私のホームグラウンドなのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?