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私が母を嫌いになった理由

私は母が嫌いだ。
一緒にいると「嫌悪感」を覚える。

母は私にとって戸籍上「母」である、というだけの存在だ。

そう思うようになったのはいつからだろう・・・?

小さな頃は好きだったと思う。たぶん。

でも家に友達を呼ぶことを嫌がられたり、友達の家で何かをごちそうになったと言うとなぜか異常に怒られた。
一緒に出掛けることも少なかったし、一緒に遊んだ記憶もほとんどない。

そして中学3年生の時に友達と同じ高校に行きたくて「商業高校に行きたい」と言った時に頭ごなしに反対された。
今思えばそれは私の将来を考えた親心だったのだろうと頭では理解できる。

でも私の中には「私の意志を尊重してもらえなかった」という記憶として刻み込まれている。

母は昔から周囲から自分や家族がどう見られているかを異常に気にする人だった。

私の友達が家に来るのを嫌がったのも「他人に家の中を見られてどう思われるか」を気にする気持ちからだったんだろうと思う。

家では近所の人やパート先の人の悪口をさんざん言うくせに、外ではめちゃくちゃ愛想よく振る舞う。

そんな母を見る度に私の中に嫌悪感が広がっていった。

そして私が母への信頼を決定的に失ったのはきっとあの時だ。

私が22歳の時。

私は短大卒業後、ずっと夢だった仕事をする為に地元神戸から一人東京へ出て一人暮らしを始めた。
夢が叶い憧れの仕事に就けたものの、一人暮らしの寂しさや思い通りにいかない仕事のストレスが積み重なっていった。

東京に来て1年が経つ頃、同じ職場の5つ年上の男性と仲良くなり、付き合い始めた。
お互いに一人暮らしだったので、彼が私の部屋で過ごす時間は増えていき、一週間のほとんどを同じ部屋で過ごすようになった。
一人暮らしの寂しさが消え、幸せに思えた。

ほぼ同棲のような関係が半年ほど続いた頃、住んでいた部屋の契約更新の時期がきた。
彼は「新しく部屋を借りて二人で一緒に住もう」と言った。
私もうなずいた。

同じ職場な為、一緒に住むとなれば「結婚」する必要があった。(今思えばそんな必要なかったのだが)

彼もそう思っていた様で彼と私は「結婚」することになった。

「結婚」すると決めて、いろいろ準備を進めていくにつれ私の心はどんどんと沈んでいった。

結婚して、子どもが生まれて、ずっと東京で生活する・・・
そう考えると怖くなった。

彼のことは好きなはずなのに、なぜそう思うのか分からなかった。
でもどんどんと苦しくなっていく気持ちは大きくなるばかりだった。

母に電話して苦しい気持ちを話した。

「結婚前は誰でもそんな風になるもんだから」
と母は言った。

そんなものなのだろうか・・・
その時はそう思うことにした。

でも「結婚」が現実味を増してくるほど、私の心はどんどんと暗くなっていった。
そのことは彼には言えなかった。
結婚しようと言ったのに、今さらそんなことを言ってはいけないと感じていた。

自分の気持ちにずっと嘘をつきながら、私は「結婚」の準備を進めていた。

結婚式場が決まって、両親が式場を見に東京に来た。
結婚式場のトイレで母と二人になった時、私は我慢できずに泣いてしまった。

「結婚したくない・・・」
私の精一杯のSOSだった。

「この子はいまさら何言ってるの!相手の人に悪いでしょ!そんなこと言ったらだめよ!」

その後自分が式場でどうしていたのが覚えていない。
ただ
「ごめんなさい・・・もう言わない」
とみんなの前で言ったことだけは覚えている。

両親が帰った後、私のメンタルは急速に崩壊していった。
笑うことができなくなった。
仕事で新しいことを思いつかなくなった。
死にたいと考えるようになった。

頭にあるのは「やめたい」「逃げたい」だけだった。

病院に行って「鬱」と診断された。

結婚式の招待状を出す直前になって、もうダメだと覚悟をきめた。

とうとう私は彼に言った。

「結婚できない。神戸に帰りたい。」

彼は納得せず話し合いが続いた。
もう私は自分に嘘はつけなかった。
自分の気持ちに素直に従うと決めると、不思議に力が湧いた。
自分がどうしたかったのか、やっと気付けた。

自分の親きょうだい、彼の親、職場の上司や先輩、地元の友達…
いろんな人にいろんなことを言われた。
でも私の心はいっさいブレることはなかった。

最終的には私は全てを跳ねのけて、一方的に結婚を取りやめにした。
結婚式場に一人で行ってキャンセルし、彼と一緒に住んでいた部屋を出た。
彼に対してひどいことをしていることは分かっていた。
でももうこうするしかなかった。
自分で自分を守るために。

そして私は神戸に戻った。

両親は私が神戸に戻ることを受け入れてくれたので、そのことは感謝している。
実家に住まわせてもらえるならなんでもよかった。

でも両親、特に母に対しては私は心を閉ざしていた。
きっと一生母を信頼することは無いだろう。

神戸に戻った私は自分でもびっくりするほどメンタルが回復し、東京でのことが夢であったかのように元気になった。

その後いろいろあって、結婚もして子どももできた。
そしてさらにいろいろあって、今再び神戸で母と一緒に実家で生活している。

父は数年前に他界し、母は認知症が進み、もう一人で暮らすのは心配な状態だ。
ただ、どんどんと壊れていく母を見ても特になにも感じない。

あの時・・・助けてくれなかったあの日から、母は私にとってただ「血の繋がりがある」というだけの存在だ。

母が死ぬまで、きっと死んでからもこの気持ちは変わることはないだろう。


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