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トト#8:6年生進級、悪夢は繰り返される

長男トトが小学校5年生の秋、学校で「野球がしんどくて死にたい」と担任に話したことが発端となり、両親と学校の先生6人での話し合いが行われた。

その話し合いで、トトへの暴力が明らかとなったS男は先生たちから厳重な注意を受けることとなり、結果的にトトへの異常なほどの野球に対するプレッシャーや暴力は無くなった。

ように見えた。

・・・

トトが小学校6年生にあがる前の春休みに入る頃から、S男は再び動きを開始しだした。
それまではいっさいトトに対して家での野球の練習については何も言わなかったS男だったが、

「コーチに家で素振りやるように言われて、おまえもやると言ってたやろ」

「他のチームの奴は朝学校行く前にバット振ってるらしいで。そんな奴に勝てるわけないな」

というような感じで、S男がトトに対して直接強要するわけではないが、遠回しにトトに練習をさせるような言い回しを使うことが増えてきていた。

ただ、トトの方はこの数ヶ月でかなり気持ちも落ち着いてきていたこともあり、多少平日の自主練習が増えても変わらず元気そうにしていた。
なので私もトトの様子に注意しつつ、見守る程度に留まっていた。

そしてトトが6年生に進級し、夏に向けて大会や試合が増えてくると、S男のトトへのプレッシャーは徐々に以前と同じに戻りつつあった。

「もう小学校最後やぞ!」
「下級生に負けてて悔しくないんか!」
「6年生にもなってまだそんなこと言うてんのか!」

そんな言葉が頻繁に聞こえてくるようになった。

夏の終わる頃には、放課後の自主練習に加え、コーチの自宅での練習会に週に3回通い、夕食後は毎日S男と夜練習、金曜日の放課後はバッティングセンターへS男と行くのが常になっていた。

その頃にはもう以前と同じどころか、それ以上にトトは自由な時間がなくなっていた。

そしてS男がトトに圧力をかけるようになるのに比例して、トトの表情も暗くなっていった。

トトのことが気がかりで、暗い顔を見る度に「大丈夫?」と声はかけるが、その度に「うん」と力なげな返事が返ってくるだけだった。

去年は学校の先生に「死んだ方がマシかも…」と助けを求めたトトだったが、6年生になってからは様子が違うように思えた。

トトはS男の前では、言われたことを真面目にやるようになっていた。
自主練もコーチの家での練習もちゃんとこなしていた。
楽しそうではなかったが、自分からやっていた上に、助けを求めることもなかったので、以前以上の練習時間に戻ってはいたが、私は何も口出しができなかった。

トトは絶対にS男に逆らわないし、逆らえなかった。
S男に怒られることが怖いから、自分が我慢することでやり過ごせるなら我慢して従う方を選んでいた。

私がどれだけ「味方になるから一緒に戦おう!」と伝えても、トトが本気でS男に反抗することはこれまでに1度もなかった。
それが私にとって歯がゆいところだったが、トトの性格からして、S男が側にいる限り、この状況を変えることはできないだろうとも思っていた。

どうにかしたいのに、どうにもできない状況に本当に何度子ども達を連れて出て行こうと考えたか分からなかった。
でも4人それぞれの子どもたちのことを考えると、その一歩を踏み出すことが正解なのか判断ができずにいた。

そんなモヤモヤとした状況が続く中、秋が過ぎ、12月に入った。
S男のトトへの執着は益々エスカレートしていた。
もう6年生も残りわずかだ。
中学進学以降のことについて、S男がなにやらコソコソと動きだしていた。

私が一番気になっていたのは、夕食後のS男との毎晩の練習だ。
30分くらい夕食後に家の外で二人で練習をしているのだが、戻ってきた時のトトの表情がなにやらおかしいことが多かった。
時には「泣いてる?」と思うような表情の時もあった。

でもトトに聞いても何も答えない。
何かがおかしい…、そう思っていた。

12月はトトの12歳の誕生日がある月だ。
私は子ども達の誕生日のイベントとして、誕生日を迎えた子ども達と二人だけで出かけることにしている。

なので、誕生日を過ぎた週末に恒例の誕生日お出かけを予定していた。
このイベントの時だけは、トトと二人だけで出かけられるチャンスだった。

そして、誕生日お出かけは私にとって別の目的もあった。

トトからちゃんと話を聞くことだ。

野球のこと。S男(父親)のこと。中学に入ってからのこと。
トトが今、一番望んでいること。
この日しか、ゆっくりと聞ける機会は無いと感じていた。

そして、トトとの誕生日お出かけの当日。
私はトトから驚愕の話を聞くことになった。


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