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別居、神戸帰還、人生何が起こるか分からない|よじままひかる💫エッセイ

『決意、絶対に許せない!|よじままひかる💫エッセイ』からの続きです。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!
『よじままひかる💫エッセイ』もこれで終わりです!(ホントにホント)

ですが、このエッセイの中で書いた内容は、次から書いていく記事のプロローグです。

ここに書ききれなかったエピソードや、4人の子どもたちそれぞれのエピソードは別の記事として書いていく予定です。

・・・

▼私の決心

S男と離れて暮らすことを決心した私は、4人の子どもたちに今の家の状況や私の想いを話し、春休みまでに一緒に家を出て神戸に住もうと提案した。(第1回家族会議にて)

その時の子どもたちの反応は

長女と三女は問題無さそう。
長男もおおむね賛成。
次女は答えを出せない様子

だった。

そりゃそうだろう。
次女はまだ9歳なうえに、状況を判断して答えを出すことが特に苦手なタイプなのだ。
私は次女にとって酷な話をしていることは重々分かっていた。

でも、次女には申し訳ないと思いながらも、もう止まることはできない。

今のままの生活を続けたとしても、これから先、S男が変わることは無いだろうから。

長男への野球の執着は今後も益々エスカレートしていくだろうし、長男が自分で自分の可能性を見つける機会はどんどん奪われていくことになる。

既に長男は小学6年間、野球だけをしてきた結果

「俺はずっと野球しかしてないから、もうこれしかできないと思う」

そんなことを言うまでになっている。

「そんなことは絶対にない!まだまだいろんなことができるよ!」

そう伝えたが、長男は中学でも野球を続けることを決めていた。

そんな風に長男が思うまで何もできなかったことが悔しいし、そんな風に長男に思わせるまで野球に縛り付けてきたS男が許せない。

でも、長男はS男と暮らしている限り、現状を変えることはできないだろう。
S男もまた、今の生活のままでは自分がやっていることに気付くことはないだろう。

だから私はS男から離れることを決めた。
子どもたちを連れて、神戸に戻る。

▼水面下での準備

私はS男に気付かれないように準備を進めていった。

神戸に戻るといっても、突然子ども達を連れて実家に押しかける訳にはいかないので、まずは実家の母と近くに住む姉に同居について打診してみることにした。

いざとなったら、生活保護でもなんでも使える社会福祉をとことん使って、子ども達と生きていく覚悟ではあるが、家賃のかからない実家に住めれるなら、それに越したことはないのだ。

それに実家に住みたいと思う、もう一つ大きな理由があった。

母は現在83歳で一人暮らしだが、数年前から認知症が進んできていて、最近はさらに症状が進んで「一人で住んでいるのは心配だ」と実家近くに住んでいる姉が言っていた。

独居老人を狙った特殊詐欺にあいかけたり、ゴミを部屋にため込んだり、傷んだ食べ物を食べて体調を崩したり、目が離せなくなってきているらしい。

私もそのことはずっと気になっていたので、今回神戸に戻って母と一緒に住めば「Win-Winじゃね?」と考えていた。

さっそく神戸に出向き、母と姉に事の次第を話し、子ども達を連れて実家で母と一緒に住みたいと話した。

母は「えー! 一緒に住んでくれるのー? 嬉しいーー!」
と大喜びしてくれ

姉は「話があるって聞いた時から、そんなことやろうとは思ってた」
と苦笑いした。

でも姉としても母のことは悩みの種だったので、私が神戸に戻ってくることには賛成はしてくれた。

母は「いつでも来てくれていいよー」と言ってくれたので、これで神戸に戻ってからの家の心配はなくなった。

▼第2回家族会議

ひとまず、神戸での生活場所は確保できたので、子ども達の気持ちを確かめるべく、2回目の家族会議を行うことにした。

もう春休みまであまり時間がない。
私の中ではもう家を出る日も決めていたので、そのことも子ども達に伝えた。

子ども達の反応は前回とあまり変化はなく、小3次女以外の3人には了解を得れたが、やはり次女は「モヤモヤする…」という感じだ。

ごめん、次女。
気持ちに寄り添いたいが、今回だけは強引にでも進めさせてもらうつもりだ。

次女 「ママはパパが嫌いなの?」

私 「ママとパパは一緒にいたら、お兄ちゃんの野球のことやお金のことでケンカばっかりしてしまうねん。それにパパはお兄ちゃんの野球の為に無理してアルバイトをしてしまうから、これからももっと無理して、いつか車で事故したり取り返しがつかないことが起こるかもしれない」

次女 「もうパパと一緒に住めないの?」

私 「離れて住んでても、パパがみんなのパパであることはこれからもずっと変わらないからね。会いたい時は会えるし、パパと住みたかったらいつでもそうしていいからね」

次女 「… わかった。それならママと行く」

こうして4人の子ども達が、一緒に神戸に行くことが決まり、私はすぐに学校の転出手続きにを行った。

学校の先生には以前から、S男の長男への暴力問題で相談していたこともあり、今回の転出についてもすぐに納得してもらえ、手続きはスムーズに行うことができた。

▼カウントダウン

長男の小学校卒業式も無事に終わり、いよいよ家を出る日まで一週間を切った。

出ていくことがS男にバレると必ず引き止められるので、子どもたちとも話し合い、家を出るまでは誰にも言わないようにしようと、5人で約束していた。

不登校の長女、小学校を卒業した長男、まだ幼稚園の三女は問題なかったが、次女だけは友達とちゃんとお別れをしたいから仲の良い友達にだけは話したいと言ってきた。

「内緒にしてくれるって約束してくれる友達には話していいよ」

友達との繋がりがきょうだいで一番強い次女には、きちんと納得した形でお別れをしてほしいと思った。

そして私は家を出る前の最後の準備を始めた。

それは、警察へ事前に文書を提出しておくことだった。

私たちが家を出た後、S男は当然私たちを探すだろう。

神戸の実家に行っていると思うだろうが、最初の数日は神戸には戻らずしばらく子ども達と旅行に行くつもりだ。

その間S男からの連絡は一切とらないつもりなので、パニックになったS男が警察に駆け込むかもしれない。

その予防線として、家を出た経緯を書いた文書を先に警察へ提出しておこうと思ったのだ。

決行日の2日前、既に用意しておいた文書を近所の交番へ持って行った。

提出した文書には次のような内容を書いておいた。
●子ども達を連れて家を出るが、夫には言わないで出る
●決行日
●理由
 >夫による子どもへの身体的虐待及び精神的虐待があった
 >行政による指導があったにもかかわらず改善されなかった
 >夫による計画性のない使い込みにより将来的な家計への不安がある
●夫には伝えずに家を出る為、夫が捜索願を出す可能性がある
●もしその様な事態が起きた場合は受理しないでほしい
●自分と子ども達の名前、連絡先

警察での対応は予想外に迅速かつ丁寧だった。

私の文書に「子どもへの虐待」とあった為、交番の警察官がすぐに本署の「生活安全課」へ連絡。
その日のうちに担当の警察官が自宅に来て、子ども達の安全確認と事情聴取を行った。

そして文書の内容は警察署全体で共有されることとなった。

これで準備は全て整った。

▼決行日

いよいよ決行当日の朝がきた。

今回の作戦で最も重要で心配だった事は、この日いつも通りにS男が仕事に出かけるかどうかだ。
もし、何らかのアクシデントで仕事に行かないようなことが起これば全てが台無しになる。

でも、そこさえクリアすれば、作戦はほぼ成功したも同然なのだ。

平静を装い、いつも通り朝の準備をする私。

S男もまったく気付く様子はなく、いつも通りの時間が過ぎていく。

そしてS男の出勤時間。

S男が家を出た!ヨシ!

子ども達を起こして、最終の荷造りをする。
隠しておいた段ボールに荷物を詰めて、宅配で実家へ送る。

準備完了! 出発だ!

家を出る直前、長男がS男から早く書け!とずっと急かされていた新しい野球チームの入団申込書の裏に『パパごめん』と書いて野球バッグの上に置いていた。

2024年3月某日、私と4人の子ども達は家を出た。

▼エピローグ(よじまま家の現在地)

こうして、私と子ども達は神戸へと移り住むことになったのだが、じつのところ全くと言っていいほど思い通りにはいかなかった。

想定外のことが次々と起きて、全く想像していなかった現状に至っている。

私と子ども達4人が家を出て以降どうなったのか。
そして私たちが家を出たことを知ったS男はどうしたのか。

詳しくは今後別の記事として書いていこうと思っている。

ひとつだけ現状を話しておくと

今4人の子ども達は私の元に2人、S男の元に2人と、別れて住んでいる。

なぜそんな状況になったのか。
自分でもこんな未来が来ることは考えもしなかった。

ただひとつ言えるのは、人生は何が起こるか分からないということだ。

だからこそ、生きるのはおもしろい!💫


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