2/3 19世紀末〜20世紀初頭の芸術好き好きクラブ

普段は丸一日何もツイートしないなんてこともザラだというのに、一度不在を意識しだすと気になって仕方がなくなったりする。これはあらゆる中毒や依存状態について言えることであろう。

昨日は眠れなかった。飲みに行ったものの健全解散して9時過ぎには帰宅していたというのに、iPhoneのデータ移行やらアプリのダウンロードやらをやっているうちにすっかり酔いが覚めてしまい、朝方5時ごろまで何をするでもなく起きてしまっていた。酔いが中途半端に冷めた状態というのが一番よろしくない。眠れなくなるし、精神状態もダウナーに入りやすい。大切なのは酔いが残った状態で眠りにつくことだ。とはいえ一度酔いが冷めてしまうとそこからさらに飲み直す気分にはなれないので、一度飲み始めたら入眠まで血中アルコール濃度を保ち続ける必要がある。

社内でも不眠が流行っているようだ(口に出したら「不眠」と「不倫」を聞き間違えそうな文章だと思った)。一番暗い時期から比べたら最近はかなりマシになってきた方で、朝9時ごろには外が明るくなりしっかりと朝の気配を感じられるのだが(冬至前後にはもはや昼の気配すらも姿をくらませている)、それでも依然として夜に支配されていることには変わらないで、なかなか体内時計を保ち続けることが難しい。電気をつけたまま寝落ちしてしまった日なんかは最悪だ。
そんな季節なので皆揃って眠れなくなるというのも頷ける。一人が眠れなくて連絡が来てしまったりすると(もちろんこれは即レスを強要するものでは全くないが)頭が冴えて話が盛り上がってしまったりする。こうして不眠は伝播する


朝、職場に行く道すがら、スクリャービンの交響曲第1番を聴いていた。外は細かくて柔らかい雪が降っていた。静かに降り積もる雪の中を歩きながらロシア音楽を聴くのが好きだし、思い込みかもしれないけれど、しっくりする気がする。
そういえば1年近く前にこの曲を実演で聴いたなあなんてことを思い出した。去年はスクリャービンイヤーだったからね。

でも次の瞬間、それが2/24以降であったことが不意に思い出された。みぞおちのあたりが不意に重くなった。
2月に入ったということはもうすぐ1年ということは頭ではわかっている。そんなことは誰でもわかる。それでもまたあの時と同じ季節が巡ってきたということを肌で感じるとゾッとしてしまうのだ。2月のペテルブルクは「気温は氷点下、雪が降っているけれども明るい」。去年も、今年も。

それでもスクリャービンの1番は大好きだ。スクリャービンの前期・中期作品(殊管弦楽曲)はもっと注目されてもいいのではないだろうか(スクリャービンが学位論文のテーマの友人がいるので適当なことを書いたら怒られそうだけれど)。1番は私は大好きだけど人に薦めるかと言われたら微妙なので、ここには無難に3番とピアノコンチェルトがいいよね、などと書いておく。

一番のお気に入りポイントは6楽章の最後のフーガ、«Слава искусству, Во веки слава(芸術に栄光あれ、永遠の栄光を)» という歌詞で延々にフーガが繰り返される。もうこれがシンボリズム盛り盛りで、そういうところが19世紀末〜20世紀初頭の芸術好き好きクラブ(?)の私にとってはたまらないのだ。

スクリャービンの交響曲は5曲全部繋がっているというか、5曲でひとつの作品ような気がする。気がするだけ、根拠とかはない。これについても専門家の手前適当なことは言えない。

ちなみに耳がエケチェンなので、スクリャービンは1905年くらいまでの作品が好き。ピアノソナタだと5番くらいまで。

睡眠不足のおかげで疲労感がすごい。金曜の夜なので今週一週間頑張って乗り切った感じになっているけど、実際のところ今週が特にハードだったわけでも何か頑張ったわけでもない。それでも謎によっこいしょ感が出てしまったので、ひとりで家でワイン晩酌をしている。「たまにはいいよね」と言えるほどのことは何もしていない。まあでも、そういうのも、たまにはいいよね。

Twitterは復活しました。

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