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なぜポツダム宣言は「無視」されたか
夏になると先の戦争に関する本を読みたくなる。木村朗さんの代表的著書である
核の戦後史に出ていたポツダム宣言の4つの罠について書き残しておきます。
ポツダム宣言は日本に無条件降伏を迫る文書だったが、日本はその意図を読み取れなかったうえ、適切に対応できず、原爆投下を招いたとされている。
さて本書はどう解説しているのか。
まず、ポツダム宣言に隠された4つの罠があったとしている。
1 天皇制容認の記述無し
当時の日本が、敗戦受け入れの条件としていた天皇制存続の記述がなかった。アメリカは、これがカギを握る問題であることを知りながら、意図的に削除したと考えられる
2 短波放送による伝達
ポツダム宣言は通常の外交文書とは異なり、短波放送を通じて伝達された。このため、日本の政策決定者たちはこの宣言をどれくらい真剣に受け止めるべきか判断に迷った。
これが、宣言を軽く見させる効果をもたらした。
3 ソ連の不参加
ポツダム宣言はソ連が参加していない状態で発表された。この段階でソ連は日本の交戦国ではなかったからだ。これにより、宣言の信頼性や正当性に疑念を抱かせる一因となった。
日本はソ連を通じた和平工作も進めており、ポツダム宣言受け入れを戸惑わせた。
4 回答期限の不明確さ
ポツダム宣言には具体的な回答期限が設けられておらず、これが日本側をさらに当惑させた。この不明確さが、宣言に対する日本の反応を曖昧にする要因となった。
「拒否」と訳された事情
ポツダム宣言に対する日本の公式な態度は「ノーコメント」だったが、これがメディアで翻訳される過程で「黙殺」から「無視」、さらに「拒否」に変容した。そもそも日本側の曖昧な姿勢が原因だった。
この変化は、特にアメリカで広まった解釈であり、鈴木首相が記者会見で述べたコメントが日本政府の正式な回答と見なされたことによる。
注 ポツダム宣言
1945年(昭和20)7月に開かれたポツダム会談で協議されたうえ、同年7月26日、米英中三国政府首脳の連名で日本に対して発せられた降伏勧告の宣言。この宣言は全部で13項からなり、日本がこのまま戦争を継続すれば日本の国土は完全に荒廃してしまうこと(3項)、いまや日本は壊滅への道を続けるかそれとも理性の道を歩むかを決定すべきであること(4項)を述べ、連合国が要求する戦争終結の条件として次のものを掲げている。
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