白人至上主義から、反差別論者へ ある若者の軌跡
以下の内容は、https://www.newsweek.com/i-future-white-nationalism-quitting-death-1899226
などを参考にしています。
デレク・ブラックは、アメリカの白人至上主義運動の指導者の子として育ちました。
しかし、その幼少期は多くの人が想像するものとは異なっていました。デレクは人種的に多様な南フロリダの都市部で育ち、ユダヤ人人口が多い地域でした。
学校では非白人の友人もいましたが、同時に家族のイデオロギーと周囲のコミュニティとの間で葛藤を感じていました
9歳の時、両親はデレクをホームスクールに移行させました。両親は人種的に多様な環境や、彼らが国内にいるべきではないと考える人々と交わることを望まなかったためです。
しかし、デレクは南フロリダに住み続け、課外活動やボランティア活動を通じて周囲の人々と関わり続けました
デレクは家族のイデオロギーを信じ、その最大の支持者になりたいと思う一方で、周囲の人々を排除したくないという矛盾した感情を抱えていました。
10歳の時には、父親の白人至上主義ウェブサイト「Stormfront」に子供向けのページを作成しました。このページを通じて多くのメールを受け取りましたが、その多くはデレクの行動に反発しており、激しい憎悪に満ちたものでした。
大学生活は、デレクの価値観に大きな変化をもたらしました。フロリダの700人しか学生のいない小さなリベラルアーツ大学に入学したデレクは、当初は自分の信念に自信を持っていました。
しかし、多様な友人関係を築く中で、特にユダヤ人の友人の安息日の夕食会に参加するようになってから、徐々に考え方が変化していきました。
大学での経験を通じて、デレクは白人至上主義イデオロギーの問題点に気づき始めました。友人たちとの深い関係性が、これまで考慮したくなかった他の視点や事実を受け入れる能力に影響を与えました。
最終的に、デレクは白人至上主義が単なる人種差別であり、科学的に容易に反証できることを認識するに至りました。
この変化の過程で、デレクは家族や白人至上主義コミュニティとの関係に苦悩しました。特に父親との関係は複雑で、デレクのイデオロギーからの離脱に対して深い失望と衝撃を示しました。
しかし、両親は関係を維持することを選択し、現在でも休日や誕生日には連絡を取り合っています。
デレクは現在、反人種差別の活動家として活動しています。
今年5月、自分の半生を、自分の言葉で綴った自伝も出版しました。それがこのブログの最初に掲げた写真です。「THE KLANS MAN'S SON」(白人至上主義者の息子)。
米国の大統領選では移民政策が焦点の1つです。彼は白人至上主義運動が潜在的に広く存在していることを認識し、自身の経験を共有する責任を感じています。
最近、デレクはトランスジェンダーであることを公表しました。子供の頃から自分の性に違和感を感じており、ジェンダーについて考えてきたものの、自分自身や周囲の人々に認めるまでに長い時間がかかりました。
デレクの経験は、深く根付いた信念を変えることの難しさと、同時にそれが可能であることを示しています。
彼は、人々の根本的な考え方の変化が稀である理由を、それがアイデンティティやコミュニティとの結びつきに基づいているためだと説明しています。
またデレクは、単に議論や事実を提示するだけでなく、人々が大切にする関係性を再評価することが、真の変化をもたらすために重要だと強調しています。
彼は自分の過去を恥じることなく、真の自分として生きることを選択しました。彼の経験は、個人が人生のどの時点でも根本的に世界観を変えることができることを証明していますが、同時にそれが非常に困難で孤立感を伴う過程であることも示しています。
これは私の感想です。よい友人と交わると、偏見が消え、多様性を認めることができるようになる。デレクの歩みはそれを教えてくれている。
インタビューの最後の言葉が印象的です。
Living as who I am is incredibly important to me.
私らしく生きることがとても大切なのです。
デレクの物語は、「多様性の科学」マシュー・サイド著でも詳しく紹介されています。