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バルビローリのシベリウス:第5交響曲 ハレ管弦楽団(1966)

第1楽章の前半部分の空気が忘れがたい。バルビローリの演奏は少しだけ湿度を感じる。

何回も、さまざまなレベルでの光と影の交替があるが、この演奏では、影の輪郭は少しぼやけている。 (例えばパーヴォ・ヤルヴィの陰影に富んだ演奏に比べた場合。)

けれども、その感覚の生々しさではバルビローリの演奏がもっとも強烈のように思える。 空気の「厚み」のようなものが変化し、視界が少し歪むような感覚や、光のちらつき加減などを 感じるのはバルビローリの演奏が強烈だと思う。普通に風景の中に立っている主体の身体感覚が 音になっているようだ。

そして第3楽章。あくまで視点は変わらない。いきなり見上げたり、俯瞰したりすることはなく、 地面に足をつけて立ったまま、地平線を眺めるような感じ。

第6交響曲、第7交響曲の世界がそこまで来ているのは、バルビローリの演奏とて 同じことだが、ことさら(今日ある種の演奏について言われもする)「宇宙的」な神秘感が 漂うのではなく、寧ろ主観が風景のなかで圧倒されて我を失いかかる、目眩のような経験に 似ている気がする。それはあくまで私的な経験であって、何か別のものに還元されたりはしない。 言ってみれば、主観が風景を感受する過程がバルビローリのシベリウスなのだ。あるいは、それは、 シベリウスが楽譜に封じ込めた風景をバルビローリが感受したその痕跡なのかもしれない。

(2005 公開, 2024.8.20 noteにて公開)

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