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「鶴川狂言に親しむ会」を観て

「二人袴」山本東次郎・山本則俊・山本則重・山本則秀
「福の神」山本則俊・山本則孝・山本則秀


日頃の多忙に紛れ、休日は休養に充てることを余儀なくされ、様々な催しに足を運ぶことを控えてから久しく、 ここのところ毎年初めのハゲマス会主催の「狂言の会」のみとなっているが、近隣で新設されたホールの?落としで 山本家の狂言が拝見できるとのお誘いを受け、足を運ぶことにした。番組は「二人袴」と「福の神」の二曲、 「福の神」は勿論だが、「二人袴」もまた婿入り祝言にちなんだ曲であり、如何にもこけら落としに相応しい。 疲れ切った体で見所に長時間居ることに些かの懸念があったが、幸いにして杞憂で、拝見している最中は 体調を忘れて集中することができた充実した舞台であった。

「二人袴」はともすれば滑稽味が強調され、どたばたした笑劇と化すこともあるのだろうが、山本家の上演では、 音楽的ともいえるようなリズム感に溢れ、反復の中で変化がおき、話が展開していく全体の構成が鮮明に 浮かび上がる点で際立っている。一例を挙げれば、曲頭の名乗りで則俊さんが名乗るときの「このあたり」と、 東次郎さんが出てきて名乗るときの「このあたり」は別の場所であり、何もない舞台ではあるが、舅と太郎冠者が 対話する家と親と婿が対話する家の違いがきちんと判ってしまうのは単に装束の差に基づく視覚的な効果に 由来するのではない。同様にして道行の後、婿と親が舅の家に着いたとき、舅の家の立派さは婿の詞によって のみ見所に伝わるのではない。細かい詞の語り方の工夫や一見さりげない所作がリアリティを形作り、その リアリティがあればこそ、格上の舅に対して体面を何とか取り繕おうとする親の心理が鮮明に浮かび上がるのだろう。

同様に、曲中のどこをとっても弛緩することなく、澱みなく展開していくように感じられるのは、実際には、段落毎に微妙な 間合いでテンポの変化をつけていく東次郎さんの絶妙なリードによるものと思われる。(比較は酷であるとは思うが、 「福の神」の出だしの若手二人のやりとりは、申し分なく立派なものではあるが、些か単調に陥る恨みがあるのを 拝見して、改めて東次郎さんのリードの巧みさを感じずにはいられなかったのは事実である。)あるいはまた、 袴を息子に着けさせ、今度は自分が着けてを繰り返すのは、見所から拝見する分には滑稽なのだが、 実際には詞のリズムを壊さずに装束を着せて、それでいてばたばたした感じを全く与えないのは確かな技術あってのことと 推察され、私は寧ろその手際の良さに見入ってしまった程である。

その後も、二人揃って出なくてはならなくなったときの狼狽ぶり(扇を落とす所作が鮮明)、二人で舅に体面した折の 心の動きの細やかな表現など、印象に残った点は尽きないが、そうした東次郎さんのみならず、子供っぽさと親依存が 抜けない婿を演じた則秀さん、有徳者に相応しく鷹揚な舅の則俊さん、如何にも有能で気が利く太郎冠者の則重さん それぞれが役の性格を見事に演じており、非常に贅沢な舞台であったと思う。 最後、幕切れになる前に、袴の後ろがないことに気づいたときの舅の則俊さんの笑いの間合いも絶妙で、追い込みに 至るまで完璧といっていい充実した上演だった。

休憩後の「福の神」は、やはり則俊さんのシテによる奇跡的といって良い上演を私は既に拝見している。 喜多流の香川靖嗣さんがこれも圧倒的な「道成寺」を舞った2009年の「第24回二人の会」の際の上演であり、 その折の感想も別に記録に残している。その時にも書いたことだが、奉納の色合いの強いこのような作品を 山本家が演じると、そうした作品が狂言ならではのおかしみを備えつつ、愉悦感に富みながら、高い品格と 磨きぬかれた様式性をもって見所を惹きつけて離さない魅力を備えていることが圧倒的な説得力をもって感じられる。 ?落としの番組としては最高の選曲であると思う。

今回の上演も前回に劣らぬ素晴らしいものだったが、今回はとりわけアド2人が同じ所作をするところの型の対称性の 美しさと、その祈りに応えて福の神が橋掛りを渡って登場する場面の神々しさが印象的であった。能舞台での上演では ないので、通常の舞台に欄干と松を置いた簡単なもので、長さも短いのだがそうしたことを忘れさせてしまうほどの 存在感であった。幸福になるには元手がいるのだが、それは心の持ち様のことだと福の神が語った後、地謡の謡に 合せて福の神が舞う姿も堂々として、それでいてどこかに軽みがきちんと残っており、観る者を晴々とした清々しい 気持ちにさせる。最後に笑って留め、今度は飄々と橋掛りを去っていき、舞台に誰もいなくなった後も最後の笑いの 残響が舞台に、見所に残っているような気がして、公演終了のアナウンスが流れた後も余韻を味わうかのように 中々席を立たない中、私は見所がざわめいてその気配が四散しないうちに急いで会場を後にさせていただくことにした。

(2012.10.21, 2024.12.7 noteにて公開)

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