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バルビローリのブラームス:第3交響曲・ウィーンフィル(1967)

 もし、バルビローリのブラームスの中で最もその特質が良く出たものを挙げると なれば、第3交響曲の演奏を挙げることについて多くの人が賛成するのではと思う。 バルビローリの演奏を必ずしも好まない人でも、この演奏の持つ他の追随を許さない 特徴には一目措かざるを得ないのではなかろうか。そしてそれには第3交響曲自体の 特性が大きく与っているように思われる。

 この曲はブラームスの意識的に身につけた身振りよりも、より基層の 資質があらわで、それゆえ「いつものやり方で」無難に仕上げようとする類の技術的な 対処に対して最も頑強に抵抗するように思える。この曲が難曲といわれるのも、そうした 側面が与っているのではないかと考えている。そして、そういう特質がバルビローリの 解釈の方向性に合致しているのではなかろうか。

 第3交響曲こそ「自由にしかし孤独に」というブラームスの言葉に忠実に、 音楽自体が道なき道をさすらうのだ。そしてバルビローリの演奏はその彷徨にこの上も無く 忠実につき従う。聴き手はその彷徨の寄る辺なさを第4楽章において全身で 受け止めなくてはならない。第4楽章のコーダでは音楽が朧げに浮かぶ自分自身の 影を垣間見て、しかしそこに辿り着くことなく横たわる。聴き手は沈黙をもって その結末を見届けるしかない。これはブラームスではない、という人が居るかも 知れない。しかしそういう人でも、聴き手にとってこれが稀有な経験であることに ついては否定はしないだろう。

(2005.1公開, 2024.8.19 noteにて公開)

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