ハゲマス会「第7回狂言の会」を観て
「附子」 山本則重・山本則俊・山本則秀
小謡「お茶の水」山本則直・山本則俊
小舞「祐善」 山本則秀
ハゲマス会という名称で、狂言大蔵流山本家の山本則俊さんを中心とする会が開かれる というので拝見することにした。5月23日、場所は麻生区民ホール。仮設舞台での公演。 番組は附子、惣八、御田に、小謡・小舞と囃方による楽がつくというもの。 山本則俊さんは、藤戸のアイと水掛聟という今まで観た間狂言、本狂言それぞれ 最も印象に残っている舞台をつとめられていて、期待して出かけた。
狂言の会というのは実のところ初めてだったが、観てみて感じたのは、能との 組み合わせで観るのに比べて、観るときの気持ちの切り替えのようなものが 難しいということだったが、この点については後述する。
最も印象に残ったのは「附子」。「附子」は有名だが実演は二度目。
しかし、これは圧倒的だった。まず何よりも、姿勢の美しさ、どのような 写実的な部分でも様式性を感じることができて、ため息が出るほどである。 印象に残った部分を挙げればきりがないが、たとえば扇であおぐ部分を はじめとして、二度繰り返されるということがとても多いのだが、 その反復の正確さと均整さが観ていてわくわくするほどである。 また、詞が謡になる部分の謡の緊張感を湛えた美しさも印象的で、 それだけにその詞の内容のばからしさに苦笑できるのだ。演劇的な 側面では特に、冒頭、主が毒をおいて一人で出かけると言ったときの、 太郎冠者・次郎冠者の反応と、思わぬ突込みを受けてたじろぐ主の 反応が、そうした様式に支えられながら描き出されたこと、そして、 それに呼応するように、大事な茶道具を壊されたばかりか、毒と偽った 黒砂糖も食べ尽くされたと知ったときの主の反応が印象的だった。 最後の追い込みは、本当に怒って追い回しているのではなく、自分の 嘘が見抜かれたことに対するやり場のない気まずさとないまぜになって いるのだ、ということがはっきりと感じられ、話としても大変に彫りの 深いものであるという印象を持った。
とここまでで大変に感動してしまったせいもあり(率直なところ 一番でこれだけ面白ければ、もうお腹いっぱいなくらいである)、 その後は正直に言えば、小謡・小舞を別として「附子」を超える印象は 持つことができなかった。上述の狂言の会の観かたの難しさを感じた というのはこのことで、恐らく見慣れた方なら感じられる曲毎の コントラストをうまく受け止めることができなったのではないかと 思っている。能の場合は三番でも五番組を略した番組になるので、 それなりの観るリズムというのがあるのだが、狂言三番ははじめてで そこがうまく掴めなかったのが残念であった。
「惣八」については、かつて別の流儀で観たのが実に直截におかしくて 大変に印象的だったことがあり、個人的な事情でどうしてもそれとの 比較になってしまうのだが、全体としては話の内容のためか、山本家の 狂言としては飄逸でくだけた感じがして、こちらが先入観を持っていたせいか、 何かはぐらかされたような印象を持った。また些細なことだが、途中せりふの 間違いがあって、そのせいでか流れが一瞬切れてしまったのが残念だった。 勿論、くずして笑劇として演じるのであればハプニングであるとして、 気にせずに観れるのかもしれないが、能同様、緊張感と様式性が前面に出る やり方の場合、こうした細かいことで印象が変わってしまうという難しさを感じた。
休憩の後の小謡・小舞の面白さは抜群である。私は素人なので技術的なことは わからないながら、その面白さの拠ってたつものは結局のところ、技術的な正確さと 精神的な緊張感ではないかという感じをはっきりと思った。とりわけ印象的 だったのは小謡もさることながら、小舞を支える謡のうまさで、そのせいもあってか 内容的には「祐善」が抜群に面白く感じられた。個人的には最も観たい狂言のひとつが 「通円」であるくらいで、能がかりの狂言のほろ苦いおかしみみたいなものが 非常に好きなので、「祐善」もまた、是非、狂言も観てみたいと感じた。 能の会ではまずかかることがないだろうから、こうした狂言の会で 取り上げていただきたいと願っている。
再び休憩を挟んだ後半は、囃方による盤渉楽と「御田」。なんとなく盤渉は水の イメージがあって、田植えの神事の狂言の前なのでなのかと勝手な想像を 巡らしながら観たが、番組構成の真意はどうなのだろうか?機会があれば、 是非、お話を伺いたい部分である。楽は爽快感があり、体が内側から 温まってくるような感覚があって好きなのだが、当日の演奏は水のような 透明感という点では残念ながらあまりぴんとこなかった。
そうした囃方へののりきれなさのような感覚を残念なことに「御田」にも ひきずってしまったせいで、「御田」も話に引き込まれるというよりは、 田植えの神事のなりゆきを少し距離をおいて見物するという感じになった。
これで二時間半、観終えて結構くたくたになったが、快い疲れで久しぶりに 晩はぐっすりと眠ることができた。観慣れないせいもあって、印象が散漫に なった箇所もあり、残念な部分もあったが、全体としては、山本家の狂言の すばらしさを味わうことができ、またこういう機会があれば是非、観に行きたいと 思っている。繰り返しになるが、とりわけ能がかりの狂言を山本家で観ることが できたら、と思わずにいられない。
(2004.5.25, 2024..6.26 noteにて公開)
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