第93回川崎市定期能で「名取川」を観て
「名取川」山本則重・山本則孝
第93回川崎市定期能は「若手能」と題して、狂言・能とも若手のみによる番組となったが、その第1部の狂言を 山本則重さんが演じられると聞いて、梅雨明けの強烈な陽射しの中、久しぶりの川崎能楽堂に足を運ぶ。 番組は「名取川」。シテが則重さんでアドが則孝さん。場所も同じ川崎能楽堂で則直さんの「名取川」を 拝見したのが1998年。初めて川崎能楽堂に足を運んで最初に拝見してからもう13年も経過しているというのは 些か信じがたい。その一方で、震災の直後に香川靖嗣さんの会であの「朝長」とともに「鱸包丁」を東次郎さん、 則重さんで拝見してからまだ3ヶ月しか経過していないというのもまた俄には信じがたい。そうした奇妙な時間の 感覚の中で拝見した今回の「名取川」は、そうしたパースペクティブの歪みを拭い去ってくれる素晴らしいものであったので、 以下に感想を書き留めておきたい。
「名取川」は叡山で授戒し、名を授けられた僧の話である。彼は1つだけではなく、替えの名も併せて2つの名を 与えられるが、自分の名を覚えられない。そのために経や平家節、踊り節といった曲にのせて名を唱えたりするが、 その名も「名取川」という川を渡る折、名を2つとも忘れてしまう。そればかりか覚えにと両袖に書き付けてもらった 名をも水に流してしまい、慌てて名を掬おうとやっきになっているところに通りがかった「名取の某」に名を返せと 無理難題をふっかけているうちに、「名取の某」が口走る言葉をきっかけに、2つの名を取り戻すといった話である。
名を流してしまうまでは実質的にはシテの一人芝居だし、経、平家節、踊り節といった芸尽くしの側面が あるかと思えば、名取川で流される様を高度に様式化された型で表現することも求められ、シテにとっては非常に 負荷の高い曲に違いないのだが、近年の則重さんはそうしたことを感じさせず、寧ろ体全体から迸り出るような 気迫をもって見所を圧倒しつつ、高い緊張感を維持したまま終曲まで演じ切ってしまう。まずはその充実ぶりに 改めて触れ、こちらまで清々しい気分になるのを感じる。
高い緊張感を保ったままとはいえ、語りわけ、節の変化、所作の緩急は鮮やかで、型も鮮やかに決まって細部も 疎かになることがない。自然と型そのものが見所の笑いを惹き起こすのは見事であり、それは私の手前に席に座って 見ていた子供が型に反応してある時には笑い、ある時には感嘆していたことからも伺えたように思う。
そうした演技の充実もあって、今回はこの作品で提示される「名前」に纏わる様々なテーマが自ずと浮かび上がって 来るように感じられたことも書き留めておきたい。まずは(当たり前に見えるかも知れないが)「名」が他者から 与えられること、アイデンティティに纏わる他者からの一方的な贈与の問題、そしてこの「名取川」について言えば、 そもそもそうして贈与される「名」が一つではなく、「替え」が与えられたこと、即ち複数の名(別名、綽名、芸名、 更には偽名などなどといった「替え」の効果)が孕む問題、そもそも何故2つなのかの経緯を説明する語りの内容に 秘められているに違いない含意の問題が直ちにつきつけられる。そして作品が進むにつれて(ここでは要約的に、 大急ぎで列挙するに留めざるを得ないが)、文字通り「名」を声に出して、節を付けて唱えることの持つ意味 (「唱名」ないし「称名」のことを思い浮かべれば良い)、名を「流す」、「掬う=救う」という言い回しに含まれる含意、 名を探すことが更に別の他者を(ここでは「名取の某」を)呼び寄せること、つまり「名」を介して「他者」が呼び出されるという構造 (喪われた名は他者によって再度、だが今度は更なる替えの名を贈与されるのではなく、他者の言葉によって、呼び出され、 想起されるという点)といった問題系がまさに数珠繋ぎのように提起されるのに直面する。 そして更に改めて作品全体を振替えれば(偶然とは私には思えないのだが)作品の中で名を持っているのがシテの僧のみであり、 しかも過剰に(2つも)持っていることの意味(「名取の某」はもしかしたら名を持っているのかも知れないが、 少なくとも作品上は略されてしまっているのは確かだ。そして「名取川」は、一つの名、川の名なのだろうか。 「名取」は場所の名、地名なのか、それらとここで喪われ、救われる「固有名」は別のものなのではないかといった派生する問いも含めて)、 その一方でシテの名が他者によって用いられること、即ちその名によってシテが呼ばれることが一度も生じないこと(名取の某は シテの名を知っていて、シテにその名によって呼びかけたのではないことに注意しよう)と、シテが名を自分では覚えられないこととの 関係といった問題系に気付かざるを得ない。 ここでそれらを充分に展開し分析することはできないが、こうした固有名に纏わる膨大な問題系が紛れもなく、拝見した演技によって 惹き起こされたある種の効果であることは間違いないし、そうしたことは演技の充実なしに起きることがないことは明らかなことだろう。
勿論、20分を超える長丁場ではあり、作品の巨視的な構造の把握を、あるいはパート毎の緩急の変化によって 緊張感を弛緩させることなく示したり、あるいは各部分の句読点の打ち方や次の部分に移るときの息継ぎの微妙な 間合いによって示すといった点についていえば、今後更なる進境を期待すべき点もあるだろう。更に言えば山本家の 狂言の持つあの音楽的とも形容できる形式美について言えば、今のところそれが基本的な詞や謡、所作や舞の型の 楷書体の規矩の正しさといった側面によって示されているに留まり、より大きな流れの把握の自在さ、アドとのバランス、 対位の妙による立体感が不足する憾み無しとはしないかも知れない。
だがそうした点も、現実の舞台のあの充実を前にすればさしあたりは副次的なことに感じられてしまう。 恐らくは、未知の作品であってさえ見所が全曲のどの辺にいるのかがわかってしまう、則俊さんのあの絶妙の 間合いは、現在の則重さんのこの高い緊張感が貫かれた向こうにあるのであって、何か計算して意識的に「抜く」 ような賢しらさをもって手前に戻ることによっては決して獲得できないのではないかと感じられる。「型」と表現の 関係にしても同じことで、表現は「型」の充実の向こうに自ずと現れるものであって、「型」を表現の手段として 見做すような姿勢からは何も出てこないのだろう。伝統が培ってきた「型」の重みに耐え、拮抗するのは若手には 大変なことに違いなく、誰でも出来ることではないのは疑問の余地がないように見えるのだが、その中で則重さんが それを見事に達成しているのは本当に素晴らしいことだと思う。
10年の経過の方は、山本家の狂言が世代を跨いでかくも確かな形で継承されていることを認識することによって、 3ヶ月の経過の方は、近年の則重さんの充実ぶりを改めて確認したことによって、特に震災の後、歪む一方であった 時間に関する距離感がやっと正常に戻ったように私には感じられる。かくして私はここにも、同じ時代に、同じ場所に 生きるものとして、その跡を辿り続けるべきものがあることを再認したように思う。あたうことならば、また何年かの後に もう一度、則重さんの「名取川」を拝見したいと思わずにはいられない。かつまた、今後も機会があれば折にふれ、 山本家の狂言を拝見し続けていきたいと思いつつ能楽堂を後にした。
(2011.7.17初稿, 24加筆, 12.24修正, 2024.11.23 noteにて公開)