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証言:ヴァルターの「マーラー」のマーラーの頭痛についてのコメント

ヴァルターの「マーラー」のマーラーの頭痛についてのコメント(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.27--28, 邦訳pp.36--37)

Und wie schlecht hätte es dabei gehen können! Mahler litt ab und zu an einer Migräne, deren Heftigkeit ganz der Vehemenz seiner Natur entsprach und die alle seine Kräfte paralysierte; heirbei gab es für ihn nichts anderes als ein ohnmachtsähnliches Daliegen. Im Jahr 1900, kurz von einem Konzert mit den Wiener Philharmonikern in Pariser Trocadero, lag er wirklich so lange in solcher Ohnmacht, daß das Konzert um eine halbe Stunde später beginnen mußte und von ihm mir mit Mühe zu Ende geführt werden konnte. Hier in Berlin nun hatte er im Grunde sein künftiges Schicksal als Komponist unter schweren Opfern auf eine Karte gezetzt, und da lag er mit einer der schwersten Migränen seines Lebens am Nachmittag vor dem Konzert, unfähig, sich zu rühren oder etwas zu sich zu nehmen. Noch sehe ich ihn darnach vor mir auf der viel zu hoch aufgebauten unsicheren Dirigentenplattform, totenbleich, mit übermenschlichem Willensaufwand sein Leiden, Mitwirkende und Hörer bezwingend. (...)

だが、なんと物事は不幸に展開するのであろう。マーラーはおりおり激しい頭痛に悩まされ、その激しさは彼の情熱と正比例していた。一度頭痛が起ると全く麻痺したようになって、何もできなくなってしまうのである。ただ卒倒したように静かに横になっているよりほか手のつくしようがなかった。一九〇〇年、パリのトロカデロで行われた、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会の直前にも、この昏睡状態が起って、演奏を三十分延期して、やっと最後まで続けたようなことがあったが、かれがすべてを犠牲にして、作曲家としての活動に全生命を賭けたベルリンにおける演奏会前の午後に、かれの生涯中で最もひどい頭痛の発作に襲われてしまった。かれは身動きひとつできなかったが、やっとのことで、やや高過ぎる不安定な指揮台に立って、死人のように青ざめた姿で、超人的な意志力をもって苦痛をおさえながら、楽員や歌手や聴衆を引きずって行ったマーラーを、今日でもなおきのうのことのようにはっきりと眼前に描くことができる。(…)

マーラーが多忙な指揮者だったことを思えば、マーラーが激務に耐える程度の体力を維持し、体調管理に気を遣い、己の職責を全うしようとしたことは、私のような平凡な勤め人からすれば いわば自明のことであって、だからマーラーが病気に悩まされたことも、そうした前提あっての話を受け止めるのは当然なのだが、マーラーの健康を巡る議論は、時折、そうした前提を忘れてしまったかの 様相を呈することがあり、私などはそこに寧ろ、そうした議論をしている人間の生活がマーラーのそれと如何に遊離したものであるかを見るような思いすらする程である。マーラーの多忙が 自分のそれの比ではないことは承知の上で、だが、彼我の能力の差を思えば、自我がばらばらに断片化してしまったような感覚を共有している点において主観的に同じような境遇にあって、 だから私にはマーラーのそうした側面が他人事とは思えない。
だがそれだけに一層、職責を果たす上で体調が思わしくない折のマーラーの苦衷を見るにつけ、到底他人事とは思えず同情を禁じえない。私は幸い偏頭痛持ちではないので、偏頭痛が 起きたときの凄まじさを本当に知っているわけではないけれど、そのかわりマーラーに出会った子供の頃からの慢性の強い緊張性頭痛といわば30年近く付き合ってきたし、それが折悪しく、 仕事の山とぶつかったときの辛さを思い起こせば、マーラーの心境を推し量るに、さぞや惨めな、悔しい思いをしたことであろうと思う。痛みは純粋に主観的な質であって、他人が感じることはできない。 いくら同情したところで、本当のところはわかりはしないのだ。それでも同情は、全くの無ではない。上記のような文章を後世に伝えたヴァルターのような人間の存在は、マーラーにとってさぞや慰めに なったに違いない。そして何より上記の文章はマーラーの死後も、ヴァルターの死後もなお、このようにしてマーラーを擁護し続けているではないか。
主観的な苦痛などお構いなしに仕事は降ってくるし、言い訳無用、それで成果を上げられなければそれで無能の烙印を押される訳だ。 そしてこれもまたしばしば私にも起き、マーラーに起きたことのようだが、どこが限界なのかがわからず、その手前で留まるべき一線を超えた挙句、身体が精神に追随できなくなってカタストロフが 生じるのも、「自己管理能力の欠如」と見做されるのである。マーラーの周辺の人間がどう思おうと、病のために療養を余儀なくされ指揮台に立てなくなった指揮者を解任して何が悪いかと言われれば、 返す言葉はないのだし、周囲の人間よりも寧ろマーラー自身が、有能な管理職として一番それをよく自覚していたのではなかろうか。「こんなに頑張って、倒れました」と言ったところで誰も同情などしない。 自分の限界をわきまえない方が悪いのだ。「何故もっと早くに言わないんだ。早めに言えと言っただろう。」というわけだ。
そして勿論、それは仕方ないことなのだ。なぜなら成果を上げること、仕事を止めないことはやはり必要なことであって、立場が変われば、マーラーも私も、自分の部下には同じような要求を、 その人間の心理状態や体調を慮りつつ、それでもなおせざるを得ないだろうから。要するにお互い様というわけだ。だからマーラーだって、気心が知れた人には愚痴の一つも言っただろうが、 職場で面と向かっては文句は言わなかっただろう。本当に無能で出来ないのも、身体が悲鳴を挙げてダウンするのも、成果が上がらないという結果だけ見れば同じなのだ、 ということをマーラーだって知悉していただろう。しかもマーラーは稼がなくても困らない身分の出自ではなかったから、「さっさと降りる」ことなど怖くてできなかっただろう。 そうした行動の様式は、そんなに簡単には変わらない。かくして「いつだめになるか」と自分でもはらはらしつつ、へとへとになって「もうだめだ」と思いながらも、だが「行進し続けなくてはならない」。 「起床合図」の兵卒のように。
そしてまた「世の成り行き」の裡で、その規範に従って生きる人、有能に事を成し遂げる人たちの価値は、それが己のそれとは決して交わらず、収斂することがなかったとしても、 蔑んだり、否定したりすべきではない。己の価値の体系の優位をア・プリオリに主張することなどどうして出来ようか。もし論争するとすれば寧ろ立証責任はこちらにあることを忘れて、 あたかも自分が世俗を離れた高みにいると錯視するのは滑稽なことだ。そしてそうした「上品な趣味」からは蔑まれるマーラー自身は、そうした滑稽さを見抜くだけの批判的な知性の 持ち主であったことは、遺された証言が、何よりもその音楽が語っている。そして断固として私はマーラーの側につきたいと思う。
だがそれでも、強烈な吐き気を催すような頭痛をごまかしつつ、一週間通して一日のほとんどを職責を果たすべく費やすのは何ともいえない気分ではある。「世の成り行き」という言葉の実質、 第9交響曲のロンド・ブルレスケや第10交響曲の煉獄、第5交響曲の第1部や第6交響曲の行進曲が、歌曲「起床合図」のあの絶望が、大地の歌の冒頭楽章の自棄がまさに自分のこととして 思われてならない。マーラーの音楽では、あろうことか、主観的で伝達不可能な筈の痛みとか苦しみ、身を引き裂かれるような悲しみの伝達が可能であるかのようなのだ。勿論、それが 錯覚に等しい、ほとんど無に近いものであることだってわかっている。「大地の歌」の第6楽章の歌詞のように倦み疲れ果てて家路につき、マーラーの遺した音楽を聴くときにちっぽけな 私の脳内に起きることなど、これっぽっちの意義などないのはわかっている。だがそれでも私にはそれが必要なのだ。意識の、主観性の擁護をしてくれる同伴者が。
芸術を自分が抱えたストレスを紛らわす道具をして用いるなんて何と低級な聴取のあり方よ、と謗られても仕方ない。マーラーの音楽には希望が、今ここには端的に 存在しないものとして、自分が体験できないものとして、仮象として存在する。そうしたものを甘く退嬰的なものとして否定することは、だが私にはできない。まずもってこんな私にとって、 そうしたものが無ければ、到底やっていけないから。そうしたもの無しでやっていける程私はタフではない。意識は目覚めている。だが意識が存続するために眠りは必要なのだし、 「世の成り行き」とは別の何かの幻影が必要なのだ。そしてそれらは二つながら自分の心の奥底の別の部屋(ここで私はまたしても、ジェインズの二院制の心を思い浮かべている)に 繋がっているに違いない。覚醒し続け、外の暴力に抗い続け、告発を続けること、現実を見つめるシビアな姿勢は顕揚さるべきだろうが、それはまずもって自ら「世の成り行き」と 化すことに繋がりはしないかという懸念もあれば、それ以上に、意識の賢しらさが嘲笑される瞬間にふと垣間見える深淵、意識の手前にある領域の存在を私は知っているゆえ、 そうした「別の部屋」への通路を持たない音楽は、それが非人間的で超越的な秩序の反映だろうが、人間の愚行と野蛮の歴史の告発であろうが、結局のところ、自分の外で 響くものでしかない。
そして勿論、マーラーが職場でそんなことはおくびにも出さなかったように、私も職場ではそんなことを漏らしたりはしない。「世の成り行き」に唾を吐き掛けたって仕方ないのだ。 私の精神の圏、領域はそことは交わらない、どこか別の次元に開けている。私にはマーラーが自分の人生は紙切れだった、と言った気持ちが私なりにわかるような気がする。 私のような人間だってそう言ってみたい気分に囚われるのだから、マーラーがそう言ったことを咎めることなど到底できないだろう。けれどもその一方で、マーラーの音楽を聴くとき、 「世の成り行き」に優る何かが存在していること、私の脳内の頼りない幻影ではなく、世代を超えるミームとして存続し、そのようにして永遠性へと漸近しうることを確認する。 アドルノが言うとおり、マーラーの音楽は私のようなものにも手を差し伸べてくれる。私もマーラーの音楽ともに行進する「目覚めたもの=幽霊」の一人なのだ。

(2010.7.10 執筆・公開, 2024.8.11 邦訳を追記。2024.9.20 noteにて公開)


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