「第8回香川靖嗣の会」
狂言「茶壷」
シテ・山本則俊
アド・山本則重
アド・山本凛太郎
山本則俊さん、則重さんの公演は、毎年1月末に「ハゲマス会」という狂言の会が 在所の近隣であって、可能な限り欠かさず拝見していたのが、今年は予定が立たずに拝見できなかったこともあり、 今年初めて拝見する舞台が、3ヶ月遅れではあるけれど、それでも山本則俊さん、則重さんの演ずる舞台であることは、 何か不思議な感じで、私個人の力では及ばない部分の辻褄を合わせてもらっているような気持ちで拝見した。
「茶壷」は初めて拝見するが、則重さん演じる男の背負う茶壷を則俊さん演じるシテのすっぱが奪おうと企んで、 どちらの言い分が正しいかを判断する役回りとなった目代(幼少の折から拝見しているから凛太郎君という 呼び方になってしまうが、今や立派な若者である)の質問に対して、男の言うことをその場で記憶して模倣していくことを 劇の構成の骨子とした作品である。
山本家の狂言ならではの、男とすっぱの二人の交替がしながら反復していくリズムが快い。 しかも反復も単純な反復ではなく、きちんと差異も書き込まれていて、そのずれを伴った繰り返しの効果がこれもまた素晴らしく、 目代の質問に答えるうちに織り込まれている謡も舞も鮮やかで、言葉と所作だけでかくも輪郭のはっきりとした 手応えのある時間と空間を築くことができるその技量に圧倒される。特に、時に詞をしどろもどろなように、時に 所作をたどたどしく見せて、則重さんの男のそれを微妙に崩しながら、確実に見所の笑いを引き出しつつ、 それでも形式的な美しさを壊すことなく対比と反復を描き出す則俊さんの演技の絶妙のバランスには、 狂言の芸の奥行きの深さを感じずにはいられない。
そうした音楽的とも呼べる流れがあればこそ、筋書きの持つイロニーもまた鮮明になる。結末は目代が、 「論ずる者は中より取れ」ということわざの出鱈目な解釈を口実に、茶壷を持ち逃げするのを、男とすっぱが 二人して追い込んで幕というもので、ずるさにおいて目代の方が一枚上手だったという、或る意味では これが現実だとしたらやりきれないような毒をもった話なのだが、その中にあっても、もともとすっぱに茶壷を 奪われかけていた男はともかく、自分のものではないはずのすっぱまでが(自分のものになるはずだった からか、あるいは自分のものであると半ば思い込んでか)仲良く二人で目代を追うという状況の滑稽さは 直接的な笑いを惹き起こすのではなく、鮮やかな追い込みのリズムに、一瞬、見所がそうしたずれの在り処を 見喪い、錯覚してしまいかねないような形で示されるのである。
だが考えてみれば、そもそも最初に酔いの回った男の証言をしらふの筈のすっぱがそっくりそのまま反復するのを そ知らぬ顔で聞いている時点で、目代は腹に一物持っていたかも知れないのであり、単におかしいだけではない、 心理の綾や、見せ方によってはグロテスクにすらなりうる状況を、舞台の美しさを損なわずに、だが 余すところなく描き出す演者の力量を感じさせる上演であった。これまた些か突飛な連想だが、拝見しつつ、 私は思わずモーツァルトのオペラ・ブッファとの共通性を感じずにはいられなかった。 多義的で至る所に亀裂や断層のある現実を描き出すのに、一見そぐわないかに見える古典的な型こそが、 却って写実的な(まさに芸のない)行きかたに優りうるというのは洋の東西を問わないように感じられたのである。
(2014.4.6 公開, 2024.12.16 noteにて公開)