ブルックナーと「録楽」をめぐって―フランツ・ヴェルザー=メストとクリーヴランド管弦楽団の演奏を視聴して―
フランツ・ヴェルザー=メストがクリーヴランド管弦楽団を指揮したブルックナーの第7交響曲と第5交響曲の録画が放映されているのを 偶々視聴する機会があった。第7交響曲はクリーヴランド管弦楽団の本拠地であるセヴェランス・ホールでの2008年9月25日の演奏会、 第5交響曲はブルックナーゆかりの聖フローリアン修道院での2006年9月12日,13日の演奏を収録したものとのこと。 朝の7時半過ぎから夜の9時過ぎまでオフィスにいて日々の糧を得ることに追われた後のためか、久しぶりにブルックナーを聴くのは、 自分の心の奥底に眠っていた何かを覚醒させるような圧倒的な経験だった。もっとも放送を直接視聴したのは第7交響曲だけで、 第5交響曲は翌朝録画したものを視聴したのだが。
ここで採り上げるのは、だが、その演奏について「批評」したいためではない。そもそも私は偶々視聴したブルックナーの演奏の是非について 判断が下せるほどブルックナーについて知らないし、フランツ・ヴェルザー=メストについてもクリーヴランド管弦楽団についても知らない。 だから、できたとしても彼等の演奏の記録から自分が何を受け止めたかについて語るのがせいぜいで、それを批評する資格などないし、 そもそも自分がそうして文章をWebに書き残すことに何の価値があるとも思えない。例によってそうした「批評」行為は他の、その資格がある人達に おまかせすることにする。にも関わらずここで彼等の演奏の記録に言及するのは、そうではなくてブルックナーと三輪眞弘さんの言う「録楽」、 メディアに録音された音楽を再生して享受することについて、彼等の演奏記録を視聴して思うところが あったからである。殊更にブルックナーという固有名に拘るのは、当然、ここでは「録楽」一般の一例としてブルックナーのそれを論じるのではなく、 寧ろブルックナーの音楽の場合、「録楽」がどのようなものとして自分にとって位置づけられるかの特殊性の方に関心があるが故である。 例えば最近、マーラーのいわゆる「歴史的録音」をまとめて聴き直して、色々なことを感じたし、「フレディーの墓/インターナショナル」という 「録楽」を正面から扱ったフォルマント兄弟(三輪さんはその「兄」である)の作品を体験したときのことは別に書いた。そうした文脈で ブルックナーの音楽のことを考えると、その音楽と「録楽」の関係が、ブルックナーの音楽の持つ「特異性」に相応してやはり特異なものである ような気がしたのだ。(勿論これはブルックナーに限った話ではない、例えばショスタコーヴィチに対してであれば別の距離感、別の受容のスタンスを 持ってその音楽に接しているから、それはそれでその特性に応じて、「録楽」との関係もユニークなものになるのは間違いない。)
予め断っておくと、それがブルックナーだろうがマーラーだろうが、あるいはショスタコーヴィチだろうが「録楽」は「録楽」であるというのは定義上明らかなことはわかっている。 (メディアに記録されたものと実演の区別に意識的なことが明らかな三輪さんや、そうではなくとも電子音楽やミュージック・コンクレート以後の作曲家であるクセナキスや ラッヘンマンの場合には、それほど自明とは限らないようなケースが現われるのだが。)だがその上で、「私」(とはしかし何だろう)とブルックナーの音楽との関わりにおいて、 「録楽」は、例えばマーラーの場合と明らかに異なったものなのである。この文章は、「録楽」問題について何かを主張するというよりは寧ろ、 「録楽」についての或る種の報告の3つ目、マーラーの音楽の「歴史的録音」の場合、フォルマント兄弟の「フレディーの墓/インターナショナル」に続く3つ目の 報告であると言うべきだろうと思う。
例えば吉田秀和さんの作曲家論集(音楽之友社)ではマーラーとブルックナーが1巻に収められている。もともとはそのマーラーについての文章を 読みたくて入手したのだが、いわば「おまけ」のはずだったブルックナーについての文章もまた色々と示唆されることが多いと私は感じている。収録されているのは 世間的にはいわゆる「レコード評」というのがほとんどなのだが、ヨーロッパでクナッパーツブッシュの実演に接した話を始めとして、実演に接した経験に触れられる ことも少なくない。ところで、例えば「第5番の交響曲は、複雑を極めたもので、一度や二度聴いただけでは、とても理解できないのがあたりまえである。 これをくり返し聴くのは辛抱がいあるが、それだけ酬われる仕事である。」という文章に含まれる「くり返し」というのは、具体的には何回くらいが想定されている のだろうか。勿論、この問いそのものの答えが欲しいのではなくて、例えばコンサートだけなら第5交響曲を100回聴くのはとてつもない難事だろうが、 「録楽」で聴くのであれば、決して難しくはない、それどころか私の様なおよそ熱心な聴き手と言えない人間ですら、多分ブルックナーの第5交響曲なら、 初めて聴いて以来、100回くらいは聴いているには違いない、といったようなことをふと思ったのだ。(もっともこれは第5,7,9交響曲あたりについては自信が あるが、ブルックナーであれば他は自信がない。)一方で、音楽を聴くことがいわば「職業」である吉田さんの場合、音楽を聴いてきた時間は私より遥かに多いだろうが、 その一方で私より遥かに多様な音楽に接しているに違いないし、実演に接する機会も多いだろうことを思えば、思い切り局所的に、例えばブルックナーの (あえて第7交響曲ではなくて)第5交響曲を採り上げたら、一体、どれくらいの回数聴かれているのだろう。吉田さんは、ここでは「レコード評」を、つまり 「録楽」を対象に文章を記しているにも関わらず、「一度や二度聴いただけでは」という言い回しは、「録楽」ではなくて、実演を聴くことを暗黙裡に 前提したものであるように私には感じられたのである。
実のところ、それが吉田秀和さんのいう「理解」に達しているかはおくとしても、私にとっては第5交響曲がブルックナーの中では 最も自分の中にきっちりと入っている作品で、緻密で複雑な作品であることは確かだとは思うけれども、わかりにくいということは全くない。寧ろ ブルックナーの他のどの交響曲よりも私には見通しの良い作品だし、最も魅力的な風景を持つ作品だと思っているほどなのである。この曲を 一番最初に聴いたのは、30年ほど前のFM放送で、恐らくはサヴァリッシュが指揮した演奏によってだったと記憶している。良く覚えているのだが、 しばしばあったように、その時に私は途中からこの作品を聴くことになった。第2楽章であの弦による第2主題が今度はピチカートを伴って、調を変えて再現 する、まさにその部分から聴きはじめることに偶然なったのである。それは「啓示」といってよいような強烈な経験で、テープに録音したものを憑かれたように 繰り返し聴いたものだった。だから、それからしばらくしてからヨッフムがバイエルン放送交響楽団と演奏したレコードを入手するまでは、私は第2楽章の 途中からしかない、不完全なかたちでその音楽を聴いていたわけである。「そんなことで何がわかるんだ。曲の途中からなんて、そんな聴き方が出来る なんて、曲を理解できていない証拠ではないか」と言われれば私には返す言葉もないが、それでも私は言いたい。この曲は私がこれまでに出会った ありとあらゆるもの(そう、音楽以外のものも含めて)の中で最も強く自分に作用したものだし、最も価値のあるものと確信している、と。しかも 私にとっては最初から、その脈絡についていくことに何の辛抱も必要なかったし、今なおそうである。知的な理解とはそもそも違ったレヴェルで私の中には この音楽が埋め込まれているし、私はどこかでこの音楽に「導かれている」部分があると感じている。最初の出会いは作品のある部分以降という 「不完全」なものだったし、ポータブルラジカセでのFM放送のエアチェックという極めて「貧しい」ものだったけれど、そんな制約はこの作品の価値の前では 取るに足らないことのように思える。未だ私はこの曲の実演を知らないのであってみれば、未だ私はこの「音楽」を知らないのかも知れないが、 それでもなお、実演で接した他の音楽に優る価値をこの作品に置くことに些かの躊躇いも感じない。
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聴いた回数が単純にそれ自体で何かを保証するというものでもなかろうが、一方で、桁が違うほどの隔たりがあれば、それは決して取るに足らないこと でもなかろう。しかも私のブルックナーについていえば、実演は1度だけ、オイゲン・ヨッフムの最後の来日、1986年9月16日の東京文化会館での コンセルトヘボウ管弦楽団との第7交響曲であり、これはもう20年以上も前のことなのである。その一方で、1度だけとはいうものの、このコンサートは 実に印象深いものだったし、この経験の有無は決定的だと思っている。地方都市に育った私にとって、これはレコードでしょっちゅう聴いている 指揮者とオーケストラの初めての実演だったということもあるだろう。曲が曲だけに、まずオーケストラの響きに圧倒されたのを今でも良く覚えている。 「あの」コンセルトヘボウ管弦楽団の独特の響きとヨッフムの解釈の持つあの輝きと温かみのある、血の通った音色の絶妙のバランスもそうだし、 その場でやっているのが信じられないような質の高さ(それは単に技術的に破綻がないといったレヴェルを遙かに超えていた)もそうだった。 遅いとは思わなかったけれど、ゆったりとした、先を急がない演奏だという感じはあった。だがさすがに第3楽章のユニークなテンポ設定と解釈には驚き、 フィナーレが始まったとき、今度はその軽やかさにもう一度驚いたのを思い出す。勿論頂点は第2楽章のあのシンバルの一撃の部分にあって、 椅子に座ったまま指揮をしていたヨッフムがそこでだけ椅子から立ったのも良く覚えている。来日後まもなくしてヨッフム逝去の報に接することになったが、 その後しばらくして、自分が音楽の教室とかに貼ってある音楽史の年表に書かれていて歴史的な(ということは過去の)出来事だと思っていた 「ロマン主義」、ブルックナー自身がその中に(色々あるが一応は)属していたエポックの終焉に立ち会ったのでは、という感じを抱いた。 勿論ヨッフムが生まれたときにはブルックナーはもう没していたけれど、ヨッフムは20世紀前半の演奏様式、そこにはまだ生きていた「伝統」を自分の 身体に記憶させた指揮者であり、しかもそれを最後まである意味では頑なに守り続けたのではないかという気がしてならないのである。
ところで私が聴いた演奏の翌日の人見記念講堂での演奏は録画・録音が残っていて、少し前にリリースされて話題になった。それは私が聴いたものとは 「同一」の演奏ではないけれど、基本的な解釈において違うところはなく、「ほぼ同じ」であるらしいことは窺えた。その演奏が優れたものであるという考えも 些かも揺るがない。だが私の手元にあるヨッフムが1964年10月(ということは私が生まれる前である)にベルリン・フィルと録音した演奏を聴くと「ほぼ同じ」の曖昧さ が露わになる。私見ではヨッフムは少なくともこの第7交響曲に関しては、晩年にこの1度目の解釈に戻ったとは言わないが、再び近づいていったように感じられる。 オーケストラの違いはあるし、演奏時間もはるかに短い(68分くらいだ)が、いわゆる原典版ではなく初版譜に基づく部分が聴かれる点なども含めて、 基本的な解釈はこの1964年10月でも「ほぼ同じ」であるように思う。否、これは「録楽」ではあるけれど、時代が遡る分だけ、私がかつて20年以上前に 実演で聴き取ったと感じた「それ」は、この録音に寧ろより濃密に聴き取れるような気さえするのである。もし残っていたのが翌日の人見記念講堂の 演奏ではなく、自分がその場に居た公演のものであったらどういう違いがあっただろうかという点についての私の立場ははっきりしている。その場での 経験とそれを記録したものを後で視聴することは全く別の経験である。最近の「往年の名演ライヴ」のリリースには、「あの感動をもう一度」のような 側面があるようだし、実際に自分の経験と比較したコメントも目にするが、私個人としてはそうした比較にどういう意義があるのか良くわからないというのが 正直なところだ。自らが「それはかつてあった」の証人である場合、その記録は寧ろ、記録が「それ」そのものではありえないことを露呈させてしまうかのようだ。 そして私は翌日の人見記念講堂での演奏がどうであったかという事実には結局のところ興味がないのだ。それならいっそのこと、自分が経験することの 原理的にできない経験の代補としての効用の方が大きいということになるのかも知れない。
このような書き方をすると、それでは歴史的録音に高い価値を置いているのではと思われそうだが、実のところマーラーの場合とは異なって、 私はブルックナーの歴史的録音には全く興味がない。勿論、時代的な距離感の感覚がないといえば嘘になるが、それについてマーラーほど 意識的であるわけではないようなのだ。寧ろ、そうしたこととはブルックナーはあまり関係ないと考えていて、偶々ヨッフムの演奏の場合だけ、 それが意識的であれ無意識的であれ、その音楽の生まれた環境・土壌のようなものを色濃く反映しているように感じられる(別のところに 書いたが、それを私はヨーロッパのカトリック圏のある街を訪れたときに突然、身体的な感覚として感じて非常に驚いたのだった)がゆえに、 例外的にそうしたパースペクティヴが浮び上がるのだと言って良いと思う。だが、別にそうした展望がブルックナーを聴く時に常に付き纏っている わけではない。もともとブルックナーの音楽は既にその同時代にあって或る種のアナクロニスムを帯びていたらしいし、完全にそうした パースペクティヴから私自身の方については自由になれるという幻想は抱いていないが、ブルックナーの音楽の方について言えば、 そうしたパースペクティヴ(とその変化)の制約から、控え目に言っても相対的に自由であるとは言えるのではないかと思っているほどである。 ロマン主義的な音楽観に関して批判的な三輪さんが、ロマン派の音楽の中でも特にブルックナーの音楽を良く聴くと語っていることが示唆するように、 ブルックナーの音楽に存在するアナクロニズムが音楽自身を時代の桎梏から解き放ち、かつての(例えば中世の)音楽が備えていて、 未だにポテンシャルとしては保っている(そしてブルックナーの音楽には確実に、しかも例外的な純度で存在している、だが必ずしも作曲の主体について 言えば意識的なものとも言えない)超越的なものへの志向、外部への志向、世界の法則性のミメーシスたろうとする方向性を極めて直截なかたちで 保持していると考えられるのであってみれば、ブルックナーの音楽に対する距離感が、単純な時代と環境の違いに帰着できずに、 奇妙な捩れを示すのも不思議なことではない。
だが、ここでは瑣事拘泥に戻るとしよう。要するに、1つの実演に接した経験があり、それと「ほとんど同じ」であるはずのその翌日の録音記録があり、 それとはさらに異なる第3の、だが同じ指揮者による自分の生まれる前のスタジオ録音がある。 さらにそれに最初に述べた昨年の演奏のクリーヴランドでの録画が加わる。最初の一つだけが「音楽」で他はすべて「録楽」であるのだが、 こうしてみると「録楽」もまた随分と多様な条件を持って様々なタイプがあることがわかる。「録楽」は定義上「音楽」のいわば「代補」だが、 予め「代補」でしかありえないもの(私が直接経験することが原理的に不可能なもの)もあれば、そうでないものもある。だが、その違いは いつ、どこで「演奏」が行われたかに依存していて、その音楽が100年以上前に異郷の地で作曲されたものであるという事実の方はそうした違いの 影響とは独立なのである。問題にされているのは演奏のリアルタイム性であって、(この場合には即興演奏ではないのだから)作曲行為の リアルタイム性ではない。そして演奏のリアルタイム性、「それ(=演奏)がかつてあった」という事実性は、だが私の場合には、ブルックナーに関しては大した 意味がないのである。ブルックナーの場合にはそれよりは寧ろ、端的に実演では限界のある経験を延長する手段として「録楽」を用いていると いった側面が大きいのだと思う。そしてこれはヴァーチャル・リアリティの効用としてあげられるもののうちの最もありふれた側面であろう。 私は少なくともブルックナーの場合には、(鈍感にも、と言うべきだろうか)「幽霊」に気付かない、もっと言えばそれが「幽霊」かどうかに無頓着といっても良い。
昨年の9月末のセヴェランス・ホールでのヴェルザー=メストの指揮するクリーヴランド管弦楽団のブルックナーに対して、私は別段の同時代性を 感じることはなかった。クリーヴランド管弦楽団はアメリカのオーケストラだから、響きの質において大陸ヨーロッパのオーケストラともイギリスのオーケストラとも 異なった部分はあるけれど、日本人である私とブルックナーの音楽との間に否応なく広がる距離を意識してしまえば、その点を捉えて何かを言って みても始まらないだろう(それに、クリーヴランド管弦楽団がアメリカのオーケストラの中では相対的に最もヨーロッパ的な響きを持っているというのは 一般に認められていることでもあり、今回もまた別段、そのブルックナー演奏に違和感を感じるほどでもなかった)。一方のヴェルザー=メストはリンツの生まれらしいから、 ブルックナーとは同郷人ということになる。だがそのことがこの演奏の記録にどのように影響しているのかは俄かには判然としないというのが私の印象である。 端的に言って演奏は素晴らしいものだったし、解釈の点でも、それがブルックナーの音楽に相応しからぬものであったとは思わない。
「録楽」は繰り返し同一の演奏を聴くことも簡単なら、実演では不可能な膨大なコレクションを築いて、それらの演奏を比較して序列づけをし、 (もしお望みなら)ポイント付けをしてみることさえ可能だろう。様々な指揮者の解釈を、演奏時間、テンポの変化、細部の解釈といった観点から比較し、分類することも 可能であろうし、一人の指揮者についても複数の録音を比較し、スタジオ録音とライヴを比較し、更には実演を聴くに際して録音を判断の基準におく といったことすら可能だろう。あまつさえブルックナーの場合には版の問題があるから、様々な版の違いを録音された演奏によって比較し、お好みなら自己の 感性を頼りに版のオーセンティシティの序列づけをしてみることだって可能だろう。幸い、ブルックナーと同時代の演奏は望めなくても直弟子のシャルク兄弟や レーヴェなどによる「改竄版」を含め、いわゆる原典版以前の出版譜に基づくほかない時代からの録音記録は揃っているし、近年はいわゆる往年のライヴを リリースする動きが活発のようでもあり、更には没後100年を過ぎてもいまだ版の問題は尽きそうになく、第9交響曲フィナーレの補筆やら、これまでに知られて いなかった中間形態の復元やら、話題には事欠かないようだが、こうした側面は複製技術の時代、「録楽」の時代に如何にも好都合であるかのようだ。
だがこれはブルックナーに限らず、私はそんなにたくさんの演奏を聴く時間がまずないし、あまつさえそれらを比較して評価するなど思いもよらないし、 とりわけブルックナーに関して言えば、基本的な演奏精度や音響バランスに関するデリカシーの欠如を「即物性」のスローガンのもとに糊塗したり、 あるいは楽譜への忠実さがブルックナーの音楽への忠実さよりも寧ろ、演奏者の展望の相対性や局所性に関する演奏者自身の(あるいは寧ろ、 それを誉めそやす聴き手の)感受性の欠如を露呈したりする場合に対する困惑を感じることはあっても、だからといって時代の違い、 文脈の違いがもたらす筈の「オーセンティシティ」の欠如を強調する論調には、こちらはこちらで違和感を感じずにはいられない。 要するに、アメリカのクリーヴランドで地元の(ただし驚異的な程の名人揃いの)オーケストラが、ブルックナーの同郷人だけど1世紀以上も世代が離れている 音楽監督の下で演奏した記録を、更に世代も文化も離れた21世紀の日本人が極東の自宅の一室で「録楽」として視聴するという状況自体、 既に何重もの意味合いで「オーセンティシティ」とやらからは逸脱しているのだから今更何をかいわんや、というわけである。 自分が予め「オーセンティシティ」からは程遠いことを棚に上げて開き直ってみせれば、こんなマージナルな状況でもブルックナーの作品は人を感動させる 力を持っているのだと言ってみてもいいのだ。ブルックナーの作品は過去の遺物ではないし、ある文化や伝統の中でしか力を持たないものではない。 それは今日のアメリカでも日本でも、充分にアクチュアリティを備えていると私には感じられた。それが私だけの印象ではないのは、この演奏が終わった 後のセヴェランス・ホールの聴衆の反応からも明らかではないだろうか。解釈がどうのとか、奏法がどうのとかといって批評するよりは、たとえ 「録楽」に媒介されたかたちではあっても、セヴェランス・ホールで「音楽」を聴いた聴衆と感動を共にすることの方を選びたいように思うし、そうすることが できることをとても嬉しく思う。
そして私が言いたいのは、ブルックナーの音楽の場合には作品そのもののアナクロニスムがかえって「それはかつてあった」という事実性への拘泥を 麻痺させてしまう側面があるような気がしてならないということだ。さらに言えば今、私が頭の中で鳴らしているブルックナーの第7交響曲は「録楽」にも 「音楽」にも属していないのではなかろうか。あるいはまた、演奏者の身体性とその痕跡ではなく、作曲者のそれはどうなるのだろう。ブルックナーのような 主観的でない「外」の音楽、よく比喩として持ち出される「大伽藍」のような人工物よりも寧ろ私には自然現象やその背後の法則をある仕方で 変換したように思えるそれは、紛れもない個性を帯びつつも(一体、このような音楽を他の誰が書けただろう?)、主観的な心情の吐露であるわけではない。 そういった音楽に限って、オーセンティックな解釈を巡って喧々諤々の議論になるのは、傍から見ていて不思議な風景ではあるが。
一方で「録楽」は「同じもの」を繰り返し何度でも聴くことができる。異なる演奏を100回聴くのは困難でも、同じ演奏ならそんなに困難ではない。 繰り返し聴くことの効用は明らかだ。ここでは不安定で移ろいやすいのは聴く私の側であって、所詮はいつも「虚像」に 過ぎないとはいえ、聴かれる対象は遥かに安定していると言って良いだろう。そこでは「幽霊」の方が「実体」である筈の存在よりも「実体的」という逆説が 生じているのではないか。とはいえ、これが逆説なのは素朴実在論的な立場に立った場合に過ぎず、例えば「具体性の履き違えの誤謬」に意識的な ホワイトヘッドのプロセス哲学の立場であれば、「当然」のことである。そもそも「存在」というのが「過程」が過去化した結果なのだから。そしてもう一度、 もしそうだとしたら、そのようにして何度も異なる演奏者により、異なる時代に異なる場所で繰り返し演奏される作品自体は、それもまた虚像に過ぎないのだろうか。 恐らくはそうだということになるのだろう。だがホワイトヘッドがそうしたようにそれを永遠的客体と見做してしまえば、そしてそれを進化論的な枠組みに自然主義化 してしまえば、一時的に爆発的に流行して直ぐに絶滅してしまうタイプとは正反対のミームそのものにとっては「録楽」も「音楽」(ここでは「実演」とほぼ同義)も 等しく己を複製して伝播させる媒体、メディアに過ぎないということになるのではないだろうか。「録楽」は欠陥あるコピーかも知れないが、そしてそれをデコードする 機構と、それを受け取る聴き手を前提としているが、それを受け取り形成される私の脳内の神経網はミームの搬体としては、さらに頼りなく、不完全なものだろう。 何よりもそれは私とともに崩壊し、消滅する運命にあって、世代を超えて継承されることはない、或る種の行き止まりなのだ。
そういう意味では受け取る私より遥かに優れた搬体であるかのように見えるメディアも、個々の技術をとってみれば実際には、人間が世代を通して受け継いでいく 奏法の伝統などよりも実はずっと脆弱な側面を持っている。複製の容易性や再現の「リアリティ」といったものを可能にするのはまさにテクノロジーゆえなのだが、 それだけでなく「録楽」はそれ自体の存在そのもの、自己同一性自体をテクノロジーに依存している。再生装置が異なればそれは「異なった」音響に 実際になるだろうが、それ以前に再生装置がなければそれは音響として実現することさえできない。例えばSPレコードを再生できる装置を持っている人間が 現在どれだけいるだろうか。だがそれも媒体の変換をして、例えばCDに復刻されて聴かれ続けている。それを可能にするのもまたテクノロジーであって、 要するにそれは実は非常に脆弱な基盤の上に成り立っているし、無償で維持が可能なものではない。
ではいっそ「録楽」を捨てて、楽譜とめったに訪れない(環境によっては全く訪れないかもしれない)実演に接する機会だけに限定してしまうべきなのか。 だがもしそうなら、多分私はブルックナーに出会うことがそもそも不可能だったのではなかろうか。何度も何度も繰り返し聴くことによってそれを自分の中に 埋め込むこともできなかったのではなかろうか。そもそも「録楽」の経験なしにはそれを聴いてみようとさえ思わなかっただろうけれど、百歩譲って、 あの「歴史的名演」、最晩年のヨッフムとコンセルトヘボウ管弦楽団の実演に「録楽」の経験なしに接したとして、私はあのように聴けただろうか。その後 実演に接する機会がないにも関わらず、こうしてブルックナーに接し続けることができただろうか。それを思えば私にとって「録楽」の効用は明らかである。 不完全な代補であったとしても、ないとあるとの差は限りなく大きいのだ。そしてそれは第5交響曲の場合には、更に極端なかたちで現れることになる。
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既述の通り、第7交響曲に比べると第5交響曲についての私の経験は貧弱である。要するに実演には接したことがないのだから、第5交響曲を「音楽」として聴いた ことがないのだ。そのくせ私は別のところでも述べているし、これまた既に書いたように第5交響曲こそブルックナーの作品の中でも頂点に立つ作品だと確信しているし、 そればかりか私が知っている西欧音楽の中でも最高峰である(西欧の音楽でなければこのようなものはありえないという点において、これは或る種の極限なのだ) とさえ考えているのだが、私はそうした主張を「録楽」の聴取と楽譜だけに基づいてしようとしているわけである。恐らくこれは不当なことで、私には そんなことを言う資格はきっとないのだろう。だが、それがブルックナーの第5交響曲ならまだしも、あるいは行こうと思えばブルックナーの交響曲が プログラムに含まれるコンサートが催されるホールに行ける場所に住んでいるのならともかく、そうでないと仮定したら、自分が聴いた最も優れた音楽が 「録楽」によるものであるという状況は容易に想像できる。そのとき、その判断は不当なものとして断念しなくてはならないのだろうか。子供だったかつての 私は自分の判断を控えるべきだったのか。
話をブルックナーの第5交響曲に限定し、実演に接することにこだわるのであれば、ブルックナー自身がこの曲をとうとう生前には一度も聴くことが できなかったことを思い出しても良いだろう。(正確には生前に初演はされたが、1894年4月9日にグラーツでフランツ・シャルクによって行われたそれを彼は聴けなかった。 しかも初演されたのは初演者のシャルクにより無惨に改竄された「不完全な」版だったに違いない。その後1895年12月18日にはブダペストでフェルディナンド・ レーヴェによる再演がされたが、こちらもまた聴いておらず、ブルックナーが耳にした「演奏」は、それらに先立つ1887年4月20日、ウィーンでのヨーゼフ・シャルクと フランツ・ツォットマンによるシャルク編曲の2台ピアノ版のそれでしかなかった。)確かに楽譜に書きとめられただけの音楽は、音楽として成立するために 演奏されることを必要としている。だから、ブルックナーの場合にはそういうことにはならなかったが、例えば遥か昔に創られ、その後忘れ去られ奏法の伝統が 途絶えた楽器のための音楽があったとしたら、それは最早喪われて復元不能であるというべきかも知れない。 あるいはまた記譜法を持たず口承によって受け継がれていく文化に属する音楽には、伝統が断絶してしまった結果忘れ去られたものが数限りなくあるに違いない。 それでは第5交響曲についていえば、ブルックナー自身、自分が何を書いたのか知らなかったというべきなのか。 実演でさえあれば、1世紀以上後の極東の島国のコンサートホールで鳴り響く音響こそが「実体」であって、それを経験した人間はブルックナー本人が知らない 第5交響曲を知っているといわなくてはならないのか。一体、ブルックナーの第5交響曲は「どこ」にあるのだろうか。
ともあれ、最初に書いたフランツ・ヴェルザー=メストがクリーヴランド管弦楽団を指揮したブルックナーの第5交響曲の記録は私にとって 実に感動的なものであった。まあ人によっては解釈とか、演奏の出来とかについて書くこともできるのだろうが、私はそういうことをしたいとは 思わない。丁度「翁」の能についてそうすることが意味を為さないように、聖フローリアン修道院での2006年9月12日,13日の第5交響曲の演奏に ついてもまた、出来不出来を云々するのは筋違いに思えるのだ。
勿論、それには実際のところ演奏が素晴らしかったという前提はまずあるだろうが、それもまた、途轍もない名人の集団であるクリーヴランド管弦楽団の 奏者たちが、セヴェランス・ホールの第7交響曲の演奏の時とは些か異なって、単に集中力があるというだけではなく、本拠地では確かにあったように 感じられた余裕とかゆとりとかをほとんと感じさせないような異様なほどの真剣さで演奏をしている、その姿勢によるものであり、そうした或る種異様な 雰囲気の演奏が終わって最後の音の残響が修道院のなかにこだまするのが消えるのを待ったあと、ヴェルザー=メストが客席に向かって振り返る前に、 指揮台の上で手を合わせて黙祷したその姿に象徴される、一般のコンサートとは異なる質が備わっていたことによるのである。 ヴェルザー=メストは客に対して手を合わせたのではない。そこは修道院の礼拝堂の内陣だから、彼は聴衆とともに、祭壇に向かって 立っているのだ。現代の日本では文楽公演での「三番叟」でのお辞儀に拍手をする客がいるようだが、修道院での演奏の場合には能の「翁」に おける礼拝と同様、何に対して手を合わせ、黙祷しているのかについて勘違いの余地はあるまい。つまるところこの演奏は通常のコンサートではなく、 寧ろ「奉納」に近いものであったと少なくとも私には感じられたのである。クリーヴランド管弦楽団の奏者達は拍手に対して作法通り席を立って応えていたが、 彼等の誰一人として笑っていなかった。他ならぬ自分達が今まで演奏していたというのに、それによってこの世に現われたものの異様さに打たれたかのように、 盛大な拍手の中、感極まったかのような表情を皆がしているのは、それが彼等にとって何だったのかを語って余りあるだろう。多分彼らは見てしまったのだ。 それを「録楽」で視聴していた私はどうだったか。私も「それ」を見たように思う。だから彼らの表情に何の違和感も不思議さも抱かなかった。少しだけ 「ああ、やはりそうか」と思ったけれど。色褪せた「録楽」でさえ、とりわけあのブルックナー自身がChoralと記したコーダの最終部分(583小節)に音楽が 到達した瞬間、私は涙を堪えられなかった。その場にいたら私は耐えられただろうか。とてもそうとは思えない。マナー違反でつまみ出されたかも知れない。 だが(幸いなるかな)そこはコンサートホールではなく修道院の礼拝堂だった。礼拝で涙を流すのを咎める人はいないだろう。だからこそ、拍手の中に 見た奏者達の表情に、自分の同伴者を見出し、自分の受け止めたものが(何たることか、「録楽」を介してさえ)共有されたことを確認したように 思えたのである。
私について言えば、聖フローリアンでのこの感動的な「奉納」を「録楽」でしか聴くことができなかったのは事実である。私が「見た」のは彼らが見たものの 更に「幽霊」に過ぎないのかも知れない。だが、この記録に接した経験は凡百の実演の経験に遥かに勝るのは私にとっては疑いないことだ。 かつて接した唯一のブルックナーの実演も際立って感動的なものだったけれど、そしてその演奏そのものの質には、多分に似通ったものがあったに違いないと思うのだが、 きっと演奏会そのものの経験の総体は、演奏が含みえたそうしたベクトルとは一致していなかったのだろう。あれだけ圧倒的な演奏であっても、東京のコンサートホールでは そうした「何か」の息吹を感じるような経験は率直に言って出来なかった。それが素晴らしいものであったにせよ、それでもなお感動の質が異なっていたのである。 では聖フローリアンでの演奏から私が受け取ったものは「録楽」であるが故の虚像なのか。否、「録楽にも関わらず」それは「やって来た」と言うべきではないのか。 その一方で、(もう書いてしまったので繰り返さないが)コンサートホールという制度がそうした感動を妨げているという事情があることもまた無視し難いように思える。
だが一つにはそれは無い物ねだりであって、そもそもコンサートというのは(マーラーの宮廷歌劇場でのやり方を評して、基本的にはマーラーを高く買っていたらしい フランツ・ヨーゼフ皇帝が述べた通り)「楽しみに行く場所」なのだから、筋違いだという批判があるだろう。しかし、もしそうであるならば、他の作曲家はともかく、 少なくともブルックナーの音楽は私にとってコンサート・ホール「のための」音楽ではないのだ。ブルックナーの「交響曲」が典礼のための音楽、宗教音楽でないことを 考えれば、これは不当な態度なのかも知れない。何しろ彼が書いたのは「交響曲」で、「交響曲」はコンサート・ホールで演奏するものと「決まっている」 ではないか、というわけだ。だが、それでも私はなお、ブルックナーの交響曲はコンサートという制度にどこかそぐわないところがあると言ってみたい。そして とりわけこの第5交響曲は優れてそうなのだと言いたい。
勿論、私がここで言いたいこととは少し異なった側面からも、ブルックナーの交響曲が現代の一般的なコンサートホール向きでは必ずしもないといった議論は ありうるだろう。例えば既に指摘されていることだが、あらゆる音楽がそうであるようにブルックナーの音楽にも、その音楽が想定しているアコースティクが 存在する。音響的にデッドなコンサートホールでブルックナーを演奏するのでは、想定されている響きが産み出せないという事情はあるだろうし、 とりわけ第5交響曲にはまだ頻出するゲネラル・パウゼは、聖フローリアン修道院のような空間を想定しているかも知れない。 ブルックナーの作品の中でもその点では多少変化があって、例えば第8交響曲ではやや事情が違うだろうと想像するが、勿論、第5交響曲だって、コンサート ホールと礼拝堂で同じように演奏するようなことはありえず、当然、現場での調整が必要になるのは間違いない。実際に、聖フローリアンの残響は「録楽」を 通してさえはっきりとわかるほど豊かで、ヴェルザー=メストとクリーヴランド管弦楽団の演奏でも、随所にそうした空間の音響特性に応じた奏法上の配慮が 見られたように私には感じられた。
だが、ここで私が言いたいのは、そうした音響特性上の問題に限定されるのではないのだ。ブルックナーの交響曲は、 そして特にこの第5交響曲は寧ろ、今回、ヴェルザー=メストとクリーヴランド管弦楽団の演奏がそうであったように演奏されるべきではないか、聴き手も そのように聴くべきではないか、そしてそれはコンサート・ホールではやはり困難なのではないかと思えてならないのである。私のこうした感じた方に対して、 きっとクリーヴランドのあの名手達はそれを否定しはしないだろうと思うのだが、、、
* * *
では、私はブルックナーの「音楽」を求めて、しかもコンサート・ホールでは経験できない質を求めて、例えば聖フローリアン修道院を訪れるべきなのだろうか。 そこに行けば「本物」が見つかるのか。多分、それは半分は正しいのだろうと思う。何故半分かといえば、仮に私が旅行客として聖フローリアン修道院を 訪れて、そこで「音楽」を聴いた時、最後に残った「異物」が「本物」の成立を阻害するのではという気が私にはするからである。何を隠そう、その「異物」とは この私自身に他ならない。無論、聖フローリアン修道院を訪れたクリーヴランド管弦楽団の奏者たちもまた、客人であり、ヴェルザー=メストが語っていたように、 その彼等がブルックナー自身がかつて生活し、今なおそこに眠る場所での演奏を通してブルックナーの音楽について何かを理解したのであれば、 客人であることが即「本物」の成立を妨げるというわけではないのかも知れない。(彼等アメリカ人にとって、ブルックナーというのは相対的に疎遠な存在で あることは否定し難いようだ。だが、例えば今回聴いた演奏であれば、第3楽章のある部分の響きには、音楽が出自として持っていたに違いない風土とは 別の、寧ろ演奏者たちの国が持っている精神的な風景ー音楽として定着した例を強いて挙げるならば、例えば彼の地のかつての礼拝集会を素材としたアイヴズの第3交響曲に感じ取れるようなそれ―が垣間見られたように私には感じられた。勿論そのことはこの場合、演奏に他の場合にはない 凄まじい力をもたらしていたと感じられ、私は圧倒されたのである。)繰り返しになるが、私自身もまたヨーロッパを訪れて(他の誰でもなく、 何故か)ブルックナーの音楽が腑に落ちた経験を持っている。だからそうした場所の持つ力を些かも軽視するつもりはないけれど、にも関わらず、 単純に聖フローリアン修道院を訪れれば済むといった問題ではないように思えてならない。否、寧ろクリーヴランドのオーケストラの奏者たちが自ら 紡ぎだしたその風景は、端的にブルックナーの第5交響曲が、それ自身の中に持っている固有の風景だったのだし、錯覚と言われようが、かつて子供だった 私が、文化的・歴史的距離感を意識せずに見たと思ったそれと、更には、そうした意識を否応なく持ってしまっている今の私が、それでもなお見出しうると 信じているそれ、私のちっぽけな脳内に、でも克明に刻み込まれているそれと重なり、更にそれを更新するようなものであったと思う。「幽霊」を問題にするので あれば、「録楽」と「音楽」の合間の領域に出現するそれよりも、寧ろ端的に音楽そのものが垣間見せてしまう「それ」、わけてもブルックナーの第5交響曲の ような音楽が、今回のような演奏が行われた時に出現する「それ」の方を問題にすべきではないのかと思えてならないのだ。
そう、結局のところ、「録楽」と「音楽」の違いを軽視するわけではないけれど、ブルックナーの音楽を「聴きうる」かどうかには、少なくとも私にとっては、 それ以外にもたくさんの要件があるようなのである。だけれども、そうした要件に阻まれて、結局のところ私自身は永久にブルックナーの音楽に辿り着けないのだと しても、私はこう言いたい。「録楽」を通してすら伝わってくる何かがその音楽にはあるし、それは他には存在しないかけがえのないものであり、私にとっての 価値の源泉の一つなのだと。それが自分に如何に疎遠なものであっても、それは私に何かを与えるのであって、無ではない。私にとってブルックナーの 第5交響曲や第7交響曲、第9交響曲やテ・デウムといった作品は、それに出会わなければ今の自分とは自分自身が大きく異なっていたに違いないような、 圧倒的な存在なのである。そして「録楽」ではあっても、聖フローリアン修道院でフランツ・ヴェルザー=メストがクリーヴランド管弦楽団を指揮した ブルックナーの第5交響曲の「奉納」は、そのことを再確認させるだけの圧倒的な力を持っていたのである。 ブルックナーの音楽には極端にローカルで無媒介に風土に根ざしたものがある一方で、それを突き抜けるものがあるのもまた、私個人については疑いないことだ。 だが普遍性という言葉を振り回すのは慎むことにしよう。他の生物やロボットを引き合いに出すまでもなく、同じ人間であっても、 この音楽を必要としない人はたくさん居るだろうが、それによって普遍性を主張することができないのであれば、そんな普遍性などどうでもいいことなのだ。
その一方で、例えば今後、多分日本のどこかで聴くかも知れない第5交響曲の実演が、実演であるというだけでア・プリオリにそうした力を備えていると 断言する気にはなれないことも認めねばならない。複製技術に侵蝕されきって、「音楽」とは何かについて正しい距離感を喪失してしまった哀れな人間が ここにいるというわけだ。本物のブルックナーをほとんど知りもせずに(何しろ実演を1度しか聴いたことがないというのだから)、こうして延々、 ブルックナーの作品について書くことが如何に滑稽なことかすら自覚できずに、無知と無理解を曝して平気な人間がここにいる。誤解でも構わないとは 何という開き直り、度し難い傲慢さだろうか。確かにそうかも知れない。だがそれなら、そう、思い切ってこう言ってもいいかも知れない。私にとって それが「音楽」であるかどうかは問わない。何なら、楽譜を読んで自分の頭の中で鳴らすことのできる「何か」でも構わないが、ブルックナーという 「変てこなお年寄り」が自らやはり「音楽」を聴くことなく、書き付けた「何か」は私にとってかけがえのないもの、この上なく高い価値のあるものなのだ、と。
最後にもう一度、ブルックナーの作品「そのもの」(要するに、上述の「何か」と思っていただいて結構である)について言えば、それはどうやら他の作曲家以上に 三輪さんの作品と多くの類似点を見出すことができそうだ。それが他の何者かに奉仕するものであり、或る種の「奉納」であるという性格付け (ブルックナーにおいては作品の献呈すらかつての意味とは異なったものになる。かつて職人的な作曲家は自分が音楽を書くことができることに 神の働きを見たのだが、ブルックナーの場合、それだけでなく、そうして書かれた作品自体が神に捧げられるものになるのだ)、あるいはまた、 主観的な感情や気分の表現ではなく、世界なり宇宙なりの法則性のミメーシスたろうとする点にしてもそうだろう。彼が選択した「交響曲」という様式が、 コンサートという制度を前提とし、多くの人間によってリアライズされることを必要とすることについて彼がどう感じていたか、例えば100年後の現在に彼が生きていたら、 一体どのような媒体を選択したかという問いは「録楽」を考える上でも興味深い。私の推測では、それが「交響曲」であるかはともかく、彼は人間が演奏すると いう点には拘ったのではないかという気がする。だとしたら、この点もまた三輪さんとの類似点の一つに数えることができるのかも知れない。
人によっては皆同じに聞えるらしいその交響曲は、作曲の技法の次元ではなく、もう少し抽象度を上げた次元では、初期値こそ異なるが殆ど 同じアルゴリズムによるのかも知れない。否、あの「変てこなお年寄り」が本当にこの音楽を創ったのだろうか。そもそも音楽を書くというのはどういうことなのか。 初期値を与え、シミュレーションをし、結果を聴いては初期値を変え、という作業は100年前の「変てこなお年寄り」の営みとどこが違うのか。 勿論、全然違うではないかと人は言うだろう。だけれどもそもそも、あの「変てこなお年寄り」自体が神が用意したシミュレーション・プログラムではなかったかろうか。 「変てこなお年寄り」自ら、そのように自覚していたようなふしもあるではないか。彼は自分「の」作品が、神から与えられた才能に負うているとはっきり述べている。 テ・デウムを神に捧げたのはそのことへの感謝の証だったし、彼は音楽を創り「続けなくてはならない」と感じていた。それが神からの贈与に対する義務だから。 彼は、自分の作品が受容されることを望み、拒絶に深く、神経を病むほどに傷ついた。けれども、にも関わらずどこかで自分の営みの「無益さ」を認識していたのでは ないだろうか。「交響曲」はその「無益さ」に見合った入れ物だったのではないか。いずれにしても彼にとっては「創り続けること」が問題だった。 第9交響曲の長くて未完の創作史は、病と衰弱との戦いでもあったが、それでもなお、神が彼をこの世の営みから解放する直前まで彼は書くことを止めなかった。 彼にとっては最後の審判の時に、授けられた能力を充分に用いなかった怠慢を神に咎められることの方がよほど気にかかることだったのではないか。 だとしたら私はどうすればいいのだろう。「神の楽師」が紡ぎだす「神の旋律」を前にして、、、
(2009.6.20/21/22初稿, 6/27補筆, 11.7改訂, 2024.8.18 noteにて公開)
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