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語録:リヒャルト・ホルン宛1907年の書簡にある自然科学の法則に関するマーラーの言葉

リヒャルト・ホルン宛1907年の書簡にある自然科学の法則に関するマーラーの言葉(1924年版書簡集原書341番, p.369。1979年版のマルトナーによる英語版では348番, p.300, 1996年書簡集邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では369番, p.333-4)

Im Anschluß an unsere Diskussion von neulich abend sende ich Ihnen beiliegenden Artikel (Köln. Ztg.) über "Materie, Äther und Elektrizität", den ich eben gelesen. Was denken Sie nun über die Unveränderlichkeit der durch Naturwissenschaft gewonnenen Anschauung? -- Wie wird die "Beschreibung" aussehen, wenn unsere Erfahrungen auf diesem dunklen Gebiete so geordnet sein werden wie etwa heute unsere astronomischen Anschauungen? -- Und selbst zu meinem Ausspruche (ungefähr) "die Naturgesetze werden dieselben bleiben, aber unsere Anschauungen darüber werden sich ändern" -- muß ich noch hinzufügen, daß mir selbst dies nicht sicher ist. Es ist eine Denkmöglichkeit, daß sich im Laufe von Äonen (etwa infolge eines natürlichen Evolutionsgesetzes) selbst die Naturgesetze ändern können; daß also beispielweise dir Gravitation nicht mehr statthaben wird -- wie ja Helmholtz schon jetzt annimmt, daß auf unendlich kleine Distanzen das Gravitationsgesetz seine Gültigkeit verliert. Vielleicht (setze ich hinzu) auch auf unendlich große Entfernungen -- zum Beispiel höchst entfernte Sonnensysteme. Denken Sie einmal das alles bis ans Ende.

先ごろの晩の我々の議論に関連して、「物質、エーテルおよび電気」についての同封の記事(『ケルン新聞』)をお送りいたします。たった今読んだところです。さてあなたは、自然科学によって獲得されたものの見方の不変性についてどうお考えになりますか?――このような不明な領分における我々の経験が、たとえば今日の天文学的観点のように秩序づけられるとしたら、その「記述」はいったいどんな様相を呈することになるのでしょうか?――「自然法則は同じであり続けても、それについての我々の見方は変わってゆく」(概略)といった私の見解にすら――自分でもこれが不確かになってきたと付け加えざるを得ません。永遠が経過するうちに(たとえばある自然進化の法則の結果)自然法則すらも変化しうる、という思考の可能性です。というわけでたとえば重力ももはや成立しなくなるかもしれない――ヘルムホルツが早くも、至近の距離においては重力は有効性を失うと述べていたとおりです。あるいは(私がそれに付け加えて申すなら)無限に大きな距離を隔てたところでもまたしかり――たとえばこの上なく隔たった太陽系同士など。一度このことを考え詰めて最終結論までもっていってください。

これはリヒャルト・ホルンという弁護士に宛てて書かれた手紙の、本文全文である。マルトナー版巻末の人名録を見ても、リヒャルト・ホルンがマーラーとどういう関係に あったのかはよくわからないようだが、いずれにせよ、歌劇場の監督と弁護士が手紙でやりとりする内容としては、甚だ異色のものではなかろうか。

マーラーはこの手紙でも言及されているヘルムホルツ(こちらはあの有名な物理学者である)とも交流があったらしいし、親しい友人にもベルリナーという物理学者がいて、 自然科学への関心もひとかたならぬものがあったようであるが、この手紙などはそのへんの消息を良く告げていると思われる。友人にプロがいたせいもあって、 マーラーは自分の直観を信じこんでしまうような愚には陥らなかったようだが、ここで開陳される「マーラー説」も、その論理性については措くとしても、 物理法則すら不変のものではないかも知れないという認識は、例えばレムの「新しい宇宙創造説」などを思い起こさせてなかなか興味深い。

だが、私が留意したいと思うのは、マーラーが決して文学的な空想一方の人間ではなかったこと、当時は自然科学自体、まだ発展途上の部分があった わけだが、マーラーの関心のありようは一見科学的に見えて一皮剥けば必ずしもそうではない「普通の」現代人に勝るとは言えなくとも、決して劣るものでは なかったことである。例えば第8交響曲についていったといわれる「惑星の運行」についてだって、所詮は文学的な比喩とは言いながら、その背後にはもしかしたら、 普通に思われている以上に自然科学的な認識が控えているかも知れないし、ゲーテにせよ、ニーチェにせよ、今日そうした過去の思想なり文学なりに 関心を抱く人間の平均的な志向よりははるかに「斬新な」読み方をしていたかも知れないのである。

そして、今日自分がマーラーから何を受け取るのかを考える時に、こうした書簡に垣間見られるマーラーその人の知性の働きを知るにつけ、決してそれを 過去の遺物として受け取ってはいけない、とりわけマーラーについてはその問いかけの時代を超えた部分にこそ、―たとえどんなに貧しくとも、自分なりに可能な 仕方で―応えるほうが、マーラーその人の考えにもそっているのではないか、と思えてならない。

(2007.5.16 初稿, 2024.7.10 noteにて公開。)

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