リヒャルト・ホルン宛1907年の書簡にある自然科学の法則に関するマーラーの言葉(1924年版書簡集原書341番, p.369。1979年版のマルトナーによる英語版では348番, p.300, 1996年書簡集邦訳:ヘルタ・ブラウコップフ編『マーラー書簡集』, 須永恒雄訳, 法政大学出版局, 2008 では369番, p.333-4)
これはリヒャルト・ホルンという弁護士に宛てて書かれた手紙の、本文全文である。マルトナー版巻末の人名録を見ても、リヒャルト・ホルンがマーラーとどういう関係に あったのかはよくわからないようだが、いずれにせよ、歌劇場の監督と弁護士が手紙でやりとりする内容としては、甚だ異色のものではなかろうか。
マーラーはこの手紙でも言及されているヘルムホルツ(こちらはあの有名な物理学者である)とも交流があったらしいし、親しい友人にもベルリナーという物理学者がいて、 自然科学への関心もひとかたならぬものがあったようであるが、この手紙などはそのへんの消息を良く告げていると思われる。友人にプロがいたせいもあって、 マーラーは自分の直観を信じこんでしまうような愚には陥らなかったようだが、ここで開陳される「マーラー説」も、その論理性については措くとしても、 物理法則すら不変のものではないかも知れないという認識は、例えばレムの「新しい宇宙創造説」などを思い起こさせてなかなか興味深い。
だが、私が留意したいと思うのは、マーラーが決して文学的な空想一方の人間ではなかったこと、当時は自然科学自体、まだ発展途上の部分があった わけだが、マーラーの関心のありようは一見科学的に見えて一皮剥けば必ずしもそうではない「普通の」現代人に勝るとは言えなくとも、決して劣るものでは なかったことである。例えば第8交響曲についていったといわれる「惑星の運行」についてだって、所詮は文学的な比喩とは言いながら、その背後にはもしかしたら、 普通に思われている以上に自然科学的な認識が控えているかも知れないし、ゲーテにせよ、ニーチェにせよ、今日そうした過去の思想なり文学なりに 関心を抱く人間の平均的な志向よりははるかに「斬新な」読み方をしていたかも知れないのである。
そして、今日自分がマーラーから何を受け取るのかを考える時に、こうした書簡に垣間見られるマーラーその人の知性の働きを知るにつけ、決してそれを 過去の遺物として受け取ってはいけない、とりわけマーラーについてはその問いかけの時代を超えた部分にこそ、―たとえどんなに貧しくとも、自分なりに可能な 仕方で―応えるほうが、マーラーその人の考えにもそっているのではないか、と思えてならない。
(2007.5.16 初稿, 2024.7.10 noteにて公開。)