ハゲマス会「第15回狂言の会」を観て
「三番三」山本則俊・遠藤博義
「千鳥」山本則重・山本泰太郎・山本則秀
一調「おかしき天狗」山本則俊
「栗隅神明」山本東次郎・山本則孝・山本泰太郎・山本凛太郎・山本則秀・若松隆・山本則重
毎年恒例の麻生文化センターでのハゲマス会主催の大蔵流山本家による狂言の会、今年は山本則俊さんの古希記念の会とのことであったが、それに加えて 東次郎さんの人間国宝各個指定、更に則俊さんの旭日双光章受章という慶事が重なり、それらを慶賀する催しとなった。 暦のせいで月末に近づき、業務の合間のような日取りとなったため、個人的にはやや落ち着かない状態であったのは遺憾だが、例年の如く満員の客席で 拝見した感想を記しておきたい。
番組の最初は則俊さんによる「三番三」。古希記念にちなんだ選曲とのことだが、新春を寿ぐ催しの始まりにこれほどふさわしいものはない。囃子方は 松田弘之さんの笛、鵜澤洋太郎さん、古賀裕己さん、飯富孔明さんの小鼓、佃良勝さんの大鼓で、開曲の松田さんの笛の一閃から一気に空気の調子が 変わり、身が引き締まる思いがする。佃さんの大鼓が独特のリズムを刻むと、後見座でくつろいでいた則俊さんが舞いはじめる。揉ノ段は囃子と足拍子の 歯切れの良いリズムが清々しく、則俊さんの鮮烈な所作によって空気がどんどん澄んでいくような感覚にとらわれる。カラス跳びの後、今度は黒式尉をつけ、 面箱持ちを兼ねた千歳とのやりとりを経て鈴ノ段になる。常だと張り詰めた儀式の間に挟まって些か寛いだ気分になる千歳とのやりとりでも緊張感が維持され、 寧ろ鈴が振られ、鈴ノ段のリズムが刻まれ始めるとそのリズムの変化がもたらすゆとりが時の推移と空間の広がりを感じさせ、時間の流れ方が変化したことが 感じ取られるといった按配で、揉ノ段と鈴ノ段のコントラストが鮮烈に印象に残った。鈴ノ段の末尾でが大きくテンポを落ち、最後の鈴の一振りとともに動きが 止まる。それはまるで自然のサイクルの区切りのような人間的なものを超えたより大きな秩序を感じさせるものであったように感じられた。
小休憩の後の「千鳥」は曲の始まりで酒代を支払わぬまま更に酒を買ってくるように太郎冠者に言いつけるが早いか泰太郎さんの主人はさっさと幕に入ってしまい、 後は太郎冠者の則重さんと酒屋の則秀さんの二人のやりとりになる。太郎冠者が色々と策を弄しては酒樽を持っていこうとするのを主人が気づいて 止めるのが反復されるのが曲の巨視的な構造を形作るが、テンポ良く仕掛ける則重さんの太郎冠者のリズムに割り込むように、別のテンポで則秀さんの 主人が区切りをつけるというコントラストが鮮やかで、そのずれが巧まざるおかしみさえ醸し出す。終曲はそれが、ちょっとしたカタストロフを惹き起こした 感があって、あっという間に幕に逃げ込んでしまう太郎冠者に対して、一呼吸おいてから既に姿の見えない相手を追いかけるように酒屋が追い込む という具合になり、ちょっと不思議な感じの終り方になったように感じられた。とはいえ最初はどうしようもない主人だとこぼしていたのが、最後にはそれでも主人の ために酒樽を持って去っていく太郎冠者と、最初は酒代なしでは酒を渡さないと言い張っていたのが、最後はまた今回もいいことにするかといった気持ちに なってしまう酒屋の気持ちの変化の交錯は、或る意味で良く伝わる結末だったと思うし、全体としてお二人の個性が対等にぶつかって進境を伺わせる 素晴らしい舞台だったと思う。
則俊さんの謡と梶谷英樹さんの太鼓による狂言一調「おかしき天狗」は、一昨年の「貝尽くし」以来だが素晴らしいの一語に尽きる。山本家の催しらしい こうした番組を今後も期待したい。
休憩の後は東次郎さんがシテの松の太郎を演じる「栗隅神明」。これも祝言性の強い作品だが、印象的だったのは最後の東次郎さんの松囃子の舞で、 何か天衣無縫というべきか、作為やこだわりのようなものを離れた自在さが感じられた。終曲後のお話の冒頭、謡いながらの舞が体力的には非常に負担の 大きいものであることを語っておられたが、私が感じ取ったのは、そうした制約を(もしかしたら踏まえた上で、それを)超えた精神の動きの闊達さであり、 何か個人の感情のようなものは超えてしまったような、まさに祝言に相応しい晴々とした雰囲気のようなものであった。
「三番三」を舞われた則俊さんも、「栗隅神明」の松囃子を舞われた東次郎さんも、いずれも長い歳月をかけて築き上げられた境地のようなものを 感じさせるような素晴らしい舞台であり、このような舞台に身近に接することのできることのありがたみを感じずにはいられなかった。「ハゲマス会」という 名称の会ではあるけれど、お二人の芸境の高さを目の当たりにして、励まされ、叱咤されているのは寧ろ見所にいる私の方であることは間違いないのだ。 「ハゲマス会」主催の舞台を拝見するようになってもう10年、数えてみると今回が8回目であるが、今後も時間が許す限り会場に足を運び、 山本家の方々の円熟と進境を拝見しつつ、自らの糧としていかなくてはならないと感じた一日であった。
(2013.1.27, 2024.12.12 noteにて公開)