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日記・ポリフォニー・門:ジッド『狭き門』からモノローグ・オペラ「新しい時代」へ(18)

18.

もう一点の検討点。folio版には、編集者のノートとして、ジッドがN.R.F.に「狭き門」を掲載するにあたり、最後まで残しながら、 最後になって削除した、幻の第8章冒頭が収められている。この部分の存在は一見したところ、「狭き門」に関して 「徳」という固定観念に殉ずることへの批判という見方を採ることを支持するかに見える。だが、勘違いしてはならない。ジッドは結局この部分を削除したのだ。近年公表された草稿ノートについてもそうだが、そうした作品創作の現場を覗き込む作業は、得てして最終的に作者が作品に残したもの、選択したものが何であったか、そしてその選択の意味するところは何かという点をおろそかにする。 「作品」を創り上げるジッドの天才を蔑ろにすることすら容認しかねない。この部分が削除されたことによって、作品はどのような意味を帯びるようになったのか。恐らくは「固定観念に殉ずること」の中にも、ジッド自身が内心許容したかったもの、そして彼が決して手放してはならなかったにも関わらず、作品の外では手放してしまったものを浮かび上がらせる機能を果たすように思える。

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