バルビローリのマーラー:第1交響曲・ニューヨーク・フィルハーモニック(1959.1.10)
バルビローリの指揮した第1交響曲の演奏の記録としては、スタジオ録音の他に、1959年1月10日に「古巣」であるニューヨークフィルハーモニックに客演した際の カーネギーホールでのライブ録音が残っている。 (ニューヨークフィルハーモニックによるマーラーの歴史的演奏の記録のセット中に収められている。) バルビローリの解釈が事前に非常に緻密に練られたものであるがゆえに、これに先立つハレ管弦楽団との スタジオ録音と大きな解釈の変化はないが、ニューヨークフィルハーモニックという、マーラー自身が晩年にまさにこの作品を 指揮をしたこともあるオーケストラによる演奏でもあり、その一方で、常任指揮者としての在任中は1939年10月26,27日と12月16,17日の2回、 第5交響曲のアダージェットのみしかマーラーを取り上げなかったバルビローリが、戦後になって1952年にカーダスに薦められて以来、マーラーに 本格的に取り組むようになってから初めて「古巣」でマーラーを取り上げたという意味でも大変に興味深い記録である。 (バルビローリは1962年12月6,7,8,9日に再び、今度はフィルハーモニック・ホールでニューヨーク・フィルハーモニックを指揮して第9交響曲の 演奏をしており、12月8日の記録が残っているので、これは別に取り上げたい。)
更に加えて、こちらの演奏には非常に印象的なエピソードが残っている。戦後アメリカに定住した アルマが、この1959年の客演時のリハーサルとコンサートを聴いているのである。演奏後バルビローリに 会った彼女は、バルビローリに「私の偉大な夫を再び見、そしてその演奏を再び聴いたような思いがした」 「まるでマーラー自身が指揮をしているかのようだった」と語ったと伝えられている。 (ケネディによる伝記ではp.266、バルビローリ夫人による回想録ではp.152を参照)。
無論、これはいわゆるアネクドットの類を超えるものではないかも知れないし、 アルマの評価というのも随分と気まぐれな部分もあったようだが、それでもなお、 50年前に同じオーケストラで作曲者である自分の夫自身が指揮した演奏を彼女は 確かに聴いていたことを思えば、バルビローリの演奏のどこかに、マーラーその人と通じるテンペラメントを 彼女が見出したのだ、と想像することはあながち不当なこととは言えないように思える。 1957年のスタジオ録音でも、その同じテンペラメントは聴き取ることができるに違いない、と私には思われただけに、 非常な期待を持っていたのだが、実際にその記録に接した印象は、事前の期待を裏切らない、素晴らしいものであった。
演奏会自体は1月8,9,10,11日の4回行われ、そのうちの3回目の10日の演奏会の模様が放送用に収録されたものが 記録として残っており、モノラルではあるが状態は比較的良く、それほど聞きにくくはない。会場のノイズも拾われていて、 臨場感には事欠かないし、終演後の客席と感動を共有できるのは、それが録音を通じてであれ、半世紀の時と場所の隔たりを越えての ことと思えば感慨深いものがある。その客席にはアルマもまた居た筈であり、こうやって録音を介して記憶の継承に与れるのはやはり素晴らしいことであると 思わずにはいられない。
終演後の客席の熱狂も含め、これはエピソードが伝えられて当然の素晴らしい演奏であり、マーラーが晩年の1909年12月16, 17日に 同じカーネギー・ホールでニューヨーク・フィルを指揮して若書きのこの曲を自ら取り上げたとき(これはこの作品のアメリカ初演でもあった)の印象をワルター宛の書簡 (1996年版書簡集429、これはアルマの回想の付けられた書簡選でも採られていて、ミッキェヴィッチの「葬送」の引用を含むことで有名な書簡である)にて述懐しているが、 その印象を彷彿とさせるような圧倒的な力を感じずにはいられない。弦楽器のフレージングやポルタメント奏法の徹底などにいつものバルビローリの入念な準備が 窺えるが、随所に見られる大きなテンポの変化やルバートが自然に処理されているのは、このときは客演とはいうものの、かつてバルビローリがフルトヴェングラーの代役をかって、 短期間であれこのオーケストラの常任であったことにもよるだろうし、マーラー・オーケストラであり、2度の戦争を挟みながらマーラーを演奏し続けてきたオーケストラがマーラーの 音楽を十二分に消化しているということにもよるのだろう。
印象に残る部分は枚挙に暇がないが、特に第4楽章の2度ある突破のうちの最初の激発が収まったあと、第1楽章冒頭を回想する箇所の回想の時間性の眩暈を起こさせるような深み、 全く異なる時間の流れにふと落ち込んだような対比の鋭さはバルビローリの解釈の真骨頂を示すものだろう。第1楽章展開部後半を再現した2度目の突破からコーダに至るまでの音楽は、 まさにマーラーが書簡で語った「造物主への嘆願」であると感じられるし、アルマが50年近い時を隔ててこの演奏にマーラーその人を聴き取ったとしても不思議はない、 勿論、我々はマーラー自身の演奏がどうであったかを知る術はないけれど、確かにそれに迫る何かを備えていることを確信させる演奏の記録だと思う。
一方1959年のニューヨークでのコンサートは、今日ではDover版などで確認できる古い版にほぼ従った演奏のようであるが、興味深いことに、 ここにおいても2年前のスタジオ録音と同じく第4楽章冒頭の主題提示の開始部分でトランペットによる補強がはっきりと聴き取れる。一方で練習番号44番前後の シンバル打ちについては1906年版にしたがっているようだ。この点で特に印象的なのは、相対的にゆっくりと、踏みしめるように無骨に演奏される第2楽章レントラーの 再現部分の練習番号29番の4小節後からティンパニが主題のリズムをフォルテで強打する部分で、この作品の成立史を知る者にとっては交響詩「巨人」のフラッシュバックであるかの ような印象を覚え、はっとさせられる。第1楽章の序奏の練習番号2番の4小節前のTempo I に対して、その直前にクラリネットが奏するカッコーの音型の 最後の繰り返しを、楽譜の指示(これは1906年版で既に確認できる)に従わずにTempo I に従うことや第1楽章の提示部反復を省略したりするなどは1957年の ステレオ録音と共通するものであるが、随所で聞かれる違いについてはニューヨーク・フィルハーモニックが所有しているであろう楽譜に基づくものである可能性が 高いように思われる。ニューヨーク・フィルハーモニックは2度の大戦を挟んで、一旦ヨーロッパでは中断しかかったマーラー演奏の伝統を継承してきたオーケストラだし、 マーラー自身が晩年、この作品を指揮した際に使用した楽譜がライブラリに保管されているようなので、この演奏にもそれが反映されている可能性は充分に あるわけである。ちなみにニューヨーク・フィルハーモニックのライブラリ所蔵の楽譜は1899年のヴァインベルガーのもののようだが、恐らくマーラー自身が演奏したとなれば 1906年版に反映された変更も含め、その後の改訂の結果が反映されていると考えるのが自然であろう。この演奏のどの部分がそうした伝統に属しており、あるいは バルビローリ独自のものであるのかも含め、事実関係については現在の私には確認の手段がないのでこれ以上のコメントは控えるが、いずれにしてもそうした様々な 歴史的な脈絡の交錯の中で実現した稀有の記録の一つであることは疑いを容れないと考える。
(2002.4.30 公開, 2024.7.4 noteにて公開, 7.6 Dover版に関する記述を修正)