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アントン・ヴェーベルン(1883-1945):後期ヴェーベルンはニヒリズムか
「後期ヴェーベルンはニヒリズムである」とは西村朗さんの発言で、先日(2008年10月11日)の三輪眞弘さんの新作演奏会での鼎談でのものである。こうした場での発言を前後の文脈から切り離して論じることには危険が伴うのだが、ここではその発言の真意を探ることが目的ではなく、くだんの発言をきっかけに、自分がどのように「後期ヴェーベルン」を受け止めているかを再度確認してみたくなっただけのことである。事実としてきっかけはかくの如くであったのだからそれは書き留めておくことにしよう。もし西村さんの発言に寄り添うならば、「後期ヴェーベルン」とは一体何時から始まるのかという点についても検討が必要に違いないが、ここでは私が常日頃漠然とそう感じているように、Op.21の交響曲からOp.31の第2カンタータまでを指すものとする。この区分は別に奇を衒ったものではなく、ごく一般的なものだとは思うし、別段楽曲分析などしなくてもOp.21からはっきりと作品の雰囲気が変わることは聴けば明らかなことだとは思うが。
例えば私がずっと聴いてきたケーゲルのヴェーベルン作品集にはOp.21が含まれている。ヴェーベルンは中期にはほとんど歌曲ばかりを書き続けていたから、このような管弦楽曲集ではOp.21だけ明らかに雰囲気が違っていて、それが一応調性のあるOp.1といわゆる無調期のOp.5,6,10との間の差よりも遙かに大きいように感じられるというのは考えてみれば不思議なことかも知れない。だが近年人気があるらしいヴェーベルンの習作期のはっきりと調性のある作品群とOp.1を比べると、こちらはこちらで無調期の作品に寧ろ近いものに感じられるのだ。習作期のヴェーベルンを聴いてヴェーベルンが捨ててしまったものを惜しむ声があるのは理解できないではないが、けれどもこの点については私の嗜好ははっきりしていて、私は最初にはOp.10の、ついでOp.3,4のヴェーベルンに魅惑されたのだから、私にとって調性がないことは壁であるどころか、寧ろ魅力の源泉であったのだ。調性がない「にも関わらず」魅力ある作品ではない。ヴェーベルンが選んだ手法はその音楽の実質に見事に見合っている。結局、恐らくOp.1以前の様式の範囲で熟達が達成されても、私にとってはさほど魅力的な作品にはならないに違いない。
だがその一方で、それら初期の無調の作品の控えめだけれどもしなやかで強い表出性への傾倒は、後期の作品群への距離感と裏腹なものであったことは否み難い。そうはいってもそれがヴェーベルンの作品であることは間違いなく、他の同じ技法による作品とははっきりと異なって響きはするけれど、それでも後期作品の佇まいには何か近寄り難いものを感じていたのは事実である。一般には主観的なものから客観的なものへの移行があった、否、そこには或る種の弁証法的な逆転、相転移があったとされるようだ。素材の透明化を進めていくヴェクトルが、素材への主体の強制の忌避となり、かえって主観の透明化を招来した、などなどといった説明が可能で、そこでの主体の没落が、そもそも無調期の表現主義的なヴェクトルのある意味では自然な帰結でありえる(没落を予感する主体の叫びが、無調期の強い表出性をもたらしているとするわけだ)が故に、ここにニヒリズムを見ることも確かに可能かもしれない。12音技法をファシズムと短絡させることに批判はあるけれど、そうした連関への嫌疑を惹き起こすだけのものが文脈の側には備わっている、というわけだ。
だが、同様に(もちろん実際の具体的な様相は異なっているが)やはり些かの距離を感じていた中期歌曲が「わかって」しまうようになり、しばらくするうちに後期作品の聴き方も随分と変わってきた。勿論それが初期の無調作品のように主観的に響くということはないし、後期作品の持つ或る種の客観性、情緒的なものをほとんど受け付けないような、鉱物的とでもいえるような透明感の印象は変わらない。変わったのはその音楽から受ける印象がずっと具体的で生き生きとしたものに感じられるようになったこと、そして作品を見つめるヴェーベルンの視線のようなものが感じられるようになったことである。歌詞のある作品についても音楽と歌詞との間にギャップがほとんど感じられなくなってきたのである。印象派的ではないけれど、そこには風景が存在する。光の調子や空気の感じが伝わってくる。それは作品の内容とは直接関係ないかも知れないが、少なくともヴェーベルンが一体何にインスピレーションを得てこのような作品を作ったのかがわかるような気がする。もっと言えばヴェーベルンが何故このような作品を作りたかったのかがとてもよく分かるような気がしてきたのである。それをニヒリズムと呼ぶかどうかは、少なくとも私にとってはどうでもいいことだ。ニヒリズムならきっとわかるようになってきた私もニヒリズムに陥りつつあるのかも知れないが、それでも別に構わないように思われる。
ヴェーベルンは恐らくここで作品を自分が恣意的にでっちあげたものだという考えを持たなかったろうし、それはヴェーベルンがまさに目指していたことに違いない。だとすればこれはうまくいっているのだ。例えばOp.21の第1楽章はマーラーの第9交響曲の第1楽章のすぐ隣にあるのは間違いない。でもここにはマーラーにあった主観的なものが根こそぎ取り払われていて、自我が抱え込んでいる自己の有限性故の葛藤は端的に存在しない。でも、この音楽は抽象的な音の戯れなどでは全くない。ヴェーベルンが多くの時間を過ごした山の風景が、その空気や光が一杯に後期の作品群の中に閉じ込められている。そしてその輝きを、生気を、清々しさを私はその作品を通じて一杯に浴び、吸い込むことができる。感受の感受、感受の伝達はここでも起きている。
ヴェーベルンは後期に至って、若き日に研究したフランドル楽派の音楽と、自分の音楽とを突き合わせるということをしているし、ゲーテの原植物や、法則という意味でのノモスについて言及してもいる。(これらは翻訳もあるヴィリ・ライヒ宛書簡で読むことができる。)フランドル楽派のような音楽への接し方は、果たして退行なのか。そこにはニヒリズムを認めるべきなのか。主観性を超えた秩序、法則の反映として音楽を考えるという、ピタゴラス派的と言って良い姿勢(ただし、それは主知主義的であるとは限らない)もまた、ニヒリズムなのだろうか。それぞれの具体的なありようは異なるが、各自の仕方でそうした客観の側の秩序(無秩序でも構わないが、とにかく一般にイメージされるロマン派的な「主観性」とは対極にあるそれ)と自らの音楽との関係を探求した人たち、例えば後期のシベリウスは、クセナキスは、三輪眞弘のアルゴリズミック・コンポジションは、これらもやはりニヒリズムなのか。勿論、それらを単純にひとくくりにすることはできないが、それなら再びヴェーベルンの場合に戻って、その生成の文脈を離れて、今、ここで私が向き合っているその作品にニヒリズムを認めなくてはならないのだろうか。
ここで私はヘルダーリンの最晩年の断片の幾つかを思い浮かべる。ヘルダーリン伝を書いたホイサーマンが「(...)生は次第に主観的な色調と緊張を失う。さまざまな現われは客観的なもの、幻影のようなものになる。」(野村一郎訳, p.189)と書いたような断片たちのことを。例えば「冬」Der Winter、
Der Winter
Das Feld ist kahl, auf ferner Höhe glänzet
Der blaue Himmel nur, und wie die Pfade gehen,
Erscheinet die Natur, als Einerlei, das Wehen
Ist frisch, und die Natur von Helle nur umkränzet.
Der Erde Stund ist sichtbar von dem Himmel
Den ganzen Tag, in heller Nacht umgeben,
Wenn hoch erscheint von Sternen das Gewimmel,
Und geistiger das weit gedehnte Leben.
野は荒涼として 遙かな山の上に
ただ青い空が輝いている、いくつもの小径のように
自然の現われるのは 同じようだ、吹く風は
爽やかに、自然はただ明るさにつつまれている。
大地の円は天空に包まれているのが見える
昼のうち また 明るい夜
空高く星くずの現われ出でるとき
そして 広く広がった生(いのち)はいっそう霊的になる
あるいは、ヘルダーリンの絶筆となった「眺望」Die Aussichtといった作品の背後にある認識をまた、ヴェーベルンの後期作品同様ニヒリズムと呼ぶかどうかは最早どうでもいいことのように思える。私にとってはいずれもかけがえのない作品であること、否、それどころか、慎ましいものではあるけれども、私の生命よりもそれらの作品達の方がずっとずっと永い生命を持ち、これからも受け継がれていくこと、遙かに大きな価値を有するものであるということを確信できるだけで私には充分である。(2008.11.2,3, 2009.11.8改訂, 2024.5.23 改訂, 2024.12.15 noteにて公開)