性悪説ではなく性善説で
飲食店は基本的には性悪説で経営しないと経営として成り立たないと言われることがあります。
それは「人」に関わるトラブルが後を絶たないからだと思います。
飲食店に限らず、経営において人の悩みは永遠のテーマです。
常に人について考え、悩んできたように思います。
ただ、その中でも基本スタンスとしては常に「人」を信用しています。
そういう意味では、基本的には性善説での経営になると思っています。
以前の投稿で「人に期待しない」ということを記載しましたが、「期待はしないが信用はする」ということです。
「信用する」ということはやはり「性善説」での経営になるかと思うのです。
細かく定義するとそうではないという意見もあるかもしれませんが。
人は信用された方が気分が良いですし、仕事もしていても楽しいのではないかと思うのです。
自分自身も性善説で経営していた方が楽しいのでそうしています。
そんなシンプルな理由だったりもします。
性善説で経営して、仮に信用していた人に裏切られるようなことがあったとしても納得できると思うのです。
自分の見る目がなかったのだと。または、何か特別な事情があったのではないかと。
一方で間違いが起きないようにしっかりとした環境整備を行うことも大切です。
それは「性悪説」なのではという意見もあるかもしれませんが、ベースに「信用する」ということがあるので私は「性善説」というくくりで良いと思っています。