はやく私を見つけてください【短編小説】
「アーヤカ! なーに読んでるのっ」
「うわっ」
下校中、スマホをじっと見つめていた私の背を、誰かが叩いてきた。振り返ると、シオリがいた。
シオリは、私のweb小説読書仲間だ。高校一年生の時にクラスが一緒になり、趣味も同じだったから仲良くなった。高校二年生になったいまでも仲がいい。
一緒に帰るのは久しぶりだった。
「歩きスマホはだめだってえ……で、なになに? おもしろいの? URL、送ってよ」
「いいよ! これ最近のお気に入りなの!」
私は投稿サイトの小説を読みながら歩いていた。ずいと私のスマホ画面を見つめて、シオリも気になったのかもしれない。それもそのはず、私がこうも夢中になってしまうほど、おもしろい作品なのだ。
「ありがと! じゃ、私もお礼に最近のお気に入りを教えちゃおうかな~」
ショートメッセージアプリでURLを送ったのなら、お返しのURLが飛んできた。早速私は開いてみるものの、その時の私の表情に、シオリが気付く。
「あれっ? もしかして……」
「……もう読んじゃった作品なのでした~」
更新分はすでに全部読んだし、評価も済んでいる。感想も何個か書いた。いまは次の更新を待っている、私のお気に入りの一つだった。
シオリが半ば呆れたような笑みを浮かべる。
「アヤカは本当によく読んでるね~」
「これ、今度書籍化するんだって! イラスト楽しみなんだ!」
「えっ、そうなんだ! そのうちアニメ化しちゃったり?」
「あり得るよね!」
web小説の話ができるのは、私にとって、シオリだけだった。このセリフが好き、このシーンが好き、そんな話ができるのは、シオリだけだった。
「アヤカが読んでなさそうな奴、どこにもないな~」
学校最寄りの駅に向かいながら、シオリが私のために作品を探してくれている。ただ、これまでに教えてもらったものは、全て私がもう読んでしまったものだった。
「ていうかおもしろそうな作品、どうやって探してくるの?」
ついにシオリが顔を上げる。私は少し思い出しながら、
「うーん……ランキング見たりすることもあるし、更新された作品とか、ピックアップとかも見るね。あとはSNSの感想とか」
「……ほとんど全部見てるってことじゃない?」
言われてみればそうかもしれないと気付く。暇な時間、やっていることは小説を読むこと、次に読む小説を探すこと、そればかりだった。
「あたしも色々探してみてるけどな~……SNSの『読み専』さんの感想とかもチェックしてるし……」
シオリがスマホをいじりながら首を傾げる。と、顔を上げて、
「そういえばこの前、SNSで変な投稿見ちゃってさあ、なんか萎えたっていうか……」
再びスマホをいじり始める。指の動きからわかる、SNSの投稿を見ているらしい。
「なんだったっけな……この読み専の人が笑ってたんだけど……小説のキャッチコピーってあるじゃん? そこに『はやく私を見つけてください』みたいにしてる作品があったんだって」
見せてくれたのは、私も追っている読み専さんのアカウントだった。この人が「おもしろい」という作品は本当におもしろい。ただ時々、棘のあることを言う。それもいいと思えるけれど。
シオリは続ける。
「それでその読み専の人は、そんなことじゃなくて作品のアピールポイントを書いてくれって言っててさあ」
それはそうだと思う。私だって、キャッチコピーから作品を読むか読まないか決めることがあるし。
なにより、作品を読む前に見る「前情報」にそんなことが書いてあったら……私としては、読む気が失せる。痛ましい、というか。引く、というか。自己顕示欲が強すぎる、必死すぎる、というか。
シオリは呆れたように笑っていた。わかる。それは冷笑だった。
「作品自体は評価も低いし、そもそも本文読む前のあらすじからして……すごく読みにくいものだったから、その人は結局読んでないらしいけど、なんていうか……自己顕示欲~! って思っちゃった。構って~、みたいな」
「……まあ作品を作るって、そういうこともあるかもね」
書きたいから書いている人もいれば、読んでほしいから書いている人もいるかもしれない。
それに、書きたいから書いている人も……読んでもらえなかったら――。
「正直どのくらいやばい作品なのか気になるわ……あらすじの時点で『つまんない』じゃなくて『無理』って感じだったらしいよ。逆に興味出てくるわ」
続けるシオリに、私は「確かに」と適当に返してしまった。
シオリは、気にはしていないらしかった。代わりに、自分のスマホの画面を睨んで、
「……って思って今調べてるけど、出てこないや。消しちゃったのかな、作品」
「――それはちょっと、かわいそうかも」
――頑張って作った作品が、見向きもされないなんて。
もう駅は目の前にあった。私とシオリは、別の電車に乗る。
シオリと別れて、私は再びスマホで小説投稿サイトを開いた。ふと目をやれば、サイトには現在公開されている小説の数が表示されていた。
いったい、このうちの何パーセントが『存在していない小説』『価値のない小説』と思われているんだろう。
なんとなく、そう思ってしまった。
* * *
いまでこそ、私は『読み専』として日々おもしろい小説を見つけては楽しんでいる。
けれど、あれは一年くらい前のこと。
私も小説を書いてみたくなった。
好きな要素を組み合わせて、おもしろいと思う話を考えて。時間も体力も使って。
最後まで作品を書き上げた時、私は、私だけの宝物を手に入れられたような気がした。
最高傑作ができたのだ。私がいいと思うものを詰め込んで、私ができることをできる限りして、そうして出来上がった私の完璧な作品だった。
……作品を公開するまでは。
自分で言うのも恥ずかしい話だけれど、たくさん小説を読んでいるのだから、いい作品が書けると思ったし、書いてしまったのなら、ランキング上位に入ると思っていた。
……そんなことはなかった。
読者はゼロではなかった。本当に数人だけ。けれども小説投稿サイトの読者人数表示機能が、無情な事実をつきつけてきた。私の作品を読もうと思った人は、序盤で離脱してしまっている事実を。
私はおもしろい作品を書いたつもりだったのに。
きっとみんなに好きと思われて、評価される作品を書いたと思ったのに。
できることを全てやったつもりだったのに。
処女作でトップをとろうなんて、それは無理な話かもしれないけど。
ただ、思った。この作品を書くために費やした全ては、無駄だったんだって。
作品そのものも、費やしたものも、価値がないのだと。
SNSで宣伝してもスルーされるだけ。読み合い会にも参加したけれど……さらっとした短い感想だけが送られてきて、果たして本当に私の作品を読んだのか怪しく思えてしまった。興味を持ってもらえなかったのかもしれない。
――その作品はもう消してしまったし、私の「作者」としてのアカウントも、もう消してしまった。
あんな虚しい思いをするのは、もう嫌だった。
……だから、わかってしまうのだ。今日のシオリの話に出ていた小説の、作者の気持ちを。
『今日の帰りに言ってた小説、見つけた!』
『確かにあらすじの時点でなんか触っちゃいけない感ある』
――シオリからそんなメッセージが飛んできたのは、夜のことだった。URL一つが送られてくる。
『ほんと? あとで読む!』
お風呂に入る前だった私は、そう返した。
そして風呂上りに読もうとURLをタップするものの、エラーページしか開けなかった。
『なんかもう作品読めなくなってる! 消したのかな』
そう返すしかなかった。
ふと、思う。消した小説は、どこに行くのだろうか、なんて。
私の場合は……完全に消してしまった。作者としての「私」も消してしまった。
そしてもう一つ思う。そうやって消えていった作品や作者は、どれくらいいるんだろう、なんて。
――私のメッセージに、シオリの「既読」はつかなかった。
* * *
『シオリ、お願いだから連絡ちょうだい』
……シオリ宛てに、メッセージを送る。
もう何個目のメッセージだろうか。
既読はやはり、つかない。どんなに待っても、返事もない。
――シオリがいなくなって、一週間が経った。
一緒に帰った日の夜、シオリはいなくなってしまったのだ。
どうやら家出とか、そういうものではないらしく……シオリについて、学校でも聞かれることがあった。
シオリは失踪してしまったのだ。スマホを持って。
――大丈夫、だよね。
私はそう信じるしかなかった。シオリが何か事件に巻き込まれたなんて、そんなことは考えたくなかった。
でも家出するなんて考えられない。あの日、私達は楽しく趣味の話をしていたのだ。シオリに家出するような気配はなかったし……シオリが既読無視するなんて、信じられない。
怖いことを考えるのはやめよう。
こういう時は、楽しいことをしよう。
気持ちを切り替えて、私はスマホで小説投稿サイトを開く。いまは、楽しい物語を読んで、その世界に入り込みたかった。トップページに並ぶピックアップ小説の中に、何か面白そうなものがないか、探してみる――。
その中に。
『読者の方、編集者の方、はやく私を見つけてください。面白い小説を書いているんです』
そんなキャッチコピーが。
シオリの失踪のことばかり考えていて、あの日話した内容を、すっかり忘れていた。思わず私は座り直す。
これが例の小説か。シオリが送ってくれたURLは開けなかったけれど、本当にあったんだ。
――シオリはこれを読んで、面白いと思ったのかな。
――またシオリとweb小説の話、したいなぁ……。
そのキャッチコピーをタップする。シオリは失踪する前、きっと最後にこれを読んでいたのだ。
だから、私も読んだのなら、感想会ができるような気がして。
ただ、作品ページを開いて後悔する。
「うわあ……」
何を言いたいのかわからないあらすじが書いてあった。専門用語がたくさんあるのはもちろん。多分、かっこいいあらすじを書きたかったんだろうけど、気取りすぎてて引く、というか。
なんというか……作者の自己満足を感じた。
……昔の私の小説も、こんな感じだったのかな。そう思うと、読まれなくて当たり前だったと思ってしまった。
とはいえ、小説は本文を読んでみないとわからない。
それもある程度は読まないと、わからないものなのだ。
……私だって、小説を公開した時に「ここまで読んでもらえたのなら、きっと面白いと思ってもらえるはず!」と考えたポイントがあった。
ただ、全員序盤で離脱してしまったから、そこまでたどり着いてくれなかったけれども。
私は、プライドを持って、この作品を読むことにした。
せめて三分の一は読もう。そのくらいまで読まないと、小説はわからない。
まるで過去の私を慰めるような気持ちで、一ページ目を開く――。
『見つけてくれてありがとう』
最初に、そう書かれていた。
『でも、もう誰も評価してくれないって、わかってるんだ』
……作者が自分を下げているのは、正直受けが悪いと思う。これじゃあ、読まれるものも、読まれないんじゃないかな。
それでも私は読み続ける。まだ二行しか読んでいないのだから。
『これまでずっと、そうだったから』
それに、気持ちがわからないわけじゃないから。
『けれど私達の小説は本当に面白い小説だったんだ』
私達?
グループで作品を書いているのかな、と思ったその時に――次の文章が、震えだす。
『この作品の魅力を知らないままでいるのは、無視するのは、もはや罪だと思う』
ゴシック体、明朝体、サイズも変わって、まるで壊れたみたいに。
その文章の下に。
『アヤカ逃げて』
でもその文書はぱっと消えてしまって。それ以外の文章もすべて消えてしまって。
白紙のページ。ただそれだけ。
そこに。
『罰を受けろ』
ふっ、と、スマホの画面が真っ暗になってしまう。
その闇が、どろりと溢れ出す。
闇は文章になっていた。
――どうして。頑張ったのに。認めてもらえない。
私の手に、腕に、身体に絡みつく。
――私を見てよ。なんであの作品が。ずるい。
「い、や……」
悲鳴を上げようにも、もう口にも文章が巻き付いてしまっていた。
――ふざけるな。調子に乗りやがって。へたくそなくせに。媚び売ったくせに。
私の全身が、怨嗟の文章に包まれていく。
果てに、ずるん、と。
闇が私を呑み込み、反転するように私のスマホも呑み込んだ。
* * *
小説投稿サイトのトップページ。ピックアップ作品のキャッチコピーが並んでいる。
その中に一つ。
『助けて、ここから出して。私はここ。捕まった。お願い、誰か』
その文章は揺らいだかと思えば変わる。
『読者の方、編集者の方、はやく私を見つけてください。面白い小説を書いているんです』
【終】