竜と育ての親の鳥【短編小説】
森の片隅で生まれた火は、たちまち広がって木々の全てを燃やしてしまいました。動物達には逃げる暇もありませんでした。舌のように伸びてきた炎に絡めとられてしまったのなら、あとは燃やされてしまうだけ。数千年に一度、起きるか起きないかの大火事です。
やがて炎は消えましたが、残されたのは焦土だけでした。激しい炎は、動物達の骨すらも燃やしつくしてしまい、そこに命があった跡すらも消してしまったのです。
その焦土の上を、一羽の鳥が飛んでいました。
「おや、あれは何だろう。全部燃えてしまったと思ったんだけどな」
黒こげの大地に、鳥は真っ白な何かを見つけました。巨大な骨でした。
「ははあ、これは竜か。何百年も生きるっていう竜すらも、燃えてしまえば終わりなんだね。他の動物と違って、骨だけは残ったらしいけど」
その骨の下に、骨とはまた違った白色を見つけて、鳥は驚きます。
「なんてこった、卵も燃えずに残るのか!」
竜の骨は、何かを守ろうとするかのように丸くなっていました。その中央に、卵があったのです。死した大地でも、まるで宝石のように輝く卵が。
「でも、ゆで卵みたいになってるんじゃないかな?」
そう鳥が首を傾げた時でした。あたかも返事をするようにこんこんこん、と。
――産声が上がりました。卵が割れて、竜の赤ちゃんが孵化したのです。
「お母さん? お父さん?」
生まれたばかりの竜は、まず目の前にいた鳥に尋ねます。鳥は呆れながら、
「私は鳥。お前は竜。私はお前の親じゃないよ。多分そこの骨が、お前の父親か母親、どちらかなんじゃないか?」
言われて竜は、きょとんとして竜の大きな骨を見つめます。
「そんな! 僕は一人ぼっちってこと? どうしたらいいの!」
竜はわあわあと泣き出してしまいました。
どんなに泣き声を響かせても、そこはもう全てが燃えてしまった大地。誰かが来てくれることはなく、鳥も困ったように竜の赤ちゃんを見つめることしかできませんでした。
* * *
鳥は決して、優しい性格ではありませんでした。どちらかといえば、他の生き物にあまり興味を持たない故、薄情者でした。
鳥が竜の赤ちゃんの面倒をみようと思ったのは、気まぐれのほかにありませんでした。
「運よく火事から生き残ったんだ。せっかくだし、お前が一匹で生きていけるくらいになるまでは、面倒をみてやろう」
「それじゃあ、お母さんだ!」
泣いていた竜の赤ちゃんは、さらに泣いたかと思えば鳥に飛びつきました。
そうして、鳥の子育てが始まりました。鳥は博識でした。竜が腹を空かせたのなら、いまの彼に食べられそうなものを持ってきます。竜の翼が大きくなってきたのなら、少し高いところから飛び降りさせて飛行の練習。徐々に飛べるようになったのなら、今度は一緒に空を飛びます。
「みてみて、お母さん! 僕、もっと飛べるよ」
赤ちゃんだった竜は、気付けば鳥よりも大きく育っていました。青空に広げた翼をぐんと羽ばたかせれば、より太陽に近づいていきます。
鳥も竜に続こうとしますが、それ以上、高度を上げることができませんでした。
「あれ? 大丈夫?」
気付いた竜が鳥の隣に戻ってきます。
「ごめんなさい! お母さんは鳥で、僕は竜だってこと、忘れてた」
「いつも『別の生き物なんだから』と言ってるはずなんだがね……」
鳥に比べて、竜は体力も運動力もありました。そんな竜についてきていたのだから、鳥はもう疲れ切っていました。
竜は慌てて地上を目指し、着陸します。そうして鳥も、地面に降り立ちました。
着地したのなら、鳥はすぐに身体を丸くしてしまいました。
「お前、もう随分立派になったじゃないか。そろそろ独り立ちしてみたらどうだ?」
鳥は苦笑いを竜に向けますが、竜は途端に悲しい顔をするのでした。
「お母さんとお別れするのは寂しいよ! お願い、あともうちょっとだけいさせて!」
もうすでに長い時間を鳥は竜と過ごしていました。だから「息子」にそう言われてしまったのなら、鳥は強く言い返せないのでした。
* * *
火事で全てが失われてしまった大地も、時間が経てば命が戻ってきます。時間はひどくかかってしまいましたが、やがて土の上に緑が広がり、木々が枝を広げ始め、動物達がどこからともなくやってきます。様々な動物がやってきて、竜と友達になってくれました。
「僕のお母さんは、鳥なんだ。あの火事の後、僕のことを育ててくれたんだ」
竜にとって、育ての親である鳥は自慢の母親でした。
「つまり、君はお母さんより大きいってこと? 変なの」
兎が言います。
「鳥さん、大変だっただろうなぁ。だって自分の子供じゃない上に、別の種族なんだもの」
狐が言います。
そして蛇が言いました。
「しかも別の種族だから、長く一緒にはいられないんじゃない? ねえ、君は一体どれくらいお母さんと一緒にいたの? もう何年も経ってたりする?」
「それってどういうこと? 確かにお母さんは、僕に独り立ちしろって言うけれど……」
意味が分からなくて竜は首を傾げます。すると三匹の友達はきょとんとして竜を見つめた後、口を揃えました。
「別の種族だから」
――自然が戻った穏やかな森の中で、竜は友達に教えてもらいました。「寿命」というものについて。種族でそれの長さが違っていることについて。そして自分の寿命は、何百年もあるのに対して……鳥は短いことについて。
「お母さん! お母さん!」
泣きながら竜は鳥の元に帰ってきます。鳥は木の上で転寝をしていました。
「どうしたんだい、そんなに泣いて」
「お母さんはあと何年生きられるの!」
不意にそんな質問をされたものだから、鳥は唖然としてしまいます。竜は続けました。
「みんなが言ってた! 僕はたくさん生きるけど、お母さんはすぐ死んじゃうんだって!」
そうしてわあわあと泣き叫ぶのです。
少しして、鳥は息子が何を言いたいのか理解しました。
「お前には散々『別の生き物なんだから』と言ってきたはずなんだけどね。まったく、そういうことも理解していなかったなんて、まだまだ子供だね」
鳥は竜の頭の上に留まりました。竜は、
「僕、また一人になっちゃう……」
「いずれお前が一人前になったら、私はお前と縁を切るつもりだがね……けどまあ、思っていたよりお前はまだ子供だったから、それはまだ先になりそうだね」
それに、と鳥は目を細めて笑います。
「お前が思っているよりも私は長生きしてみせるぞ。そう簡単に寿命で死にはしないさ」
「本当に? 信じてもいい?」
「そんなに不安なら、私がころっと死んでしまわないか、見張っていればいいじゃないか」
――それから月日が過ぎ、数年が経ち、十年が経ち、二十年が経ちました。
言葉通り、鳥は生き続けました。それも、竜の赤ちゃんを拾ったその時から、まったく変わらない姿で。
対して竜は更に大きくなり、すっかり大人の竜になりました。
「そろそろ独り立ちしてはどうかね」
時折、鳥は竜に尋ねます。息子は。
「いえ、母さんがいつ寿命で亡くなってもおかしくないんです、鳥は私と違って寿命がとても長いわけではないのですから。だからまだそばにいますよ。見張っていないと」
すでに何回も繰り返された会話に、鳥はふんと笑います。竜も神妙な顔をしていましたが、いつも安心していました。
だってまだ、一人ではないのですから。
そしてこのまま、ずっと一緒にいられるのではないかと思ったのです。
* * *
そのまま百年が経ちました。
不思議なことに、鳥はまだ生きていました。
更に百年、また百年。
「言っただろう、そう簡単に寿命で死にはしない、と」
変わらず鳥は生きていますが、最近では「珍しい鳥がいる」と人間に追われるようになりました。けれども大丈夫、鳥にはとても強い息子がいて、人間達が来る度に彼は追い払ってくれました。
更に百年、数百年。そうして千年以上が経ち、もう何年経ったのか分からなくなった頃。
かつて、森には珍しい鳥や、凶暴な竜がいるという話がありましたが、もう森に人が入らなくなって久しいいま、それはおとぎ話になってしまいました。
けれどもまだ、森の奥にはありました。あの鳥の姿と――すっかり老いて動けなくなった竜の姿が。
竜は寿命を迎えようとしていました。
「かつて私は、あなたが先に亡くなり、自分がだけ残されることをひどく恐れていました」
弱々しい声で、竜は言います。
「ごめんなさい、あなたにそんな思いをさせてしまうなんて」
「覚悟はしていたさ。お前を独り立ちさせることを諦め、最期まで面倒をみようと思った時に」
全く姿を変えない鳥は、死にゆく竜の前に座り込んでいました。
「『別の生き物』というのは、こういうことなのさ。どんなに仲良くしても、ほかの生き物は私を残して死んでいく。これが不死鳥というものなのさ」
育ての親である鳥――不死鳥は淡々と答えます。
「だから他の生き物がどうなろうが、もう気にならなくなったし、誰かへの情もとっくになくしてもう戻らないと思ってたんだけどね……随分長いこと、お前と一緒にいてしまったよ」
「……私の本当の親が亡くなったあの火事。あれは、あなたによるものですか?」
不意の質問に、不死鳥はくちばしを固く閉ざします。気まずそうに一度竜から視線をそらした後で、ようやく言葉を発しました。
「ちょうど転生の時期でね、やらないと不死鳥だって死んでしまうのさ。辺りが燃えてしまうけど、まあいいやと思ってね。だって……私以外の命は、そもそも儚いからね」
答えて不死鳥は息子の反応を待ちます。けれどもいくら待っても返事がなく、不死鳥が改めて竜を見たのなら、老いた竜は瞼を閉ざしてしまっていました。
「……ごめんよ」
果てに、不死鳥は言葉を漏らします。
それでも反応がないために、ついに不死鳥は立ち上がりました。
この森から、去るつもりでした。どこか遠くへ行こうと考えました。
もう、一人ぼっちになってしまったのですから。
けれども。
「――私は、あの時あなたが私を拾ってくれたことについては、感謝しています」
本当に弱々しい声で、けれどもひどく優しい声でした。
「いままでありがとう、母さん」
背後で生き物が息を引き取るのを、不死鳥は感じました。
しばらくの間、不死鳥は動けませんでした。
「いっそ、恨んでいると言ってくれたほうが、また他の生き物への情をなくせたのに!」
翼をゆっくり広げたのなら、地面を蹴って飛び立ちます。
広い空へと、たった一匹で。
「ああ、こんなのじゃ、他の命を燃やしてまで、生きようとは思えないよ……」
それから、数千年に一回、世界のどこかで起きていた大火事は起こらなくなりました。
不死鳥がどこに行ったのかは、誰も知りません。
【終】
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