オンラインで浮き彫りになる性格
オンラインイベント。今年からSNS始めてみた~!とかいう人 多い。わたしもその一人。
そこで気になっていることがひとつある。
実名でやるか?ニックネームでやるか?
#Twitter就活 ってタグも流行り始めている。
学生のほうからしたら、企業情報を知るために Twitterで検索することもあるだろう。
企業アカもあるしな。
ただ、本名とかでやってる人もいる。
イベント企画するときや、少人数イベントの時は 本名 出してるから結果的にわかっちゃう、そういうこともある。
学生も、企業も。
怖いな、と思うのは 本来 就活する高学年 でないとき。『あの学生欲しい』と思ったら、SNSでいいねしたり、雑談系イベントいって 会ってみたり。
就活、という場でなくとも 就活できてしまうこと。囲い込みができる。
学生側も 自分で見つけていった というDIY効果(自分で最後に手を加えたものには特別な感情を抱きやすい、ことらしい)で、その会の情報を 特別なものと思いやすいこと。褒められてちやほやされること。
囲い込みって結構簡単だと思う。
本題に戻す。
私は できる限りニックネームで、SNSとかごとに 名前を 変えて やっている。
周りの話声が、かなり苦手だ。(どうにか克服しようとはしている)こうして 言葉にするのも 苦手だ。
会話も苦手だ。
自分という体を離れて 言葉が空気や タブレットにのるとき、それは 実像か虚像か 自分でもわからなくなる。自分は本当にそう思ったのか?相手は傷つかないか?それを考えはじめてきりがない。
(今は 言葉を出すことになれようとしてとにかくかいてる)
話の流れに耐え切れないときがある。雑談ですら。
衝動的に 言葉にすることもある。言葉にしたら一旦自分を離れるから あまり関わりたくない。
というか、忘れる。
そういうことすると、からかってるように思われる、不快に思われる、不真面目な子と思われる。
自分でも、どんなにか注意してても あ、やってしまったと思う。
ここにいたくない、と思う。
そういうとき、その場だけのニックネームなら その場を切ればいい。やり直せる。どうにかできる。
その軽さは 反面で 責任感のなさを生んでいるかもしれない。
本名、という拠りどころがなくなったとき。
というか、本名でやるなら もっと 慎重にイベントを選ぶだろう。誰が見ているかわからない。それで萎縮してしまうだろうな、わたしの場合。
今でさえそうだ。
自分で顔を出さないのに 対面しただけで 動機がし、手に汗にぎる。
うまくいかなければアカウントごと 退会するなりできると知っててなお。
そのいらない緊張も含めて 負の連鎖になってしまっているのだろう。
オンラインだからこそ自分の弱さが認識できた。
それは、間違いない。ここから、どうするか。