サッカーW杯に思った。スポーツの発言とその影響力
◆スポーツで政治・信条を表現すること
まずはサムライブルーの決勝トーナメント進出、おめでとうございます!
皆さん寝不足、仕事や勉強どころじゃないね。
そんなサッカーW杯のグループリーグで目にした数々のパフォーマンス。
国家斉唱せず口を真一文字。
片膝つくパフォーマンス。
口を塞ぐポーズ
onelove腕章のすったもんだ・・・。
プレーに直接関係ない思想的で政治信条的な動きをスポーツの場で表現すること。
以前なら、スポーツは政治と切り離しておくべきものと考えていましたから、苦々しく感じていました。
◆過去の悲しい歴史
そういえば、過去にもスポーツをプロパガンダに使った時代はあったでしょうか。
ナチスや東欧社会主義国、然り。
覇権争いに選手もボロボロ……。
そんな負のイメージもあってか、スポーツと政治を切り離したほうがよいなんて考えてしまうのかもしれないが、この時代にはもう切り離しが難しいでしょうかね。
ただ、今感じるスポーツの影響力は、かつての国家レベルのものではなく、個々のプレーヤーにあるように感じます。
◆スポーツの影響力
思い出すと2019ラグビーW杯では、単一民族国家の日本の多国籍チームに多様性の強さを強烈に感じました。
個々のプレーヤーからそれを強烈に感じさせられました。
否が応でも、思想的で政治的なことをプレーヤーを通じ感じざるを得ないのです。しかも良い意味でね。
様々な人種がその場に集まり、みんなが力を合わせることのすばらしさ、しかもそれが観衆から称賛され認められる社会が日本にもあるんだと感動した記憶です。
どんなに政治家が人種問題やジェンダー問題を議会で声高に叫んでも、スポーツの発信力には全くかなわないことも強烈に感じました。
◆組織が大きくなると起きる世間とのミスマッチ
さてさて、今回のFIFAの下した虹色腕章禁止令にも思うのですが、組織が大きくなり大会自体が巨大化すると、どうしても世間の感覚や時代の波から離れてしまう印象を受けます。
往々にして理屈にこだわりズレ始めますかね。
組織が大きくなると、組織維持のためルールや理屈みたいなものがはびこるでしょ。
そうなると、途端に動きが鈍くなるのはいつの時代も同じか?
世間の敏感な風向きに対して動きが鈍い巨大組織は、世間の動きに順応するよりルールなどの別の力で抑え込もうとするのも世の常。
個が影響する時代にはズレてしまうのは当たり前か。それが多様性でネットの時代にはますますズレていきそう。
何かと折り合いの付け方が難しい時代になったのかなぁ。
いずれにしても、スポーツの発信力は個々のプレーヤーの力。これを悪用されないよう願うのです。
yoitenki4110