祖父の戦争体験
昨日は終戦記念日だった。
戦争は私は経験がないが、幼い頃、祖父から色々と話を聞いて育った。
祖父は戦争から戻ってきた人だった。
親戚が集まってみんなでご飯を食べていた時、祖父の酔いが回った時にたまに聞いていた。
どんな話かと言うと
・食べるものがないので革靴を食べていたこと。
・何日もほぼ食べることも飲むこともできない状態で穴蔵からで出られず死を覚悟したこと
・一斉に整列した時、横に並んでいる同僚が上司にスパイクで顔を殴られていたこと
・ちゃんと勉強していなかったことを後悔したこと
まだあったと思うけど、記憶しているのは上記の内容。
『勉強していなかったこと』とは、戦争に行った頃の祖父はまだ10代で真面目に勉強しないまま戦争に行ったため、苦労したらしい
それが確か漢字の読み書きや言葉の意味とかが理解できなかったことだと思う(ここの記憶があいまいです)
なので辞書をポケットに忍ばせて、用を足す時に上司に隠れて勉強していたとか。(辞書はもともと持っていたものか拾ったものかは不明)
もし見つかったら祖父もスパイクで顔を殴られるかもしれなかったのだ。
なので私は祖父から『勉強だけはちゃんとしておけ』と子どものころからよく言われていた。
そして私は一度だけ祖父から怒られたことがある。
それはお茶碗の中の米粒を残したこと。
いつもはペロっと食べる私だけどその日はどうしても食べることができず
「お腹いっぱいでもう食べられない」と言うと、いつもは優しい祖父の顔がみるみる曇っていき
「米を粗末にするな!神様に罰が当たるぞ!」と物凄い剣幕で怒られた。
あまりに突然のことで私はビックリしたのと同時にショックだったのを覚えている。
まだ小学1年生頃でなぜ祖父がそんなに怒っているのか理解もできなかったので母に言うと
「じいちゃんは戦争に行った人やけんね。何も食べられんくて相当大変な思いをした人やけん。でもじいちゃんの言うことは本当のことよ。やけん食べ物は残さず食べよね。」
と教えてくれた。
「普段は怒らない祖父が怒ったのだから、私は相当いけないことをしていたのだな。」
と子どもながらに理解した。
それから今日まで米粒ひとつ残さず食べている。
一粒でも残っていたらと祖父の怒った顔が今でも浮かぶのだ。
13年前に他界した祖父。
もし今生きていると102歳。
戦争を経験した人がどんどんこの世を去っていく。
実体験を語る人がいなくなっていく。
でも絶対に忘れてはいけない悲惨な記憶。
この記憶はずっと語り継がれる必要があると思う。
もっと話を聞きたかった。
今になって思う。
貴重な話、今ならボイスレコーダーのボタンを押してから聞くだろう。
じいちゃん、幼い私に戦争の辛い話と食べ物のありがたみの話をしてくれてありがとう。
お墓参り当分行けてなかったので近々行くけんね。