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しおり〜熊野三山【1泊2日】


【1日目】

7:30 新大阪駅

パンダくろしおでした
ヘッドレストにパンダさん
パンダ愛を感じますね

新大阪 → 紀伊田辺:特急くろしおで約2時間24分
10:10 レンタカー
車にて移動:約1時間45分

10:55 滝尻王子

参拝:約10分

2004年7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」は世界遺産に登録されました
滝尻王子はかつては熊野三山の霊域のはじまりとされていました
中世に熊野御幸が盛んであった頃には皇族貴族により奉幣や読経の他
法楽のための里神楽や歌会が盛大に催されていたということです
熊野に28回も詣でられた後鳥羽上皇の歌が歌碑になっていました

おもひやる かものうはけのいかならむ しもさへわたる 山河の水
<大変いい加減ですが訳をしてみました>
鴨の上毛はどうであろうか(霜が降りているのでは)と気にかけています
これほどしんしんと冷え込んだ夜に山を流れる川音を聞けば

熊野参詣道の道中には熊野権現の子神を祀る「王子社」があり
人々は参拝を重ねながら熊野三山を目指したということです
本来なら徒歩で・・・かもしれませんが車で失礼いたします

11:50 熊野本宮大社

参拝:約30分

熊野本宮大社は熊野三山(本宮・速玉・那智各大社)の中心
全国に4700社以上ある熊野神社の総本宮です
「皇年代略記」や「神社縁起」によると、紀元前33年、大斎原に
社殿が建てられたのが熊野本宮大社の起源だということです
本宮には能舞台なども備わっており今の約8倍の規模でしたが
1889年8月の十津川大洪水により上四社以外の建物はすべて流され
1891年に大斎原から上四社が大斎原から500mほど離れた今の場所へ
移設されたということです
神武天皇を大和国の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い
導きの神として八咫烏には篤い信仰があり、八咫烏の「八咫」とは
大きく広いという意味だそうです
太陽の化身で3本の足があり天・地・人をあらわしているということです
手前から
④東御前(若宮・第四殿) 天照大神
①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
③西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
番号の順に参拝するようにいわれています
修行を深めた智真(後の一遍上人)は念仏札を配る布教活動をしていました

1274年の夏、高野山から熊野本宮大社へ向かう途中、出会った僧に念仏札を拒否され布教のあり方について苦悩しつつ熊野本宮大社に着き、証誠殿の御前で祈り続けると夢の中に熊野権現(阿弥陀如来)が現れ「あなたは信不信を選ばず、浄不浄を嫌わずその札を配らなければならない」とお告げになられこのお告げを受けた智真は
「我生きながら成仏せり」と歓喜したということです

大斎原にある大鳥居は2000年に完成した鉄筋コンクリート造の
日本一高い鳥居で高さ33.9m、横42mだそうです

車にて移動:約1時間

13:20 熊野速玉大社

参拝:約15分

熊野速玉大社は 悠神倉山の霊石ゴトビキ岩(天ノ磐盾)をご神体とする自然崇拝を源とし
熊野三神(熊野速玉大神・熊野夫須美大神・家津美御子大神)を景行天皇58年
(西暦128年)に初めて神殿を建ててお迎えしたことに創始するとのことです
八咫烏神社
祭神:建角見命
左から
上三殿、八社殿
熊野詣は決して楽なものではなくむしろ苦労して
参れば参るほど功徳が大きいと考えられたようです
拝殿
後白河法皇が編纂した「梁塵秘抄」に収録されている
熊野詣をうたった今様の歌詞によりますと・・・

熊野へ参らんと思へども 徒歩より参れば道遠し すぐれて山きびし
馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽賜べ若王子
<大変いい加減ですが訳をしてみました>
熊野へお参りしたいと思っても歩いて参れば道が遠い きわだって山が険しい
馬に乗って参れば苦行にならず(功徳にならない) いっそ空からお参りしよう
羽をお与えくださいませ 若王子の神様

熊野御幸された方とその回数が記されていました
熊野参詣は往復約600km、約1ヶ月の旅程を歩くのが常で
往路は「現世から浄土へ向かう」復路は「浄土から現世へ帰る」
という意味があり往路復路とも同じルートを辿ったということです

車にて移動:約45分

14:05 那智山 青岸渡寺

参拝:15分

那智山は仁徳帝の御代(313~399)にインドの僧、裸形上人によって開基されたということです
青岸渡寺は西国三十三所第一番札所です
青岸渡寺は中世から近世にかけて隣接する熊野那智大社と一体化し
那智山熊野権現や那智権現と呼ばれ、全体で7寺36坊もの坊舎を有する
神仏習合の修験道場であったということです
宝篋印塔
1322年に建立された日本最古の宝篋印塔で高さは4.3mだそうです
手水の水源は那智大滝だということです
明治時代になり神仏習合が廃されると如意輪堂の存続が危ぶまれましたが
1874年に信者らによって熊野那智大社から分離し天台宗の寺院として独立
如意輪堂は青岸渡寺の本堂として復興したということです
本堂(如意輪堂)は素木造りで織田信長の兵火にかかって焼失した後
1590年に豊臣秀吉の命により豊臣秀長によって再建されました

14:20 熊野那智大社

参拝:15分

熊野那智大社は那智山の中腹に鎮座し那智大滝に対する原始の自然崇拝を
起源とする神社です
江戸時代には神仏習合の時代であったので熊野那智大社と那智山青岸渡寺は
一体の寺社であったということです
御縣彦社
熊野那智大社の境内にあり熊野の神様のお使いである三本足の烏
八咫烏をお祀りしています
八咫烏は日本サッカー協会のシンボルマークにも用いられていますね
拝殿
樹齢850年と推定される大楠は御神木とされており
樹高は約27m、幹回り約8.5mあるということです
胎内くぐりをすることができます

14:40 三重塔

14:55 那智御滝

見学:約15分

那智の奥、大雲取連山から流れている流水が大瀧となっており
全山に那智48瀧と呼ばれる数の瀧があるとされ
その中でもとりわけ落差が大きいものが那智御瀧になるそうです
飛瀧神社では御瀧そのものをこの地に大己貴神が現れた御神体としているため
飛瀧神社には神様をお祀りする社はなく直接、那智御瀧を拝礼します
こちらの瀧は一の瀧とも称し高さ133m、銚子口の幅13m
瀧壺の深さは10mあり、落下する水量は毎秒約1tとも言われているそうです

車にて移動:約20分
レンタカー返却
徒歩にて移動:約7分
送迎船にて移動:約5分

16:00 チェックイン

17:30 夕食


【2日目】

5:10 朝の散歩

散策:約35分

遊歩道を歩いてみました
勝浦港方向を眺めて
見晴らし台に到着
太平洋方向を眺めて
漁船が帰ってきました
短い遊歩道でしたが気持ちよく歩くことができました

7:00 貸切露天風呂

8:30 朝食

10:30 チェックアウト

送迎船にて移動:約5分
徒歩にて移動:約5分

10:40 勝浦漁港にぎわい市場

見学:約15分

期待しすぎたか、ちょっとアレでした・・・

徒歩にて移動:約10分

11:05 紀伊勝浦駅

紀伊勝浦駅 → 新大阪:特急くろしおで約4時間3分

15:55 新大阪駅


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