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しおり〜富山・立山黒部・松本・諏訪・上田・妙高高原【6泊7日】 中編 その1


前編 その2


【3日目:黒部観光】

4:20 室堂ターミナル屋上展望台

星空観察:約10分

まさに満天の星
これほどの星空を今まで見たことが
ありませんでした
富山市の夜景を入れても星空は強し
星に無知な状態で生きてきた人生を残念に思いました
こんなときに備えてアプリの星座表を見てみたのですが
よくわからず・・・
これを機にまずは星座表をちゃんと使えるようになろうと決意
いつか発せられた光が今ここに届いて
星として認識できている
途方もない時間の経過を
暗く静かな屋上で改めて感じました

5:35 室堂平

散策:約1時間

雄山、大汝山、富士ノ折立を総称して立山と呼ばれています
越中の国守であった大伴家持が万葉集の中で立山について
歌っている長歌を抜粋してみます

「すめ神の うしはきいます 新川の その立山に 常夏に雪降り敷きて帯ばせる 片貝河の 清き瀬に 朝夕ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや」
(国の神が鎮座されている新川郡のその名も高き立山には夏だというのに雪が降り積もっていて山裾を流れる片貝川の清らかな瀬に朝夕ごとに立つ霧のようにこの山を忘れることなどあろうか(いやない))

立山室堂方面へ向かいます
澄んだ空に山の稜線が映えます
黄色く色づくイワイチョウの葉
チングルマ
ホテルの方を振り返って・・・
要所にこちらの案内板があるので
安心して散策することができました
この石仏は西国三十三所第三十二番札所 観音正寺の
千手千眼観音菩薩の分霊像だということです
観音正寺には3月にお参りしましたので
勝手に親しみを感じました
立山室堂
現存する日本最古の山小屋で「室」とは宿泊所
「堂」とは宗教施設を示し室堂はその両方の役割を
併せ持ったものだったそうです
立山室堂はほぼ同一の2棟の建物(北棟・南棟)からなり
こちらの南棟は1771年に建立されたということです
こちらの北棟は1726年に建立され
江戸時代には立山へ参拝するものの宿泊や建物遥拝のために
使用されたものと推定されているそうです
明治以降は山小屋(室堂山荘)として使用されていましたが
1992‐1994年に解体調査後復元され、一般公開されている
ということです
ちらりと右に見えてきたのが・・・
ミドリガ池です
水面が鏡のようです
シラタマノキ
ハイマツ
日本にもこんな景色を見ることができる場所があるんですね
朝日がさしてきました
血の池方向を眺めて・・・
あちらに見えるのは火山ガス情報ステーション
昨日も来ました
みくりが池温泉
地獄谷方向を眺めて・・・
本日のミクリガ池

8:20 室堂ターミナル

8:30 室堂 → 8:37 大観峰;トロリーバス

トロリーバスはタイヤで走行し運転操作もハンドルを使用しますが
上部に設置された電車線から電力の供給を受けて走ります
正式名称は「無軌条電車」で法律上も「鉄道」に分類されている
そうです
あちらの後部座席を見ると「水曜どうでしょう」のサイコロ4で
登山家に扮した大泉さんのことが
思い出されてなりませんでした
出発しました
行き違い信号場です
ここ以外では車両のすれ違いができないということです
想像していた以上にバスのスピードが速く
ブルーにライティングされた破砕帯にさしかかったのですが
称名滝のように徐行されることもなく・・・
一瞬で通り過ぎてしまいました

8:40 大観峰

大観峰駅の屋上展望台です
絵のような美しさです
黒部湖も見えています
立山ロープウェイは雪崩の影響等を防ぐため
途中に支柱が1本も設けられていないワンスパン方式を採用
されていてその運行距離は日本最長とのことです
あれ、「観光」じゃないんだと思って
社名の由来を調べてみました

”「貫光」の「貫」とは時間を「光」とは宇宙空間、大自然を意味する”とのことで”中部山岳立山連峰の大障壁を貫いて富山県と長野県とを結ぶことにより日本海側と太平洋側との偏差を正して国土の立体的発展をはかりもって地方自治の振興に寄与せんとする(以下略)”という高邁な理念のもと1965年12月25日に設立されたということでした

中央辺りに黒部平から上がってきている客車が見えます
ちなみに乗車率はかなり高めでした

8:50 大観峰 → 8:57 黒部平;立山ロープウェイ

車窓からの景色
大観峰駅を振り返って・・・
黒部平に到着

9:00 黒部平

大観峰から488m下りてきました
山の見え方も違いますね
ブラタモリは多角的に観光地を紹介してくださる
大好きな番組でした

9:10 黒部平 → 9:15 黒部湖;黒部ケーブルカー

9:15 黒部湖

ここまで予定より早めに進行してきましたので
時間的に余裕ができました・・・
乗れたらいいなと思っていた遊覧船に
乗りに行くことにしました

徒歩(やや早足)にて移動:約8分

なかなかのりばの案内がなく
間に合うのか少々心配しましたが
こちらのかわいらしい看板からは
すぐチケット売り場があったのでほっとしました

9:23 黒部湖遊覧船ガルベ

無事に乗船券を購入することができました
カンパ谷吊り橋
乗船場(船着き場)までは約140段の階段を下ります
こちら側から見る景色は新鮮ですね
ガルベというのは「黒部」の語源になった言葉で
アイヌ語で「魔の川」という意味の「ガルッベ」や
「ガルベッツ」等を元にしているということです

乗船:約30分

最高標位1448mの黒部湖を30分かけて一周する
ガルベは日本で最も高所を運航する遊覧船でもあり
今年が運行最終年ということで
乗船できてよかったです
ガラス張りなので空までよく見えます
先ほどのカンパ谷吊り橋を下から眺めて・・・
高さ186mの堰堤を背に進んでいきます
青い空、白い雲、濃い緑に包まれた山々と
エメラルドグリーンの湖面
普遍的な美しさですね
ここで折り返します
真ん中あたりの茶色い建物が「平乃小屋」
1963年、黒部ダム完成とともに黒部湖の最奥近く
西岸に誕生した山小屋(宿泊施設)で
湖完成以前は行き来できていた黒部川右岸の
針ノ木谷との間をつなぐ渡船の運航も
こちらの小屋が担っているということです
巨大な人造の貯水池である黒部湖の総貯水量は約2億トンで
東京ドーム161杯分に相当するということです
(東京ドーム行ったことない・・・)
今日来た方向を見上げて・・・
気持ちの良いひとときでした
(上りの140段はなかなか・・・でした)

徒歩にて移動:約10分

帰りはのんびり歩きます
いま来た道を振り返って・・・

10:15 黒部ダム

見学:約40分

黒部ダムは富山県東部の中新川郡立山町を流れる
黒部川水系の黒部川に建設された水力発電専用のダムで
1956年着工、7年をかけ、1963年6月5日に完成しました

1945年以降、日本の電力需要のほとんどは水力発電所により賄われていましたが渇水になると停電が相次いだということです
関西地方では、1951年の秋に深刻な電力不足に陥り一般家庭で週3日の休電日が設けられたそうですが実際は連日のように停電していたということでした
この電力不足に対する決定的な打開策は黒部ダム建設以外にはないということだったのですが・・・

そもそも当時人が足を踏み入れること自体
困難で命がけだった秘境の地でのダム建設は
困難を極めました
峻険な黒部渓谷へ膨大なダム建設資材を運び込むために
計画されたのがダム建設地と長野県大町市を結ぶ大町ルート
その要が北アルプスを貫く大町トンネル(現・関電トンネル)
建設でした

1956年8月に始まった工事は、当初は極めて順調に推移したのですが1957年5月、扇沢の坑口から1700mほど掘り進んだ地点で岩盤の中で岩が細かく砕け地下水を大量に溜め込んだ軟弱な地層である破砕帯に遭遇します
摂氏4度、最大毎秒660リットル(水深40mの水圧相当)の地下水と大量の土砂が噴出し掘削作業は中断せざるをえない状況に陥りました

現場では破砕帯の規模を割り出しありとあらゆる対策を講じた結果、破砕帯の水量は徐々に減り、ようやく本坑の掘削が再開、1957年12月破砕帯突破に至りました
破砕帯の長さはわずか80m、これを突破するまで実に約7ヶ月もの月日がかかりました

7年の歳月、513億円の工費、延べ1000万人の作業従事者をもって
1963年6月5日黒部ダムは竣工しましたが
調査や工事で171名の方が犠牲になられました
こちらは殉職者慰霊塔です
破砕帯の湧水を触ってみましたが
この冷たい水を浴びながら作業するなど
想像を絶する過酷さだと思いました
間違いなく歴史に残る建設工事であり構造物ですね
かわいらしいくろにょんちゃんでしめましょう!

11:05 黒部ダム → 11:21 扇沢;関電トンネル電気バス

今度こそ破砕帯を撮影しよう!と張り切っていましたが・・・
お、水しぶき!?
やはりあっという間に通過しました・・・
こちらが乗車してきた電気バスです

12:00 扇沢 → 13:45 長野駅東口;特急バス

車内の様子
信濃大町駅

13:50 長野駅

レンタカーにて移動;約1時間30分

15:30 チェックイン

17:30 夕食


中編 その2


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