阿吽の呼吸
共通言語をつくるってほんと難しいですよね。長年連れ添った夫婦のように『アレ』『コレ』『ソレ』と言うだけで、むしろ言わなくても相手の呼吸に無意識に合わせる【阿吽の呼吸】というものは芸術の域に届いているのではないかとしばしば思います。
共通言語を作るまで
上記の記事で昔の自分が行ったことは、やはり【真似る】ことで、最初に取り組むことは『見取り稽古』だと思います。
相手をつぶさに観察して、邪魔にならないように所作を覚えていく
『なぜ?』を飲み込み、わからなかったら調べて、自分なりの答えを説明できるようになったら何気ないときに質問する
これを繰り返していました。
何気ない日常でも興味がある相手を深く理解したいという気持ちは誰しもがあると思います。
当たり前ですが、100%理解することは出来ません。
理解≠認識
自分ではないのですから当然ですが、後々振り返って自分の行動ですらも『なぜ?』と思えることが多々あると思います。
その時に気付いたことがあります。
【こうなったらしょうがない】という結論を出しておく
仮説、考察、検証と色々考えた結果、我慢できる境界線を決めておくことだと思いました。
そして相手も少なからず関わるわけですから、自分の事を観ています。
お互いの長所と短所を認識した上でパーソナルスペースを尊重しあえるかが【阿吽の呼吸】に至るまでの過程だと思います。
興味がある・信用したいと思える相手に対してその過程を短くするには、長所も短所もさらけ出すことではないでしょうか。
家庭・恋人・仕事・取引先と関係性がうまくいっている方は、相手を状況、立場、環境、能力、性質を認識した上で、相手の欲しているものを気付ける能力、つまりロジカルシンキングが出来ているからこそ関係性を維持できるのだと思います。
認識したからといって理解していると勘違いしないことが重要ではないでしょうか。
「明らか」にして「諦める」
最後に所ジョージさんの名言で終わりたいと思います。
自分で自分に目をつぶるってことも大事
それではよい1日を。
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ここまで読んで頂いてありがとうございます。
読みづらいところも多々あると思います。
よろしくおねがいします
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