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味わう力

アートについて語っているように思える動画ですが、個性を出すことの重要性について対談した内容で、喉元の小骨が取れる気持ちになれたので記事を書いてみたいと思います。

鑑賞眼を鍛えることが本質的にアートである

私個人の意見として作業効率を上げることがここ数年携わっていた仕事ですが、簡素化し安定化するとどうしても行き着く答えがありました。

『つまらなくなってしまった』

役割ということもあり効能の面だけ見れば自身の仕事を振り返っても恥じることはないと思ってはいますが、『あそび』の部分が無くなるとように仕組み化をすることに意味がなく、妄信的に最大効率を目指すことに違和感を覚えていました。

自転車のブレーキに『あそび』がないと、急激な動作になってしまうことは必然で、怪我をしないように止まるという目的を完遂することであり、締めすぎず力を抜くところに本質があるのではないかと考えることがしばしばありました。

一番良いのはブレーキせずに走るスピードを上げることになり、スピードを出しても止まれるという抑止力であるべきだと思います。

複雑な言葉を簡単な言葉で表現せずに理解する

中編の動画で、落合陽一さんが発言した言葉ですが、個人のリテラシーを上げることの重要性について説明してました。

昨日の記事で咀嚼力を書きましたが、一見対極のように思えますが味わう力という点で本質的には同じではないかと思ってます。

入り口で噛み砕くことは重要でも、消化するのは人それぞれであり、それを各々が自分の言葉で評価して説明できるようにすることが鑑賞眼を鍛えること何だと思います。

倍音は皮膚できく

後編の動画で、デジタルとアナログの違いと日本人に自然と備わっている侘び寂びについて述べてます。

音楽について語った場面で市場に音楽を提供する場合、倍音をカットして届けているというもので、家で聴くのとライブで聴くのでは違って聞こえ最終的に体で音を感じる事ができるというでした。

私は和太鼓が好きで、動画で見るよりも祭りや会場にいって聞く音は体の芯に響き、ものすごい高揚感と迫力を感じます。

叩く人、叩き方、叩く場所、太鼓の大小等で色々な音が生まれ情報量の波が押し寄せてくると物凄く複雑な感情になれて、聞き終わった後の満足感はなんとも言えない心地になります。

同じ環境にいても感じ方は人それぞれであり、美意識を養うということは自分らしく生きることに繋がるのではないでしょうか。


杓子定規で物事と向き合わない力が必要だと思います。


我が侭は美徳



それではよい1日を。


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ここまで読んで頂いてありがとうございます。
読みづらいところも多々あると思います。
よろしくおねがいします。

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