誰もが自由の哲学者
哲学
哲学(てつがく、フィロソフィー、英: philosophy)は、原義的には「愛知」を意味する学問活動である。これに従事する人物は哲学者(英: philosopher)と呼ばれる。以下のように、時代や文脈によって派生的に複数の意味をもつ曖昧な語である。
①探究活動全般・学問全般をさす。したがって、学問に従事する人物全般・賢者全般が哲学者と呼ばれた。
②カリキュラムの自由七科をさす。
③人文科学の一分野をさす。問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討する研究分野。この分野に従事する人物は哲学者または哲学研究者と呼ばれる。
④個々の哲学者による哲学探求の成果(思想)も哲学と呼ばれる。
⑤宗教や神学と部分的に重なる。
⑥その他の哲学。
Wikipedia引用
今日は珍しく題名から決めて記事を書き出しています。
今回で連続投稿89日目で明日で一区切りするに当たり、今までの自分の記事の総括的な意味合いで書きたいと思い記事にしています。
仰々しく哲学について引用しましたが、言いたいことは一つです。
本質を捉える
現代社会において、絶対というものは無く、相対的に良し悪しを各々が決めていると思います。
他者と関わる時、この『本質を捉える』ことが共有の認識を得るための手段となると考えてます。
多数決という決め方は世の中で幾度もみる状況だと思いますが、本質の認識を疎かにすると全てが霧散することは言うまでもありません。
色々なテクニックや知識を覚えても、本質に合わなければ意味がありません。
自由の相互承認
『人間的欲望の本質は自由である』
ドイツの哲学者ヘーゲルが言った名言です。
互いの自由意志を尊重し、肝となる核の部分を理解し認め合うことで少数派の意見にも価値を見いだせる社会になるのだと思います。
現代の競争社会で生きにくための必須項目であり、そのリテラシーが詰まっているコミニティが勢力を増していくのだと考えています。
自由の障害になるものを一つ一つ潰し、自由の相互承認つまり折衷案が出せる環境を維持していくことが最重要課題ではないでしょうか。
前の記事で『忖度』について触れましたが甘えや依存といったものの介入の余地はなく、『NO』と思うことがあれば恐れず意見をぶつける関係性から、共存するための距離感が出来上がるのだと思います。
最後にフランスの哲学者サルトルの名言で終わりたいと思います。
自由とは、自由であるべく、不自由になることである。
それでは良い1日を。
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ここまで読んでいただいてありがとうございます。
読みづらいところも多々あると思います。
よろしくおねがいします。
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