Bestを尽くしたのか
20代後半で出会った上司Aさんの決り文句から始めさせていただきます。
私の基本的な考え方に多大な影響を与えて頂いたため、Aさんについて少し掘り下げたいと思います。
Aさんは外資でずっと働いていたため、ずっと日本文化と違う世界で戦ってきており、当時私は膨大な経験の差が他の追随を許さない様に感じるのかなと考えていました。まさに鎧袖一触です。(Aさんの座右の銘です)
他者との大きな違いがあるとすれば『胆力が凄い』ということ。
最善を尽くすために手段を選ばない。
会社・組織・従業員の利を理解し、当然のように自身の利を主張した上で、最善策を貪欲に追求します。
その上で必要とあらば容赦なく切り捨てます。
そしてAさんは自問自答していたのです。
【Bestを尽くしたのか】と。
Aさん3ヶ月間は経営陣と真剣勝負でした。
オーナー会社のため、社長に絶対的な権力がある会社でした。
社長の思惑としては、無理難題を吹っ掛けてある程度力量を確認して、都合のいいように取り扱いたいという考えだったのでしょう。
もちろんAさんも試されていることは十二分に理解しているため、一問一答した上で、更に質問・提案をし続ける日々が続きました。
まさに狐と狸の化かし合いです。
当時還暦前だったにも関わらず、全てAさんのみで立ち向かいました。
会社の中にAさんのスピードに追いつける人がいないという事実をまざまざと見せつけました。そしてついに社長がAさんに対してある種の治外法権を認める形となります。ゴマすりやヨイショをする人しかいなかったため、私の目にはとても新鮮に映りました。
そこからは、社長とAさんが問題可決という名目の組織改革が始まります。
無邪気な子供が将棋をうつ様に、一手一手物事を進めていきます。
手数が必要になるため、私はAさんのお手伝いをする形となります。
周囲からすれば泥舟に乗り込むような可哀想な感じで見られていましたが、私自身はAさんへの好奇心が抑えられず自ら決めたことなので不満はありませんでした。
Aさんに対して異業種から来た新参者に何ができるという雰囲気が蔓延していたのをよく覚えています。肩入れした私にも古参の対抗派閥から目の敵にされました。
でもAさんとの仕事は、そんなことどうでもよく思えるほど楽しかった。
今思うと見取り稽古をさせていただいたんだと思います。
精神的にも肉体的にも激務でしたが、次第に慣れ始め、仕事が楽しいと感じるまでになりました。不思議ですよね。
そこから会社を辞めるまでの2年間はあっという間に過ぎました。
最終的にAさんは副社長のポジションで今も仕事をしています。
そして直近までお世話になった会社に転職し、今まで教わったこと感じたことを行動にしていったら、ベンチャー企業ではありますが最終的に役員になりました。
テクニックより、まず1番に伝えたいこと。
【Bestを尽くしたのか】
私の行動原理であり、唯一縛られる言葉。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
自己紹介はここまでにして、今後はこれまでに経験し昇華し実践できたノウハウやマインドなど発信していければと思います。
よろしくおねがいします!