『我が侭』に生きる
昔から『我が侭』に生きている方は、人生を謳歌していると思います。
なぜ我が侭に生きることを卑下する慣習になっているのか疑問になったので個人的な見解をつらつらと書いていきたいと思います。
守りの『我が侭』
我が侭に振る舞うことと我が侭を抑制することは等しく我が侭であると考えています。
具体例として社員と組織で、損得勘定の面から考えてみます。
社員側の可能性に期待して挑戦させる環境であれば、互いの利益の追求をしているため問題ないですが、組織の意と違える場合は是正する動きが生じます。反する考えの場合、どちらかの意見に合わせるか、退くかというSimpleな問題に行き着きます。
この結論に至る過程こそが『我が侭』の本質ではないかと思っています。
言い訳としない理由を作り出す天才
林修さんの名言ですが、衝突が起こる際に必ず起きる現象で『他者を認められない』という感情が浮き彫りになります。否定から入ってしまうという理由ではないでしょうか。
・自己肯定感と承認欲求が強い
・完璧主義ゆえの未来の不安
・主導権を維持するため急な変化を望まない
・損したくない
などといった感情が溢れ出した結果が否定に繋がるのだと思います。
思慮外の行動を抑制する守りの『我が侭』であると思います。
攻めの『我が侭』
一方で今後重要になると考えている攻めの『我が侭』についてですが、答えは『やりたいようにやる』ということに尽きるのではないでしょうか。
自己責任の範疇でやれないことは攻めの『我が侭』にはなりえないと思います。殆どの場合、未知への遭遇となるため想定外な物事を対処する力が求められます。
自分のやりたいことを阻害されないようするためには、守りの『我が侭』から徹底的に距離を置くことが必要になると思います。
お互いの利益の為にパートナーを選ぶことや全く違う価値観についても受容する土台を作れるかが鍵となると思います。
みなさんの周りにも成功していると感じる人は、未知に対応して結果を残してきた方ではないでしょうか。
自分らしく生きることはありのままで生きることであり、我が侭で生きることが人生のスパイスなのかもしれません。
最後にマリリン・モンローの名言で締めたいと思います。
私は、わがままでせっかちで少し不安定。
ミスを犯すし、自分をコントロールできないときもあれば、扱いにくいときもある。
でも、もしあなたが私の最悪の時にきちんと扱ってくれないなら、私の最高の瞬間を一緒に過ごす資格はない。
それでは良い1日を。
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ここまで読んでいただいてありがとうございます。
読みづらいところも多々あると思います。
よろしくおねがいします。
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