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絶望の解決法

なかなか寝付けず、音楽でもと思い聞いていたらますます目が覚めてしまったので、つらつらと記事を書いていきたいと思います。

何を書こうかと考えた結果、夜中ということもあり、すこしセンチメンタルな気持ちになったので『死生観』を題材にしてみたいと思います。


死生観をもつ

以前の記事でも少し書きましたが、絶望の解決法は『死』と向き合い考えることだと思っています。

生きていく中で八方塞がり、袋小路と感じることはどんな人も経験していると思います。

いろんな物事が頭の中いっぱいになったとき、ただ『死』というものについてだけ考える。

スピリチャルや科学的に考えても行き着く先は自身への『死』について収束すると思います。

自分事なのに他人事に感じる、近くて遠い、あやふやで確かな現象を客観視することになるのではないでしょうか。

災害や自殺、安楽死、殺人テロや戦争での死傷者と社会的にも問題になる事柄でも、どこか他人事で受け止めてしまい自分でなくてよかったと安堵するという経験が私にはあります。


死ぬこと以外かすり傷

山崎拓巳さんの名言のようですが、色々な方が発している言葉で一度はどこかで耳にしたことがあると思います。

この言葉を言えるということは一度は『死』というものを真剣に考えて自分の答えを見つけ出せたのではないでしょうか。

『死』は誰もが最後に経験する現象であり、何十年も先かもしれないし、明日かもしれません。

あやふやで不確かで逃れられず変えられない事実について、できるだけ早く冷静に向き合うことが自分を知るために必要な儀式だと思います。

自分らしく生きるためには『死』を意識しないように忙殺して漠然と生きるより、生まれてからの残りの時間を勝ち取るために真剣に見つめ直すことが重要ではないでしょうか。

濃密で障害だらけの毎日で『生』を意識できるようになる手段だと思っています。


生きている時間は平等ではないという納得せざるを得ない理不尽

死んだように生きなければならない状況を打破するための解決法

それが死生観をもつことだと思います。


人の五感は『差』でしか認識できないように、より良い『生』を手に入れるために『死』というものを意識することが何気ない日常に気づきを与えてくれるのではないでしょうか。


最後に高杉晋作の名言で終わりたいと思います。


「朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない」という事こそが人の道である。人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない



それでは良い1日を。


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ここまで読んでいただいてありがとうございます。
読みづらいところも多々あると思います
よろしくおねがいします






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