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使い倒す意志

0→1を初めから作り出そうとすると、無力さに打ちひしがれるって経験があります。その時恩師であるAさんに言われた言葉があります。

立ってるものは親でも使え

この物凄い言葉にハッとさせられ、それ以降は目的のために手段を選ぶなんて悠長な事をしなくなりました。そもそも手段が少ないから頭を抱えて立ち止まってしまっているわけで、迷いという感情を外に出さないと何に悩んでいるかすらわからないという袋小路に陥るからです。

奇抜な発想、突飛な行動だと思われたとしても、その行為によって周囲は自分の動き方から何を考えているかが推測できるため、協力者かどうかの区別をつける際にも有益ではないでしょうか。

また、親でも使えと言われたこともあり、私はAさんを使い倒すことに専念しました。勿論、Aさんの目的を邪魔せず、自身の目的を達成するために。

とはいえ、見識が浅い自分からボールが投げられてもAさんは、更に強いボールで投げ返してきます。そしてまたボールを投げ返しそれを受け止める。

その結果、簡単な縮図が形成されます。

Aさんの目的≒Aさんの副産物≒私の目的

権威のある相手を使うということは、相手に対しても相当の見返りになるように行動しないと、ボールを受け取ってすら貰えません。
最速最短のルートを取るためにも、自身の目的をより魅力的にする必要性が生まれます。そうすると魅力的なものは相手の利益そのものに自分の目的を含めさせることになります。

虎の威を借りる

既にあるものを使わずに、0→1を創り出そうと考えることは愚策でしかありません。そこに独自性はいりません。使い倒すことに専念すると余計な悩みがなくなります。

結果、虎側にも需要が生まれ存在価値に繋がると思います。

これは、noteなどのプラットフォームでも同じことが言えると思います。

やりたいことをやる手段でなくてはダメ

いくら虎の威を借りても、そこに自分が存在しないと意味がありません。
使い倒す意志そのものが全てだと思います。

真逆の論調ですが、本質は同じだと思っています。
最後の件がクスッと笑ってしまいました。


それではよい1日を。


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ここまで読んでいただいてありがとうございます。
読みづらいところは多々あると思います。
よろしくお願いします。


よろしくおねがいします!