次女と2人、本気でスポーツクラブに関わることにした
子どもが生まれたとき、私にはやりたくないことがいくつかあった。
そのうちのひとつが保護者ありきのスポーツクラブ。
女の子と聞いたとき何よりもうれしかったのは、「サッカーと野球をやらせなくていい」ことだった。
休日をつぶして、炎天下や極寒のグランドで1日中子どもたちを見ているなんて絶対ごめんだ。
長女を妊娠してから15年間、その思いはまったく変わらなかった。
最初に気持ちが揺らいだのは、尊敬するライターさんの投稿記事を読んだときだ。
その方には小学生の息子さんがいて、サッカーか野球か、「スポーツクラブの役員をすることにした」という内容だった。
曲がりなりにも同じ職業についている者として、この仕事をしながら、そのための時間を捻出したのかと衝撃を受けた。
「スポーツクラブでの経験も何かにいかしていこうと思った」という内容にも揺さぶられた。
生き方と文章がつながらないことにはずっとコンプレックスがあったからだ。
そのとき改めて、「子どもとスポーツクラブ」のことを考えた。
私は自分が深く関わりたいと思っていないだけで、子どもたちには何か得意なスポーツがあればいいなと思っていた。
自分が幼い頃から習っていた水泳が好きで、それに対してはいっちょ前なプライドを持っていたことも影響している。
スイミングスクールは「入れてしまえば後はお任せ」にできるところと、あたたかい場所から見ていられることがよくて娘は2人とも3歳でスタートさせた。
彼女たちが泳いでいるあいだは年齢にあわせて、ママ友とのおしゃべり→読書・昼寝→やり残した仕事→スポーツジムと自分の時間にあてていた。
たまに娘やその幼なじみが泳ぐ姿を眺めているのはとても楽しかったし、成長が感じられることは子育てのごほうびのようでうれしかった。
自ら「水泳を習いたい」と言って始めた長女は「泳がないと落ち着かない」と言うほどの水泳好きに仕上がったし、次女もそれなりに泳げるようになった。
唯一の難点は、9年間通い続けても、次女が「水泳はきらい」と言い続けていたことだった。
とはいえ彼女も「水泳をやめて他に何がしたいことがあるわけでもなく、家でゴロゴロしていたい」という程度だったので、私も聞く耳を持たなかった。
バドミントンに、ささやかで強い関心を見せ始めるまでは、だ。
バドミントンをやりたいと言い出したのは、1年以上前のことだ。
小学校のクラブ活動で「水泳よりおもしろい」ことを知り、中学に入ったら水泳をやめてバドミントンをしたいと言うようになった。
中学生になったら興味を持てない部活動か、水泳の選手コースに入ってより厳しい練習を続けるかを迫られることになっていた彼女に、希望の光が差した瞬間だった。
近所に小学生から中学生まで参加できるバドミントンクラブがあることも知った。
そのころからだっただろうか、それまでは渋々ながら黙って通っていた水泳にハッキリ「好きじゃない」と言うようになった。
けれどそれだけなら私も、卒業するまでは長女と一緒に通わせていただろう。
2度目に気持ちが揺らいだのは、それでも彼女が必死で泳いでいたからだった。
9年間ずっと、「水泳は1度も好きじゃない」「今日にでもやめたい」と言い続けた次女だったが、彼女が練習をサボることはなかった。
指導には素直に従い、まじめに泳ぎ、ちゃんとした泳ぎを身につけた。
あろうことかタイムに執着もした。
見ている私が「本当はそんなに嫌いじゃないのでは?」と思うほど彼女は一生懸命やっていた。
そのときに、「これは本当に好きなことをやらせてあげなければ」と思った。
何かと後回しになる次女だったが、あのひたむきさはごまかしてはいけない気がした。
そんな経緯で、私と次女は年末の目が回りそうな時期にバドミントンクラブの見学に出かけた。
初回から「問答無用のお試し参加」という強引なスタイルだったが、何かと腰が引けてしまう私と次女にはよかったかもしれない。
次女は水泳に1ミリの未練も残さずバドミントンを始めた。
何歳も年下の子が経験者としてバンバンプレイするなか、初心者として黙々と基礎練習に励んでいる。
次女が初心者であることで、私はまだまだ試合の補助などの出番が回ってくることはなさそうだ。
それでも彼女の上達に合わせて私もルールを覚え、サポートに走らなければならない。
でもやろう、と思う。
苦手でも嫌いでも、ちゃんとやりきった彼女の誠意を見届けなければと思っている。
40代を生きるとは言ってみたけど、こんな世界に飛び込むことになるとは。
まだ緊張しているけれど、やってみるかとは思っている.