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まさかの漁村育ち

瀬戸内の海岸沿いを走るたび、妙な気持ちになった。

心が安らぐような全力ポジティブな感情でもなく、磯くささに対する嫌悪感でもない。

「妙な気持ち」は、アートや癒しを全面に押し出したここ最近の”せとうち”にではなく、漁船がプカプカ浮いているさびれた場所に限って押し寄せた。

若いころ移り住んだ南国の記憶ではない。

海を思い出させるなにかが、他にあっただろうか。

漠然としたわだかまりは、瀬戸内に住んで15年以上そのままになった。


仕事先の訪問時間まで、朝の漁港で時間をつぶしたある日。

突然、「私、そういえば漁村で育ったな」と思い出した。

朝の漁が終わったあとの、町を包む独特の静けさ。

10時前にはすっかり1日を終える港。

子どもだけの冒険も、日帰りの家出も、失敗して泣いたのも。

全部ここだった。

大声で笑ってもメソメソ泣いても、吸いこんだ空気は磯の匂いがしていた。

夕方まで泳いで水着の上にワンピースを着て、家まで帰ったときの気だるさまで思い出す。

失敗の苦さも、1人の心もとなさも、それでもなんとなく大丈夫だったことも、全部海だった。


妙な気持ちの謎がとけて、昔のように海をあとにした。

嫌いじゃないのに海辺に住み続けなかった理由も、今ならわかる気がしている。

答えが見つかるわけでも、元気になれるわけでもない。

「なんなら足元をすくっていくよ」と、冗談みたいに岸壁に打ち寄せながら、いざとなれば本当に命ごと奪っていくこの場所は、自分が本当はどうしたいかをいつだって突きつけてくるのだ。



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