40歳を生きる
雨宮まみさんは、とあるウェブサイトの「40歳がくる!」というコラムに、次のような文章を書いていた。
私はこれを、ちょうど自分が40歳になるかならないかくらいの頃に読んだ。そして自分のなかにある、漠然とした不安の正体を知った。
こんなにも自分を理解し、言葉にできる人でさえ、40歳を迎えることを恐れている。
この投稿から半年後、雨宮さんは帰らぬ人となった。
そしてそれからずっと、私は雨宮さんの問いに対する自分の答えを探している。
もうすぐ、40歳を迎えて2年たつ。
不惑だなんて、誰が言い始めたのだと責めたい。
惑うヒマもなかった20代30代が過ぎ、40代になってオロオロしている。
体力や外見の衰えだけではない。
ようやく自分の時間を取り戻しつつあるというのに、社会にはもう、自分の居場所なんてないのではないかと何度も思い知らされるのだ。
子どもが小さくても、バリバリ働き続ければよかった?
それより子どもなんて産まなければよかった?
たらればなんて選択肢はもうなくて、目の前には八方ふさがりの状況だけがある。
私が私のままで、理想の40代を過ごすってどういうことなんだろうか。
そもそも私は「理想の40代」なんて、イメージしてこなかった。
社会に出たときからずっと、地続きの「私」があるだけだ。
そしてこれからも地続きの私であるために、じっとしていることはできないのだ。
ここには、自分の足で歩き続けたことを残す。
悩んだこともわずかに進んだことも、ふり返ったときに遥か遠くから、懐かしく眺めるために残す。
いつか、理想の40代を生きたと胸を張れるだろうか。
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