ビストロ 2018/07/08
日曜日、野田阪神に所在する大阪を誇るビストロ大西亭のランチに久しぶりに妻を誘った。
我々夫婦がフランスらしいフランスを感じられるビストロとかブラッスリーという営業形態は関西には片手で数えられるくらいの数店しかないわけだけれども、そのうちの一店がこちらになる。
一月に一度か、二月に一度の愉しみである。
それ以上の回数だと習慣化してしまって驚きや新鮮さがなくなってしまうし、あまりに期間が空きすぎると次にいつ予約をしていいのか逡巡してしまうのでこのくらいの期間を空けた予約が今のところ一番しっくりときている。
予約は電話のみで対応されている。
お店はシェフ一人。
営業の邪魔にならないようにお昼なら営業開始12時の10分前くらいに、晩なら18時の10分前くらいに予約の電話を掛けるように心掛けている。30分前くらいだと出られる場合もあるのだけれども結構な頻度で電話に出られない場合もあるので癖のように予約の儀式としてインプットされた次第である。
名前を告げるとシェフに覚えられている”らしい”ので電話番号は訊かれない。
だが、丁寧な口調で「お待ちしております」との返答を受けて「楽しみにしております」と切り返し、そっと電話を切る。
緊張するけれどもワクワクもしてるやりとりで飲食店との関わりとして好きな瞬間でもあり、対応によっては辟易とする長く感じられる時間でもある。
7月8日の日曜日は茹だるような蒸し暑さだった。
じっとりと首筋や太ももの汗腺から濃度のじんわりと高そうな体液が滲み出し、皮膚を点状に覆い出しその一つ一つがアメーバのようにくっつきだして大きくなり重力に抗えなくなって皮膚表面を滑走していく不快感を歩を一つ一つと進めるたびに受けるのは夏の到来を肌身を以ってして感じているということになるのだろう。
汗の元となる湿度の高さは昨日一昨日までの豪雨によるものだろう。
3日前から連日の大雨警報で大きな河川まで水位を増し、関西ではこの数日前の大きな地震に立て続き災難続きである。豪雨により公共交通機関や一般道路、高速道路も混乱し一部では麻痺に陥った。自然は力強い。その存在感に圧倒された、そのような日々を少しの間でも忘れて享楽を身に教えてくれる自然の有り難さを店で享受しにいく道程である。
店の前に開店12時の7分前に到着する。
シェフがハザードの設えを整えてるとろを扉を開けると早い到着にも関わらず快い破顔で出迎えてくださる。いつもは寡黙なのに話し出すと持論の吐出が止まらない、それでいて人の話は曲げたり遮ったりせずにきちんと最後まで聞く対応が好感を持てる人柄である。
ランチであるが、昼時でもディナーのプリフィクスもオーダー可能である。
夏の風物詩といえばガスパチョ。胡瓜とトマトがざっくりとガスパチョの液面の上に凸凹にゴロゴロと姿を魅せるのがシェフのスタイルである。
妻はここのガスパチョが夏の目当てである。
アミューズにはいつものバゲットの上にチーズを載せたものである。本日のチーズは硬質のトム・ド・サヴォワである。程よい酸味と噛みしだく程に唾液の中に抽出してくる旨味との交錯が食道を歓喜させて震わせる。三口くらいで食べ終わってしまう大きさだが一口ごとに鼻腔の繊毛が踊り跳ね、脳の血流は穏やかにリズミカルになり、うっすらと目の前はピンク色の風景に虚ろう。
初めから赤ワインのボトル1本で通した。
この茹だるような暑さの中で濃い、そして喉に引っ掛かるような赤ワインは選びたくないのでアルザスのピノ・ノワール2014を選ぶ。スパイシーで独特の酸味の鼻からの抜けが堪らなく心地いいのが特徴的だと思う。石や石灰のニュアンスもあるような気がするけれどもアルザスのテロワールや蔵の持ち味などは知らないので私の感想は非常に適当だということは事前にお伝えしておこう。しかし冷やしても美味しいという特徴はこの時期には非常に有難い。添い寝して貰いたいくらいである。
私はディナーのコースを、妻はランチのコースをお願いする。
妻の前菜はもちろんのことガスパチョである。濃厚な酸味と旨味とざらざらと口蓋に触る感触を残して至福の時間を提供する特異的なガスパチョ味わい。胡瓜とトマトも先ほど申し上げた通りにごろごろと液面を覆っているので一匙の上の比率が液体:個体=2:3くらいの割合で食べ続けると丁度良いくらいに食べ終えれる塩梅である。
一方、私の前菜は盛合せ(普通盛り)である。大盛りにすると後が非常に辛くなるので諦めて通常サイズの盛合せをお願いするのだけれどもそれでもそこそこに大盛りなのでいつも気をつけているところでもある。本日は蛸に茄子キャビアもどき、牛煮凝りのテリーヌに干無花果ジン煮込みの冷製、ラタトゥイユとフレッシュモッツァレラチーズ一玉という3種構成である。季節的に夏の醍醐味が勢揃いした豪勢なラインナップである。食べ進めるスピードが牛歩戦術かというくらいに遅くなるくらいに幸せを噛みしめる刹那がそこにはある。人間は本当に美味しいものに出会うと食べるスピードが恐ろしく速くなるか、はたまた恐ろしく遅くなるかのいずれかであって中途半端な歩の進め方は許されないのだと常々痛感する、その最も遅いバージョンの到来らしい。左手のワインとフォークのスイッチバック運動が心地よいくらいに繰り返される。右手のナイフは中空を踊るように雄弁になる。ナイフによって皿は語られ、フォークによって思考と胃の腑の中に落ち着かせて腑に落ちる時間を細切れに堪能する瞬間の連続である。その感動を時間が増幅させていくのか、はたまた脳内満腹中枢による幸福閾値の上昇により感動の度合いが消化されつつ減退していくのか、人間の満足度に於けるゆらぎというものほど不安定甚だしく面白みを噛みしめる。
私の前菜の食べ進めるスピードが甚だ遅く遅々としていたのでアルコホルを嗜まない妻にはガスパチョを食べ終えて手持ち無沙汰な模様を察知しシェフにメインのフランス産モジェット豆と野菜のグラタンを先に提供してもらえるようにお願いする。グラタンというものは見た目が渋い。全面チーズとパン粉の焦げ目で覆われてビジュアル的には中身の見えない分では中身がどれだけ豪勢であろうともビジュアル映えしない、中身は本当にいい人なのに見た目はパッとしない第一印象の薄い誰かさんみたいに評価されがちだけれども歴史的な認知度が高いおかげか、幼少期からの慣れ親しみの半端ない謂れからか見た目以上に猫舌さん以外には人気が高い。グラタンの横に添えられるのは定番のマッシュポテトである。どちらも相当イケる逸品であるけれどもどちらも相当な量である。しかしながら美味しさの罪、ものの数分で完食である。見ていて惚れ惚れする。作ったシェフのことでもあるし、注文して完食した横の妻のことでもある。
横でグラタンの量が1/3ほどになった頃合いに私のメインでお願いしたフランス産エトフェ鴨のローストが眼前に現れる。横に添えられるのは若鶏のパン粉焼きロースト、キャベツとベーコンの煮込みである。ザ動物性蛋白質のワンダーランドの模様である。壮観であり天晴である。もう二度と見たくないというくらいの量であり破壊的な旨みの重層度でありながらもそう考えるのは当日だけの話で次の日になると現金なことに上から目線で「また食べてみてもいいかな?」みたいに思い始め、そしてもう少し時間が経つと「いつ食べに行けるんだろう」と懐疑的になり懇願調に転調し始めるのは破壊的量と旨味の懐古を基調としたソナタ形式と密かに呼んでいたりする。ソナタ形式のことを知らない御仁は各自調べるように願いたい。冬のコルベールなどの鴨に比べるとコクというか味わいの面では1/3〜1/2くらいの満足度であるにも関わらずエトフェ(=窒息)特有の鉄分の柔らかみを含有した酸味で夏に相応しい爽やかさでありながらフランス産の身質の細やかな噛みしだくほどに繊維の複雑さが歯の切端にシャキリシャキリと感じられる音と感触の淡いはうっとりとするくらいに耳管に響く。歯、口腔、口蓋、鼻腔、耳管、そして流れ陥る咽頭から食道、胃の腑という流れの中で音や香りに味わいと食感に触感が交互に幸せを思考と判断の中に侵入してくる行動様式は僥倖と呼ぶに相応しい。ソースはクラシック形式である。濃厚で美味しいとか何か、何らかを考える暇(いとま)を与えられはしない。脳髄と脳幹に直撃するのである。シビれる。自然と素材のポテンシャルへの畏敬の念が背後に忍び寄り私の背中をヲタク的に丸くさせたり、逆に背をピンと伸ばさせたりする。全てが私の為に眼前に存在し、私が眼前の皿を構成する全ての従事者を消費し堪能する為に存在する。西田幾多郎先生の言ってた言葉の数々が脳裏を過る。全ての事象は副次的に関係されつつ複雑に関係している。一つのピースが欠けても今現在はここには存在しないのである。噛みしめる時間と味わい。この素晴らしい時間を共有できたことに妻に感謝し、シェフに感謝し、そして周りに一緒にいた他の客に感謝せずにいられない。儚くも濃密な時間の共有は個人が感じるか感じないかの境界線で隔てられるだけである。常々できるだけそう感じたいと説に願う。
食事が終わり食後はチーズ若しくはデザート、コーヒーか紅茶の選択である。私はチーズの盛合せをお願いし、妻は兼ねてから念願のメロン・ア・ラ・モードを紅茶と共にお願いする。メロン・ア・ラ・モードは熟れて熟れた高級マスクメロンの1/8カットの上にラムレーズンのバニラアイスクリームをてんこ盛りに盛った人間の理性を奪う究極のア・ラ・モードである。チーズは3種である。付随してた食後の飲み物は辞退したので特別にシェフの計らいでマールを一杯頂いてたら幸せ以外の何物でもない。フランス・パリでのいつもの話にこちらのからのミラノや香港の与太話を織り交ぜて話を弾ませて席を跡とする。先週に馴染みの客からパリ土産で頂いたというブランジェリー・ポワラーヌのパンデピスを御合い判預かる。鮮烈な香気、薄切りにしてトーストした微香とさっくりとした魅惑的な食感は数年前に現地のポワラーヌで感じた酵母感を彷彿とさせてやまない。
ちなみに横に座られたのは一人でお越しになられてた男性客で初見だったけれども共通の知人が多いことでも風貌を見知っていたので不躾ながらご挨拶させて頂いた。有名で人気のブログを綴っておられるランブロワジーさん(ブログのバンドルネーム)である。共通の知人の名前を明かすと丁寧に接していただけて感慨深かった。テーブル席にはいつもシャンパーニュを購入してるワインショップ・フジマルのチーフであるA氏が奥様と乳幼児の家族水入らずでの食事ということでご挨拶をする。奥様とは初見だと思っていたにも関わらず滋賀・上原酒造、不老泉の呑み切り試飲会でお会いしていたことが奥様からの発話で判明するという世間の狭さを痛感する濃縮な社会と世間を垣間見て堪能する日曜日となりました。
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