エネルギーのまわりかた、まわしかた?
友人へメールを書いたことのいくつか、ここに記録しておくことにする。
あとで時間をとってじっくり考えたり感じたりするためにも。
バランス・・・!
近しい人々は、私の極端さを、おもしろがるような、あぶなっかしいような気持ちでみているかもしれない、理解という愛で。
こだわりと執着はちがうのだよな。
私の「こだわり」が執着と欲になっていることに気づかねばならぬ。
そして、不安からきている、ということも少なからずある、とも。。
期待と希望、
悩みと迷い、
このあたりを混同しがちで、
目的と手段の取り違え、というパターン化、負の循環…
気づかぬうちにこれが数年続いているようだ。
いつのまにやら、
解せない社会への落胆と失望、
ネガティブ信念が定着し、
柔軟にアップデートできなくなってしまったかもしれない。
視野が狭くなって、減点ポイントばかりみているような。。
今、私は再び世界とつながらないとなあとおもう。
喜びある世界と。
素敵な人や環境やものごと、と。
今の自分のことを思うと、
思い出すのが、叔母である。
私の叔母は、すっごくセンスある芸術家肌の人で、オシャレで、
昔はとても明るい性格で、冗談を常に飛ばし、
衣食住、どこもかしこもセンスがあふれ、
何もかもに、独自の光るスタイルがあった。
ガーデニングもセミプロ級で、
ベランダ栽培ながらも、色とりどりの花を芸術的に咲かせ、
ちょっとした果樹園コーナーまであり、ぶどう等、季節ごとに収穫したり、
室内も緑にあふれ、小さいころは遊びに行くのが本当に楽しみだった。
叔母の夫(my叔父)は親の稼業を継ぎながら(楽な仕事で比較的自由)、
音楽をやったり、他にも多趣味で、どれもそこそこ界隈では名を馳せ、
(定期的ライブや、個人的に人に教えたり、趣味の方は同人誌で有名等)
めちゃマイペース。
娘(my従妹)は、芸術方向で結構売れておる。
要は、芸術家一家、なのだが、
娘が成功しだして、叔母はものすごく興奮して喜び、
はじめのころは周囲に宣伝、自慢しまくり、大騒ぎだった。
家族の芸術的な方向性はそれぞれ全然違うけど、
叔母は娘に自分のできなかったことを投影しているような感じだったのだろうか・・
もちろん、本人はそんなふうには思っていないだろうけども。
叔母は、昔は家で好きに作品なども作ったりしていたけど、
いつのまにか、作品を布に包んで奥にしまいこんだり、
性格もどんどん引きこもって、たくさんいた友人とも交流せず、
家族にあたったり、ヒステリックになり、躁鬱気味になって、
ついには乳がんになってしまった…
もうずいぶん昔に私が最後に会った時、
あらゆることを批判し、居合わせた人の発言のほぼ全てに否定的で、
昔みたいな面白い会話もできなくなっていた。
TVをまるまる鵜呑みにして、あれは絶対に間違いで、これは正しいとか、
なんだか世界が狭くなっていって、TV洗脳がどっぷりっぽかった。
たぶん、
人の評価や、展開が思い通りにならないことの不安がベースになって、
自分の創造性を閉じていってしまったのだと思う。
そして娘に執着と依存。
いろいろあって、私は今は血縁関係とは全然接点がないけど、
当時、叔母のことを
「ものすごい反面教師だワ」
と思った。
どうにか彼女のセンスがうまく表現されないだろうか、とも。
自分のやりたいことをしない、表現をしない、好奇心を無視すると、
どんどん内にこもっていってしまう。
淀む。
依存、他責、エネルギーが滞り、うまく回らず病む。
知らず知らず、自分を攻撃するようになるのだよね。。
(私の数年前の自己免疫疾患なぞはまさに…)
攻撃先は自分だけでなく、他責、批判的思考も増え…
不安回避が動機、というのがデフォルトになってしまう。。
問題解決だけにエネルギーを注ぐ、そうすると問題がやってくる。。。
この数年の私は、
もう、いやというほどそれを思い知ったはずなのだけど、
望まぬとも習慣化していくと、
ループの中にいることすら気づかないことも、ある。
気づいても、そのループから抜け出すことがなかなかうまくいかない、とか。
負の循環から脱す。
皆それぞれ、創造的エネルギーがある。
今の社会、教育なんかは感性や個性を抑えるような構造、、
創造的エネルギーを活かす、活かされる、
うまくまわす、まわるような環境や、
独自の過ごし方をもって、
対等であれば、
もっと人は尊重し尊重され生きていけるんじゃないかなぁ。
そうありたいなぁ。
多様性。
お金と権力と注目を集めたい人達、
そういうことに参加してしまう人たち、
洗脳的情報操作。
圧倒的多数はそういう方面なのかもしれないけど。
芸術の力、人とのつながり、自然とのつながり、
もっとアナログな、絆がある生き方へ向かいたい。
狭い視野で、一部の利益のための洗脳で(気づかぬうちにも)、健康も環境にも汚染されて自由もどんどん奪われるなんていやよ。
各自が喜びをもって、自分を生きることを尊重し尊重されること、
煽られるような情報に動揺せず、
考えなく流されるようにはならぬよう。
もう十分教材はあったよな、この3,4年・・それでも未だに危険な誘導は終わらないし流される人も、圧力もあるなんて。
命、健康、自由が奪われても、副作用の強いものを推進する方も、それを鵜呑みにするほうも、どうしたものか。
自己治癒力、自己表現、自然回帰、アナログ回帰、原点回帰。
循環、有機的な。