介護から受け継がれていく棚 〜家族の歴史と日曜大工
ALSに罹患した妻の母、きよみさんの話をすこしずつ書いている。ただ、時系列で書くのは自分はあまり得意ではない。なので思い出した物事を、それぞれでまとめていくつもり。
今日は、この棚の話を書こうと思う。
きよみさんのALSの症状が進んで、日中ベッドに伏せていることが増えた頃、いくつか必要なものがあると頼まれた。
ひとつは、人工呼吸器の台。気管切開はしないことにしていたが、やはり苦しさが増えてきたので呼吸器が導入されたのだ。マウスピースにて使うタイプですね。操作盤は白黒液晶のタッチパネルになってました。
それを以前からあった、小さな棚の上に置いて、枕元に置いて対応していたのだが、介助者の不在時にアラームが鳴った時、それを自分で止めることができなかった。
顔をそちらに向けることはできても、その停止操作を行うパネルが液晶なので、視線の角度が浅いとそのどこをタッチするかが見えなかったからだ。
幸い、ベッドの高さはトイレに行くために立ち上がりしやすい高さでおおよそ確定している。その高さからベッドの背を呼吸が楽な位置に起こして暮らしているので、その状態で横を向いて、液晶が見える位置を割り出し、高さ調整と角度をつけられるようにした補助板をつくって対応した。
でも、液晶タッチパネルは使い勝手に問題があるな、選択式でいいからメカニカルなスイッチがほしいと気付いたのは、この件もあったのだった。
と同時に、身の回りの物を置くところも問題になった。まだメールを打てた携帯電話や、筆談用のノート、文字盤や口の乾きを抑えるミスト等の行き先である。
ベッド柵は必要だったので、その柵の高さくらいに全部が纏まっていると良いということになり、それに合わせて手元にあったヒノキ材で急遽つくったのがこちら。設計から組み立てまで1時間くらいだったと思う。デッキ材が丁度あってよかった。
いろいろな小物は竹籠に入れて(先に亡くなられた義父がつくったものだった)、それを落ちないように固定した。また徐々に声が出し辛くなってきてからは、ホテルなどでよく見る呼び出し鈴が同じ高さで使えるように、台を延長してそれ用のポジションもつくった。そしてその足側のベッド柵に、クリップボードと文字盤を入れるファイルケースをくくりつけてある。これで、腕を動かしただけで最低限のコミュニケーションを行うための準備が整った。
きよみさんがあまり動けなくなった最後の1,2ヶ月、夜間の付き添いは自分が主にあちらに行っていたのだが(朝晩にヘルパーさんが来てくれるので、おおよそ宿泊しているだけみたいなものだったにせよ)、このベルの音は、亡くなられてからも夜になると、時折聞こえたような気がしたものだ。
空耳だったのか、何なのかはわからないけれど。画像を久しぶりに見て、そんなことを思い出した。
そしてきよみさんが亡くなられてしばらくして、お気に入りのソファーベッドは形見の品としてうちにやってきて、今も大変に重宝している。
そしてこの小さな細長い棚も、使い所がなくて和室の隅で文字通りホコリを被っていたのだ、が。
妻から、ソファーの横にお灸や薬を入れる棚が作れないだろうか、という要望を聴いたとき、これだ!とひらめいた。いやひらめいたのは妻だったか。
棚の内側にポリエチレンのケースを入れられるような棚を3段増設し、L字金具でソファーの底板に固定。
その結果として、薬や小物のソファー横収納としてだけでなく、コロコロローラーや背中のツボ押し掛けまで取り付けられ、さらにソファーへの着座や立ち上がりの際の、プッシュアップのための台としても機能するようになった。実質的に手すりである。はからずも手すりをつくっていたとは我ながら驚きである。
たまにこういうふうに模様替えもされたのだが、このおじいさん猫が、葉っぱが食べやすくなったと言い出す羽目になり、さすがにこれも形見のアジアンタムさんがかわいそうということで、結局は何も置かない台、兼収納、兼手すりもどきとして、今も活躍している。
現状こんな感じですが、実はこの棚を一番お使いになるのはこちらの皆様。
あの者たちには、タワーがようやくできたか、と認識されているようである。
高いところから人間を見下すのが、あなた方の義務ですからね。お役に立てて光栄です。
最低限、ノコギリ類と電動ドリルを使いこなせるようになると、いろいろな家具が自力で作れるようになるのが木工の良いところである。そして、そんな家具なら役割を終えても捨てるに忍びないという気持ちにもなるし、保管しておくと、こんなふうに誂えたかのように居場所を見つけて役立つこともある。
料理や裁縫の技術もそうだけど、手仕事のワザは身につけておくと、生活に膨らみがでる。そして、その仕事に様々な記憶が重積し、先に旅立たれた方々も含めた自分たちの歴史になっていくところが、やっぱり得難いものだと思うのである。
ALSから旅立った、義母きよみさんの話はこちらにも。