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玄(くろ)き宇宙、齊藤裕 〜突撃!例の建築家の手すり ⑩
お正月シリーズ第三弾、元日に自宅近くの神社にいきがてら、足を伸ばして気になっていた手すりを見に行きましたよ。
住宅地を抜け、山道を登ってたどり着いたるは、知る人ぞ知るケーキ屋さんの、喫茶室です。設計は齊藤裕建築研究所。
建築家、齊藤裕について
さて、この一筋縄ではいかないどころか、捉えどころがなかなか見つからない齊藤裕という建築家について、です。とにかくすごい。
ちなみにこの名前で検索すると格闘家の方も出てきますが、建築家の方も、格闘家と言っても当たらずとも遠からずなんです。
かつて自分が、⚪︎山先生の設計事務所で働きはじめたとき、彼の建築写真集を先輩に見せてもらったのが、この南方熊楠のような建築家との、二次元での最初の出会いだった記憶があります。
その印象は、
「すげえ」「やべえ」「わっかんねえ」
ベースにはどうやら確固とした「和」がある、それはわかる。でもどれも突き抜けてる。そもそも作品名がもうわからん。
「るるるる阿房」?!「ちめんかのや」?!なんだかヤバい。
なお、公式サイトにある経歴がこちら。
齊藤 裕
1947 北海道小樽市生まれ。独学で設計を学ぶ
1970 齊藤裕建築研究所を設立
一瞬、建築界の鉄拳、安藤忠雄氏かと思う掴みですが、よく見るとこちらが学んだのは建築ではなく設計。目的でなく手段。この違いは大事。
なお、齊藤裕のお弟子さん、公言している方を自分はお一人だけ存じています。建築界のクレイモア地雷(自律型)、建築エコノミスト森山高至氏。
いろいろな案件の急所を見つけては散弾を浴びせて、いわゆるセンセイ方には蛇蝎のように嫌われたりしていそうな方なのですが、それに対してデマであると反論する建築家さんたち、本当に質が落ちたなと思います。建築家たるもの、そこはニヤリとハイコンテクストな皮肉でしょ。余裕なさすぎる。
そもそも、デマという言葉を容易に使う人間に、知性など存在しませんよ?
いかん、毒が自分にも回りました。齊藤裕という巨魁についてでした。
森山さんが書き残している齊藤事務所の日々のまとめは、当時のアトリエ系(こってりですが)の雰囲気を感じられて、最高。建築家って、こういう人たちだったんですよ、当時は。
パワハラとか労働基準法とかナニソレ、これは修行。比叡の千日回峰行、あれも言ってみれば資格試験ですが、それに労働基準法が適用されますか?みたいな話ですね。
以下、覗いてみましょ。
ある日の斉藤ジムショ:
ちめんかのや現場に井戸の縁を設置。「なんだこれ!」ダメですか「高さ高けえよ!」原寸図の通りに「高えもんは高けえんだよ!斫れ!」斫(ハツ)るんすか?「ああ」斫る「色が艶っぽくねえなあ、染めろ!」黒に染色する。「黒過ぎるだろ!ブラックの黒じゃなくて玄人のクロ!」
玄人のクロ?「玄関、玄米のクロ」森山調べて玄と黒は意味を知る。「剥がせ!この色」えーっ?「テカテカ気持ち悪い」メーカーから剥がす溶剤買いワイヤーブラシで擦る。「おっ?微妙に色が抜けてイイ感じだ、続けろ」数十分続ける。なんか、、フワフワしてきました「お前!これトルエンだよヤバイぞ」
https://x.com/mori_arch_econo/status/545436067482984449
この濃厚なシリーズ、もっと知りたい方向けに、文末に纏めリンクを張っておきますね
お、玄(くろ)というキーワードが出てきました。初期の作品を纏めた齊藤裕の自著を読むと、この言葉が「るるるる阿房」という、困った作品名の彫刻家の自邸兼アトリエの項にも出てきます。
ところでもうひとつ、ここで、最初から最後まで考えつづけた基礎意識に「玄」という抽象概念があった。「一枚の壁」と同時に「玄」を対位法のように関連重複させている。表現されたものの背後にある意識、無意識のレベルを解読したり、観念そのものに感性を重複させたりするときに、「玄」という概念でとらえようとしていた。
玄という字の意味は、天の別名、玄人のくろでもあり、明かりの及ばない奥深い夜空から宇宙へと拡大できる力量の世界。色であらわすと、中国の黄土が舞い上がった冬の夜空、すこし黄色がはいった黒を指す。とにかく、まっ黒の一歩手前のくろだが、黒色には近くて遠く明るさのある透明なくろ、静かでありつつ動きのある、地を対照にした天界のくろで、想像の尺度がある色。「玄」の色としてのイメージを言い出すと切りがない、大好きな色だ。
悲しいかなこの「玄」の解説、森山さんの現場作業より後で書かれております。なので予習は難しい。そしていきなりこれを理解しろや、と現場で身体に叩き込む。それが建築家の徒弟制度であります、かつての。
さて、そんな齊藤裕という建築家、ミュージシャンに例えるならこの人。
キング・クリムゾンの主、ロバート・フリップ。玄も真紅も、その存在感は似たようなもんですよね?!
「すげえ」「やべえ」「わっかんねえ」
同じく、そんな感想を持った約四半世紀前。正直、そのときは無理無理、といって聴き込むことはなかったのですが、今ならアリなのか?
せっかくなので、こちらにもチャレンジしてみようと思う本年であります。
さて、そんな玄人の、手すりを見に行きましょう。
鎌倉山のケーキショップ(1994)
山道を抜け、大女優と呼ばれた田中絹代の家がかつてあった細道を、バス通りに向かって歩きます。木々の隙間から右側を覗くと、現地がチラ見え。お店の下に2層分くらい、コンクリートの駆体が見えます。崖地ですからね、ここ。
![](https://assets.st-note.com/img/1736518616-hPuAyv8LSKTI6GkWHoBUlgXj.jpg?width=1200)
そこから右に下る坂道を降りて、現地到着。
ブナみたいな(でもたぶん違う)落葉樹がお出迎えしてくれます。
本日は手すりに松飾り付きのスペシャルバージョンでした。もし自分が巨人なら、つまみあげてそっと左の手のひらに乗せて撫で回したい、そんな佳品の建築です。
![](https://assets.st-note.com/img/1736353184-c5zGyQbKtEeATL197Oh8mVJs.jpg?width=1200)
ここ、道路から下がったところに喫茶室があります。では、なんでこの高さにしたか。
これは、ひとひらの葉のかたちの、屋根を見せるため、のはず。
そしてケーキとお茶を嗜むお客様に見てほしい緑の谷の景色、つまり喫茶室に欲しい空間の高さを決めると、逆算でその床の高さが決まります。まず屋根ありき、のデザイン。
また、お隣がオーナーさんの自宅で、そこも齊藤裕による改修が施されている。その2階部分からも、ひとひらの葉っぱが綺麗に見える高さも、考えていたと思われます。
そうなると、あとはいかにそこまでの動線を道路と接続するか、に建築家の底力が立ち現れます。そして、そこの足元のデザインと合わせて、欠かせないのが手すり、となるわけですね。
お店の中も、ドアのガラス越しにチラッと覗かせていただきます。
右にはお供えが乗った、クルミ材の一枚板カウンター。その存在感と調和した、華やかなカーブを描く手すりがありました。
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![](https://assets.st-note.com/img/1736520578-3jN6PXSt4EpQGTeh1BAC0rOw.jpg?width=1200)
この空間が妥協なく、素晴らしいのはたぶん誰しも感じるところでしょう。
でも、自分がすごいと思ったのはむしろ脇役の、外側の玄い手すり。
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丸鋼ダブルの柱にダブルの手すり。曲げやすいという特徴があるので、不定形のところにあわせた加工もしやすいのです。
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ダブルの柱をそれぞれ外側から削ぎ落として、Φ6くらいの丸鋼を媒介にして上の手すりと溶接。お洒落だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1736521779-fY0ZoEiCRx68hwpMyjPkla5O.jpg?width=1200)
あなたが水ならこう流れますよね、みたいな華麗なカーブ。そして階段の段板に、計算された間隔の細い繋ぎ材が描く影。
![](https://assets.st-note.com/img/1736522198-eWVdi0w1UP5DZcOYqErJsQHt.jpg?width=1200)
さて、手すりマニアの皆様は拡大をクリックしてよく見てみましょう。
板にきっちりその支柱のダブル丸鋼の大きさに穴を開けて、貫通している。
これ、段板どうやって交換する?
これ、板だけの交換は不可能です。丸鋼を切らない限り。階段の段板と手すりの取り合いを格好良く見せるために、それぞれのメンテナンス性を捨てているデザイン。
ちなみにここ、以前は鉛板のツルッとした屋根だったそうですが、現在はたぶんカラーステンレスの立ハゼ葺き。つまり屋根を一度交換しているようなので、外部階段の板もその時にやりかえているのかな、と想像します。
が、その時にはわざわざ手すりも作り直す、そういう手間が必要だったはずです。そしてもちろん、そんな頻繁に板を換えなくてもいいように、耐候性の高い樹種の、無垢の良い材料を吟味してもいるはずです。
昨今、木がカビたり朽ちたりする建築の話が話題になっておりますが、本来は建築って、そこで美しく納める、それもなにかそこに在りうべきものを生み出す目的のために、ということをやるものだったと思います。その神業にうっとりするわけです、我々は。
でも、齊藤裕の建築は、むちゃくちゃ高いです、坪単価が。妥協ゼロの人ですから。ご本人曰く、
建築をつくろうと思いたったころから、50歳になったら坪500万円の仕事だけをしたい。それまでの30年間は丁稚だと考えていた。もちろん、コストをかければ美しいものをつくれるというわけではない。ただ、これが正解だと思える仕事のエレメントを単純に足し算してみたらこのくらいになった。
このレベルの建築にかかるコスト、なんとなく想像がつきますでしょうか。
こういう建築って、建てるときはもちろん、維持も含めて、膨大なコストが掛かってもその美しさを維持したいという意志がないと、残りません。
逆に言うと、朽ちる建築は朽ちる程度のコストしか提示されていない、それにアジャストした結果、という事も言えます。齊藤裕なら坪500万の心意気のない依頼は断るけど、朽ちる建築の人は断らない、それだけの話。
なんでそんなのが増えた?!ってのは、単に頼む方が貧しくなったからです。自分はそう理解しています。
そんな話もかつて書いておりました。
さて、お後があまりよろしくないようなので、お口直しに。
こちらのお店のご案内も置いておきますね。喫茶は完全予約制だそうです。
※参考文献等
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![てすり屋のひとりごと 橋本 洋一郎(合同会社 湘南改造家)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135552958/profile_291e7913fb9a798c0ae426a5368601fe.jpg?width=600&crop=1:1,smart)