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ル・コルビュジエと輝ける水 〜突撃!例の建築家の手すり ⑦


若かりし頃のお蔵出し第二弾、かつ手すり屋の原点のひとつかもしれないお話です。

大学卒業後、どうもこのまま就職は違うな、とプー太郎の道を選んだわたくし。某T中工務店の現場事務所での模型屋さんバイトを続けながら、JIAの建築セミナーに通いつつ、とある国立大の大学院も受けてみたりして(しっかり玉砕)、でもその一年は決して無駄ではなかった。
セミナーのワークショップで教えていただいた、◯山先生のところに晴れて翌春から丁稚で潜り込むことになり、その前に、海外で見たいところを見てくるぞ、とひとり旅立ったのである。目的地はインド。お財布にも優しかったしね。

だがバンコクまでのチケットを握りしめた成田でいきなりオーバーブッキングで、200ドルに釣られてソウルに飛び、そこからバンコクに飛ぶ羽目になる。いきなり回り道であるが、そういうのは楽しい。そしてバンコクでチケットを買い、宇宙船みたいな内装のツポレフに乗り込みデリーまで。
無事に着陸した瞬間、周囲のロシアの皆さまが真顔で大拍手されていて、そうか着陸するだけでそんな扱いなのか・・・と旧ソ連の闇を感じたり。

そして、デリーでいきなり旧市街を練り歩く象に出会い度肝を抜かれ、しっかり水に当たって甘いチャイだけ飲みながらチャンディーガル往復、そしてジャイプルからアーメダバードに移動。そこで、この建築に出会ったのでした。


Mill Owners' Association Building (1954)

近代建築の父、と呼ばれる、ル・コルビュジェの設計による建築です。

今回はいつもの人物紹介とミュージシャンに例えるやつは割愛。手すり屋の手に余ります。

 

Kawajiriさんの解説及び画像が素晴らしすぎるので、建物の概要は↑でご覧いただければ。自分、肝心の外形をなぜか撮影しておらずビックリです。そういう人間だったよな、昔から。

確か、スロープのところでスケッチしている若いインドの青年がいて、話しかけたらB・V・ドーシという地元の建築家の所員さんで、おー自分も今度ヨシザカさんの弟子筋の先生のところに行くことになったのだ、みたいな話をしていて撮り忘れたと思われる。といっても、当時ドーシのことはよく知らず、事務所の建築を見せてもらうチャンスだったのに惜しいことをしました。

そこでなぜそんな話をしたかというと、ドーシさんも吉阪隆正さんも、同時期にコルビュジェの事務所で働いていたからなのですね。おおよそ同級生。

同じくKawajiriさんの記事をば。

でも、長ーい2階へのエントランスへのスロープと、その手すりの画像は撮っているのが不思議。

当時から手すりフェチだったのかしら

右がコンクリートのザラザラでごっついの、左がそれより高めにスチール(ではなく、よく見たらツルツルに磨いたコンクリートか)の太め手すり。どちらも内側に傾けたデザインです。この頃のコルビュジェは、艶めかしいというより、抽象画のようなデザイン要素が増えております。握るには向いていないけど、乗せさせて受け止める系のデザインです。

 コンクリート型枠の、パターンがいろいろ

ロビーの吹き抜けに面した、手すり兼用のベンチも撮ってました。懐かしいバックパックが乗ってますね。
そしてコンクリートに写された、木の型枠の模様が見事。以前取り上げた弟子筋にもしっかり継承されていますよね、この壁のテクスチャーと、その切替え。


そして、この建物、実は外壁が殆どありません。あついインドの気侯に合わせて、日除けと通風や目隠しを兼ねたブリーズ・ソレイユと呼ばれる、特徴的な格子状の外回りになっています。

ブリーズ・ソレイユと、曲面壁と

あれ、道路と反対側のブリーズ・ソレイユの、途中に手すり状のものが見えます。転落防止柵かしら。
よく見ると、植え込みになってますね、その下の部分。

そのむこうに、サバルマティー川が見えます

アーメダバードという都市、マハトマ・ガンジーが抵抗運動の拠点としたことでも知られています。このサバルマティー川岸に、彼のアーシュラム(修行場)があり、この建築の敷地はその数キロ下流側にありました。歴史的に、都市の記憶的にとても大事な川なんですね、ここ。

そして、当時は管理人の小さいおっさん氏がいて、何やらやってくれる様子なので楽しみに見ていると。

管理人の小さいおっさん氏が、何やらやってくれる様子


あの金属パイプから、光る水のシャワーが!

なんと、手すりに思われたパイプから、無数の水が吹き出したのです。

下の植え込みが、乾かないようにこうやってメンテをするのも、この方のお仕事だったのですね。小さいおっさん氏、露出が飛んじゃってますが、すごく笑顔です。

いかり肩のシルエットがコルビュジェ提唱の、モデュロールのあの人型を思い出させます。せっかくなら、その左手を挙げてもらえばよかった。


そして、シャワーのむこうに、この街の母といえる、乾季でも人を潤す命の川が流れるのを眺めると、設計者が、ここを使う人々になにを見せたかったのかが感じ取れるようです。


実はここを見る前に、チャンディーガルという北部の新都市のなかの、同時期のコルビュジェの建築も見て回っていたのですが、なんというかつくられた街で、人も少なく見えて元気がない、そもそもパキスタンが近くテロ警戒などで殺伐としているし立ち入りも出来ないし、みたいな印象で、あまり彼の建築の良いところを掴めずにいたのでした。

またしてもKawajiriさんの記事をば。

でも、ここ、繊維業会館では不思議な感動を覚えて、満腹になって帰ったことを覚えています。

なお、ここの設計とほぼ同時期に、コルビュジェは地中海のカップマルタンというところに、本当に小さい別荘をつくり、そこを終の棲家とします。そして1965年、いつものように崖下の海に入り、そこで一生を終えています。


水を得た魚、という言葉がありますが、ここで彼は文字通り水を得て、その良きものをたくさん表現しているように思えたのでした。

そして、あの小さいおっさん氏の微笑む景色が、自分に何らかの影響を与えていたのだろうな、と今になってちょっと思うのです。

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てすり屋のひとりごと 橋本 洋一郎(合同会社 湘南改造家)
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