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ゴッホと渋澤栄一

「クレラー・ミューラー美術館」所蔵のゴッホ作品が、東京都美術館にて現在展示されています。もしかしたら既にご覧になった方も多いでしょう。
今回改めて私が衝撃を受けたのは彼の残した作品数でした。28歳からスタートした画家キャリア、37歳で亡くなるまでたった10年でおよそ2000点という作品を生み出したという事実。驚くばかりです。

かたや、N H K大河ドラマ「晴天を衝け」での渋澤栄一が、ついに大蔵省の役人を辞めて、第一国立銀行を立ち上げるシーンが最新の放映でした。渋澤が生涯に設立に関った会社の数が500社。冷静に考えたとしても。ものすごい数です。

好きな画家と尋ねられた時に必ず答えてきたゴッホ、そして紙幣になるということで突然有名になった渋澤。双方が後世に残してきたこの”数字”について、個人的にとても興味を持ちました。今日はそれがテーマです。

ゴッホと渋澤栄一に共通するのは何か?

ゴッホは、1853年オランダに生まれ、1890年フランスで亡くなりました。
産業革命によって人間の存在価値を問われた時期。印象派が中心になり、日本文化ジャポニズムも西洋に入っていきました。ゴッホにとって、時代の激動の変化を感じながら、魂の普遍性を追い求めたのかもしれません。
ゴッホの描くサンレミの糸杉は何を意味するのでしょうか。天にも突き刺す、神のような存在だったのでは?脇を小さく描かれている人間は、まるで雪舟の水墨画のような構図とも言えます。
私が最も大好きなMOMAにある「星降る夜」の竜巻きのような空気は、何を意味したんだろう。あれはゴッホ自らの魂そのものが、本当に彼の眼には、見えたのではないだろうかと思っています。
ゴッホは、激しい時代変化の中、人間の存在価値を自然と比較したり、宇宙の力を合わせて描いていきたかったのではないでしょうか。

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渋澤栄一は、1840年今の埼玉県深谷市に生まれ、1931年に亡くなりました。
(まさにゴッホの生涯と重なるタイミングです)
渋澤栄一は農民で育ち、20代で幕臣になり水戸藩に仕えます。その後に徳川慶喜の部下になり、大政奉還の時にパリにて様々な政治、経済、文化の仕組みを慶喜の弟と同行して学びます。1870年頃に帰国、明治国家の官僚として、大蔵省の立ち上げに尽力した人です。
そしてその後が大切なんですが、官では民(生活者)の為の視点が無くなると考え、民に下野、実業家や教育者として、500の企業を立ち上げる起業家となったのです。今、誰もが知っている会社はほぼこの時に彼が関与し立ち上げることになりました。
故に渋澤栄一こそ、時代の変化を感じ、激動の社会に適合する在り方を模索してエコシステム体系を作った人物といえると私は思うのです。

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家族観という要因

ゴッホ父の厳格な神父、テオドルスとの確執、さらに6人兄妹の長男との関係性。そして何より重要な弟テオの存在。
一方の渋澤栄一。やはり厳格な父である渋澤市郎右衛門の教育観・儒教、論語の教え。渋澤栄一は、長男で2人の妹がいたといいます。
ゴッホも渋澤栄一も長男として生まれていますが、両者とも実は「家」を継ぐことなく、世に出ていったことは共通かもしれません。

ここから知ることができるのは、それは家族との関係性を考察することが、その方の人格形成や思いビジョンの質を上げるのに重要だということです。「場」を変える効果とでもいうのでしょうか。生まれた育った「場」とは、単純に異なる場所に行くと、人格形成に大きく影響して別の新しい自分が生まれやすくなるかもしれません。そしてそれが家族観に影響する。

ゴッホがオランダでの色彩のない絵画から、フランス移行した後の色鮮やかな印象派への変化したことも「場」を変えただけでなく今までの家族との距離を取ることで、変化したのもあると思います。

また渋澤栄一が、埼玉の深谷市の農家で藍染めなどしている時から、武士へのチェンジで京都に行き、水戸藩に仕える。お百姓さんから、武士へのチェンジは同一の埼玉だとしたら起きていない。N H K大河の脚本の大森美香氏は、その家族の変化、成長を激動の時代変化と共に克明に描いていますね。

問う力

両者共に自分ゴトに思いを昇華している、それが間違いなく共通点です。
内面で自問自答しながらプロトタイピング作成し、やり直す作業の末の2000作品と、500社になったのではないでしょうか。これがここでも何度もお伝えしている「センスメイキング」のファーストステップだと私は思うのですよね。つまり、これでいいのかと問い続ける姿勢、自分の存在を貫抜きとおす姿勢、それがまさに「ストーリーメイキング」するかのようです。

ゴッホ:人気存在、自然、宇宙観を絵画でストーリーメイキング
渋澤栄一:76才に出版した「論語と算盤」までの500社設立のストーリーメイキング

庇護者(パトロン)

ゴッホには、彼の存在価値を高めた美術教師と収集した"ヘレナ・クレラー ミュラー"のパトロン、いや彼の作品への熱量を持つ"ファン"が存在しました。
一方、日本資本主義の父と称賛された経営学ドラッカーの著作マネジメントの第1章で渋澤栄一を次のように書いています。
「人間の弱点として、利益が欲しいという思いが勝って、下手をすると、富を先にして、道徳を後にするような弊害が生まれてしまう。それを行き過ぎると、金銭を万能なものと考えてしまい、大切な精神のもんだを忘れ、モノの奴隷になってしまうのだ。」

まとめ

この2人は時代背景が同じながらまったく異なる世界に存在していますが、
何故か不思議に似通って見えると私は思います。あの時代です、現代のようにインターネットがそこにはない。でもこの距離感ながらの同様のもの、興味深いと思いませんか?

我々が生きる時代。彼らとは違って瞬時に情報が行き交う世の中です。だけど不思議と違いが明確だからといって、逃げているところはないでしょうか。それはいうならば「対話」することを拒否しているともいえます。

全く違う環境にある世界の方が、視点を変えれば、極めて似て見えることもあるのかもしれない。それは、魂の力、貫き通す思いのあり方なんではないのか、私はそう感じざるをえません。

皆さんはどう思いますか?

(完)