数字は語ってくれない、語るのは人だ。
2021年10月に開催された「第18回ショパン国際ピアノコンクール」は、Youtubeでリアル配信されたことによって、これまで一部の専門家しか聴くことができなかったコンクールというコンテンツが、一気に一般の観客にも
ダイレクトに楽しめるようになりました。
結果、ソーシャル上で情報共有が活発化され大いに話題となったことは、記憶にも新しいでしょう。
ショパンコンクール配信が見出したもの
11月13日朝日新聞朝刊「多事奏論」で編集委員吉田純子氏が、以下の指摘を寄稿されていました。
音楽担当としての仕事で、最もモヤモヤ感と無力感を抱くのは、若手の登竜門とされるコンクールの結果を報じる時だ。
肉体の限界との闘いでもあるスポーツなら、優勝がキャリアの頂点ということもあるだろう。しかし、生涯成熟を続けていける芸術の世界において、入り口に立ったばかりの若者に「おめでとうございます。今のお気持ちは」と問いかけたとて、一体なにが聞けるというのか。どんなレパートリーを増やし、どんな風にキャリアを重ねたいか。まずはそんなビジョンを語ってもらい、彼らの今後にも並走したい。しかし、どうしてもメディアの報道は、今この瞬間の脚光への便乗になってしまいがちだ。
そして今回の話題化については、以下のようにも記載がありました。
動画のコメント欄はオリンピック時さながらの、各国語の応援コメントに沸いた。観客は順位に一喜一憂し、祭りの後はそれぞれの「推し」のもとへと帰っていった。闘いの悲壮感は消えた。時代は変わった。
音楽の本質とマーケティングの本質
この寄稿のタイトルは「音楽の本質 競争ではなく個性」。
私はこの文章を見たときに、そっくり「音楽」を「マーケティング」代替えしても当てはまると興味深く感じたのです。
以前この場でも、数値化できない世界について言及してことがあります。
現在、売上やROI、KPIなど私たちのビジネスは数字に塗れています。数年前によく聞いたビッグデータや昨今だとSaasを活用したマーケティングなど様々な活用セミナーなども目白押しで私の会社にも多数のお問合せをいただきます。
しかしながら一方で、私は「数字自体は何も語ってくれない」と思っているのです。あくまでも語るのは人(企業)であって、コンテキストをどう描くのか、それが重要な時代になったのかと考えています。
ショパンコンクールに話を少し戻しましょう。コンクール参加者に前述の吉田氏から与えられたコメントがとても感動的です。
■カナダのブルース・リウさん(第1位)
人生への肯定感に溢れた健康的な演奏、審査員と観客による未来への祈りの結託に感じられた。
■古海行子さん(本戦に残れなかった参加者)
端正な表現中に極めて高い純度を感じさせた。
■進藤実優さん
唯一無二の音楽性をもって世界に多くの支援者を増やした。
■角野隼斗さん(本戦に残れなかった参加者)
このワルシャワの地でショパンのコンチェルトを弾きたかった。勝ちたかった、ではなく、弾きたかった。
この段階において、順位は必要でしょうか。もちろんコンクールという場でもあり、順位づけは必須だとは思います。
ただ一方で前述のソーシャル上に寄せられたコメント記載などには、もちろん勝者予想はあったものの、それ以上に感動体験の共有や応援メッセージ、参加者のキャラクターへの賞賛などといったものであったことは、見逃すことができない"気づき"だと思います。そういう意味では音楽ビジネス、いや芸術の世界においても変化を伴ってきているのかもしれません。
翻って...マーケティング業界は?
マーケティング業界において非常に馴染みがある指標。目標数値。
これもまた変化の時が来ているのだと私は思います。KPIなどの評価システムを見直さなければ新しい時代に対応が遅れてしまう懸念があるからです。
例えば、私のお客さまの多くの企業はKPIの設定は、一年に一回、よくても半年に一回の設定が主流です。しかも現場からではなく経営層からの設定が主で,対前年比的なものが多いように思います。
このスピード感で大丈夫ですか?本当に見るべきものは一年前の数字で良いのですか?経営層は今の時代の動きを察知できていますか?
1月のダボス会議においても、経済的価値や社会的成功ではなく人を感動させる(幸福感)といった"ウェルビーイング"、"豊かさ"にシフトされてきました。
私たちの身近なブランドでもあるソニーは、"ソニーらしさ"を語るときに「感動を届ける会社」と解釈したことで、2017年から低迷から脱しているようです(前社長平井一夫氏 談)。
ビジネスの目的とは何か?
さてここで質問です。我々は何の為にビジネスを行っているのでしょうか。そのために経営やマーケティングを学んでいるのでしょう。
「新しい知を生み出す、コンセプトを生み出しながら顧客を創造する価値を提示しながら、生活者に豊かな生活を提案する」
この言葉こそが、ドラッカーの不滅の金言だったことが、改めて私の脳に過ぎります。
KPIの根底には、市場シェアを広げてより多くの利益を上げる、つまり相手に勝ちたいという目的があります。これは当然でしょう。旧来のビジネスは「競争の原理」が優先されていたから然りです。
しかしながら現流はどう変化してきているでしょうか。これはお客さまというよりも社員一人一人の中にも生まれている傾向ではないでしょうか。なぜならば自社プロダクトを離れたら、社員も一顧客であるからです。
ロジカルシンキング中心での分析過多や、コンプライアンス至上からは、心ときめくコンセプトは出て来ません。予定調和的なありきたりな仮説では、人は心ときめかないのです。
データが示してくれる唯一の完璧な戦略の方向だと言われても、心が動かないものだとしたら企業の社員自体がワクワクしないように感じるようにすることは難解にならざるをえらいでしょう。そしてそういう気持ちは自然とプロダクトやサービスを通して、お客さま(エンドユーザー)に伝わってしまうのではないでしょうか。
数的ではない未来指標
ここでお伝えしたい視点とは、評価システム、売り上げや利益などの目標値だけでなく、未来を図る指標としてポテンシャル、やる気、目の輝き、笑顔のような新しい評価するものが極めて大切ではないかということです。
私の意見として、企業の目的の設定には、生物学でいう
・コヒーレント(集約性)
・リダンダンシー(冗長性)
・タイム(時間性)
の三要素を組み合わせるのがよいのではないかと思います。つまりある程度は、集約させながらもゆるやかな自由度を持たせるのを時間軸で設定するということです。
新しい価値や知識を創造する企業には、見えている可視化した領域(数値化された未来指標)と、見えない価値をカタチにする、企業のあるべき姿をデザインする(3軸のバランスをとる)ことが必要となってきます。
因みに前述のソニーは、この3軸のバランスが取れています。トヨタはややコヒーレント軸が強く,現在バランスを取るステップにあるようにみえます。つまりはどうやって3軸かを測るかです(3軸の指標計測にご興味ございます方はご一報くださいませ)。
まとめ
誤解いただきたくないのは、マーケティングの世界が音楽や芸術世界と同じようになってきたとお伝えしたいのではありません。また数的指標は意味がないなんていうつもりもございません。
今回のショパンコンクールによって視覚化された「音楽の本質には競争だけでなく、評価基準によって感動させることというものがある」という事例をもとに、今のマーケティング活動においても別指標を導入するときではないか、ということです。
前述させていただいた評価基準に加えて、自分ゴトでの願望を駆動力にすることを社内でも持ち得ることが、多様なバリエーションのある企業の在り方がこれから出てくるのではないか、と。新しい未来を作り出すのは、数字ではなく、それを読み解く人間力なのです。
(完)