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黒か白かで語れない世界で、それを語らなければならないと言う地獄

1%の例外に向けて「とはいえ」とか「確かに」とかいって自分の主張にツッコミを入れるのが正直なところ面倒だ。

「確かに〜〜が全てとは言いませんが」
「とはいえ〜〜という事もありますが」

みたいな感じ。

しかし、いくら気配って話を組み立て発言しても、この多様な時代においては「俺そんなんじゃねーよって」ツッコミは常にある。

「若者が皆そうだと思うな」とか
「俺は〇〇したけど△△だったよ」とか…

正直見ていてとても滑稽だ。

それらをボケとして捉えても全く面白く無ければ、その発言は誰も得をしていない事実を理解してほしいなと思う。

もっと柔軟に物事を解釈できないのかといってやりたいが、その一方で自分の考えてもいなかった視点からの意見に「ごもっとも」と感服させられることがあることも確かだ。

しかし、これについていわせていただきたい。

実を言うと、僕も「何かを言い切る」ということがあまり好きではない。

万物は完全ではないからだ。

世の中には二分法で語れないことが山ほどあって、「本当はそんな簡単なことではないんだけどな」と自分の主張に物足りなさを覚えることも結構ある。

しかし、世間はその複雑な世界を複雑なまま発信することを良しとはしない。

威厳によってコミュニケーションや情報の価値観を測る人が大半なのだから仕方がない。

意見を言い切ることをしなければ、SNS戦争は勝ち抜くことができないし、これに負けると言うことは、実質この世界での敗北を意味する。
(ゲームに参加していない人は知らんよ)

勝てば官軍負ければ賊軍の世界では白か黒かをのハッキリと主張する人が正しいく、自信満々にデカい声で発信するのが正義なのだ。

万物のは完全じゃないのに。

とはいえ、このゲームに参加した以上はそのルールに則って真っ正面から戦っていくか、別ルールを自らの手で切り開いていくかしかないことも心得ている。

自分の強みと弱みを受け入れて、その上でこのゲームをどう攻略していくのかを考えるのもまた面白いのだ。

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