今日は学生時代に見た変なやつの話をする。 話をわかりやすく進めるためにその変なやつの名前を、そうだなー、 100万回生きた猫としておこう。 それはやめとけ じゃあコジマ。 …うん。よい。 いじめには必ず理由がある。 背が低いとか、高いとか、優しいとか、兄の態度が気に入らないとか、こう言ったことだって立派な理由になる。 もちろん、いじめられる方が悪いとは限らい。 むしろほとんどの場合、いじめている方が絶対的に悪いというのが世間一般的な考えかたで、僕もその内の一人
挫折、落胆 「まだやれることがあるはずだ」と無作為に取り出したケータイ電話は川に落として泣きそうになる。 お手上げだ。 そんな時は時は学ぶに限る。 目を閉じるように本を読んで、耳を塞ぐようにYouTubeを聞き流して、くだらない情報をシャダンするように考え続ける。 その姿はまさに堂々たる賢明な態度、もしくはアホの骨頂である。 いつもなら罪悪感を感じるような無精な振る舞いもこの時ばかりは穏やかだ。 きっとこれが現時点での最善策だと分かっているからだろう。 思いつ
2020年、1つのアニメ作品が一斉を風靡しました。 鬼滅の刃である。 大人から子供まで幅広い層から支持を受け、この作品は瞬く間にその年を象徴するコンテンツとして知られるようになりました。 僕はこの作品を見ることで、愛されるデザインとは何か、心を掴むストーリーとは何か、この作品を通じてこれからの創作活動においてなんらかのヒントが得られるのではないかと期待しました。 しかし、そこで見えたのは未来のある子供が華々しく腐敗していく姿です。 今日の記事は鬼滅の刃について書かれた
僕は昔から注意力が散漫ではありますが、そんなことを自称する人は御満といるので僕もそのうちの1人なのかもしれないと、微かな希望を残しつつ一応計画は注意力がないことを前提に組み立てています。 しかし、それはそれである。 僕は自身の反省や目標設定をする際「注意力がなかった」とか「注意力をつける」みたいに曖昧な言葉を並べるようなことは絶対にしません。 このような架空の能力を悔やんだり求めたとして、状況の具体的な分析を回避できるかもしれませんが、大抵は問題解決につながらないのです
目先のノウハウや新しいツールに飛びつく彼らをニヤニヤしながら見て、僕はコツコツ「知的生産性」に形成にはげむ。 知的生産というのは、「頭を働かせる仕事がどれくらいの効率で行われているか」を示す言葉なのですが、頭を働かせる仕事をする前に、先にその土台を作ってしまった方が効率が良いのでは?というのが僕の考え方なわけです。 と言っても、土台ばっかり磨いても自分が何をしているのか分からなくなってしまうので、日常の中で出てくる問いに関しては積極的に解きにかかります。 普遍的な学びと
今思い出してみると、いつだってシンプルが真実でした。 思うような結果が出ないとき、その問いを根本から見直すと、前提から間違えていたってことがなんどもあって、その時の状況といったら大抵は事態を想定して過ぎていたり、複雑な仮説を立てていたりしています。 上手くいかない、思うような結果が出ない。気合も根性も役に立たない。 これはいったいどう言う状況か。 別に上手いことを言おうとしているわけではないのですが、「問題に溺れている」この表現が一番適切だと思います。 もがくほど沈ん
私たちはサンドイッチに似ている。 1枚のパンだけでは完成しない。 二枚のパンと素材があって、ようやく1つのサンドイッチが完成する。 素材は単一だった時よりも輝きをまし、まるで上品な歯磨きセットのように互いの良さを引き立てあうのだ。 きっとその輝きこそがサンドイッチたる証なんだろう。 そう、私たちは皆例外なくサンドイッチなのだ。 え、どういう意味 どういう意味??(๑╹ω╹๑ ) ごめん、今のウソ。 ここからはホント僕は小・中・高・大と、器械体操部でセコセコやって
1%の例外に向けて「とはいえ」とか「確かに」とかいって自分の主張にツッコミを入れるのが正直なところ面倒だ。 「確かに〜〜が全てとは言いませんが」 「とはいえ〜〜という事もありますが」 みたいな感じ。 しかし、いくら気配って話を組み立て発言しても、この多様な時代においては「俺そんなんじゃねーよって」ツッコミは常にある。 「若者が皆そうだと思うな」とか 「俺は〇〇したけど△△だったよ」とか… 正直見ていてとても滑稽だ。 それらをボケとして捉えても全く面白く無ければ、そ
「よりよく」「より少なく」 まるで世界を悟ったかのように話すヤツがいて、それがどんなのかと思って見てみれば、そこにいるのは仙人でもなんでもない、ただの売れない写真家である。 「完璧なんて無理なんだ」とか「自分の得意なことで勝負しろ」とか、人には偉そうにペラペラ話しているくせに、いざ自分がやってみると全くできない。 YouTubeでは芸人のように面白い話をしたいし、コンテンツは東大教授の論文のようなのを提供したい。音楽は最高峰のオーケストラで構成されたオリジナル曲を
14世紀、イタリアから始まったギリシア、ローマの個展文化を復興しようとした文化運動(ルネッサンス) 今となっては当たり前と思われている「個人の尊重」とか「自由主義」というのは、このルネッサンスがなければこれほどスタンダートになってなかったかもしれません。 中世ヨーロッパにおいてルネッサンスへの道を切り開いたのは「黒死病」と恐れられたペストのパンデミックです。 当時の黒死病は「神がもたらした罰」とみなされていました。 しかしその火種は神を信じる聖教者をも呑み込み、ヨーロッ
いつかの記事で、世界は理不尽というわけではなく、行動しない人が理不尽だと騒いでいるだけだという話をしました。 今日の話は、その記事の補足という形で書いていこうと思います。 もしも見ていないという人がいましたら、先にこれを見てからの方が話が入ってきやすくなると思います。 https://note.com/yoichi_yoichi/n/n054c5510aac9 さて、この記事では何やら偉そうに「理不尽な話はスルーしろ」みたいなことが書かれています。 しかしながらこの話
これまでスポーツばかりやっていた男が最近突然「アート思考!」などと叫ぶようになった。 いきなりどうしたんだ、と思われるかもしれませんが、もしかすると僕は子供の頃からアートに興味を持っていたのかもしれません。 初めてアートに面白みを感じたのは小学生の頃、美術の時間に描いた水彩だったと思います。 たくましい妄想を自由に表現することができる「絵」というものにどハマりし、家だろうと学校だろうと時間があれば、てんとう虫の自由ノートにヘッタクソな絵をたのを覚えています。 といって
こんにちは。 先日あげた動画の中で、オリンピックが神秘だとか光がフナムシだとか、なんとかかんとか。よくわからない話を「どうせ編集でどうにでもなるな」と、あえて強気で話していたのですが、いざ終わってみると、どうにもならずに、ただただ地獄の動画を制作してしまったよういちです。 一応、その物欲のURLを貼り付けておきます。低評価だけはご勘弁ください。 (押すなよ!絶対に押すなよ!ではない。) さて、今日の本題です。 世の中には分かりづらい話をする人が存在しますが、僕は理解し
「賢くなりたい」「感性豊かに話す彼らのようになりたい」 僕はいわゆるアホではありますが、天才になることに憧れて、形だけでもそうあるために頭の良い人、面白い人の言葉や文章を真似ました。 真似るだけでなくなぜ面白いのか、なぜ分かりやすいのか、その根本を理解するよう注力して、一刻も速いアホからの脱皮を目指しました。 もともと僕は語彙力というモノには重きを置いていて、ミーティングやプレゼンなど、あらかじめ話す日程がわかっていれば、それに合わせて「もっと気の利いた言葉はない
メッセージは基本的に、ある程度結果を出した人の意見しか世に出回ることはありません。 そのため、私たちが普段目にする思想や偏見は成功者目線のかなり偏ったものになっています。 今日示している成功者とは、地位的に有意な立場を手にした者、つまりリーダー的立ち位置を手にした人のことを指します。 不思議なようで当たり前な話、正解を出すための行動パターンというのは、その人がどの身分に立っているかで大きく変わってしまうということがおおにしてありえます。 つまり、ある行動はリーダーとして
僕は自分が何をするべきなのか道を見失ったときや、行動を起こしきれないでいるときに、決まって自分の意識を全て情報収集一点に集中させます。 それはニュースサイトからだったり、本だったり、雑誌だったり。ジャンルは選ばず、とにかく情報という情報を集めまくります。これはもう徹底的に。 この時に出てくるのは「情報収集をしすぎるな」というジレンマです。 情報収集にかけた労力や手間の結果得られる情報量は、ある程度正の相関はありますが、それをすぎると途端に新しい取り組みのスピードが鈍って