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硬い本を読むメリット

こんにちは。

先日あげた動画の中で、オリンピックが神秘だとか光がフナムシだとか、なんとかかんとか。よくわからない話を「どうせ編集でどうにでもなるな」と、あえて強気で話していたのですが、いざ終わってみると、どうにもならずに、ただただ地獄の動画を制作してしまったよういちです。

一応、その物欲のURLを貼り付けておきます。低評価だけはご勘弁ください。
(押すなよ!絶対に押すなよ!ではない。)


さて、今日の本題です。

世の中には分かりづらい話をする人が存在しますが、僕は理解しづらい話とか文章を見聞きした時に、2つの可能性を考えます。

1, 相手がアホで文章や情報がロジカルなもので構成されていない

2, 相手の方が経験豊富で省略されている。

これは僕の見立てですが、人は自分よりも上の肩書きを持つ者に対して、「話が理解できないのは自分に問題がある」思ってしまうのに対し、相手がなんの肩書きも持たない場合は、「俺が理解できないのはお前が悪い」と捉えてしまいまう生き物のようです。

これは非常に危ない考え方で、ここを理解しておかなければ、「それっぽいけど意味のない話」を骨身惜しまず聞くはめになったり、「大事だけどそれに気付くことなく大きな機械損失してしまった」なんてことが起きてしまうのです。

相手が僕のように明らかなアホとか、大学の教授のように賢い場合は分かりやすいのですが、そうでないこともあります。

たまたま企業を成功させた人や、たまたま才能ある子供を預かり、オリンピック選手を育て上げた監督も存在し、たまたま目立ってはいないけど、優れた思想、ノウハウ、文章力を持ちながら分かりやすく伝えようとしない人もいます。

バイメカ的、解剖学的に見て理にかなっていない話なのに、それにも気づかず真剣に話を聞くのを見て、
「あーぁ」と思います。

しかし、きっと僕も沢山の間違った知識を鵜呑みにしているんだろうなと不安にもなります。

彼らが解読し辛い文章を提示した時、僕たちはそれが本当の意味で価値あるものなのかを見分けるだけの賢さを身につける必要があります。

そのために多くの知識をつけることが必要ですが、それとは別に、もう1つ提案があります。

できる限り硬い文章に触れてみてください。

程度によりますが、これは1ヶ月だけでも構いません。

その効果をすぐに理解することになります。

僕は、見ての通り学生時代それほど文章には触れてきませんでしたが、これだけで、良い文章の本質というものが少しわかるようになりました。

これは、文法的なことだけではなく、中身も同じで、文法には興味がいという人が、めちゃくちゃな文章で実は大切なことを言っている、ということにも感覚的にわかるようになるのです。

また、賢い人のリアルな会話を聴いて、言葉のはしょり方、熟語を全く別の意味で使ったりするのを見つけるのも面白いです。

いい文章を見分けるために、少しずつでもいいので、色々な筆者の硬い文章に触れてください。

その目的は、知識を得るためではなく、知識を獲得しやすくするために。

このような方向から「文章に触れる」ということについて考えてみるのはどうでしょうか。

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